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第3話 ある日の昼休み

「はぁ……どうすりゃいいんかな、これは」


 冷蔵庫の扉を開けたまま、彼は立ち尽くしていた。上から2段目、ヨーグルトの容器に隠れるように赤い小箱が置かれている。黄色いリボンも結ばれたまま。貰ってから2日経つが、全く手をつけられていない状態だ。


 折角貰った物をこのままにしておくのは失礼だろう。しかし、いざ食べようとすると躊躇してしまう。食べるのが勿体ない、という心情とは少し異なるものだ。

 これを食べてしまうと、何かが変わってしまうような気がした。とても大切な何かが──




 2月15日の昼休み、彼の目付きの悪さは明らかに寝不足であることを示していた。赤く充血していていつもより開きが小さく、下には隈ができている。

 見た目からして疲れている様に見えるが、実のところ彼は疲れなど感じていない。つい前日の出来事のせいで、不眠を忘れるほどに緊張していた。


 すぐ隣では、女子が3人ほど昨日の話題で盛り上がっていた。もちろん桜井さんもその中にいる。


「ねぇ桜井さん、誰かにチョコあげたの? 教えて!」

「それそれ、めっちゃ気になる!」

「え、チョコ? えっと……あ、あげてないよ。気になる人も別にいないから、ね」


 いきなり核心を突いた質問を受け、誤魔化したような笑顔で答えている。それを聞いた2人は、少しがっかりした様子で話を続けた。


「え~そうなの? つまんないなぁ」

「でもさ、ぶっちゃけバレンタインって友チョコの交換日だよね。本命で告白とかウチは無理」

「あはは……そうだね。他の人もあんまり男子には上げてないみたい」


 彼女達の言うことはあながち間違いではない。このクラスで昨日チョコを貰った生徒はほとんどいない様子だ。

 昨日の居残り魂はどこへやら、多くの男子生徒は気の抜けた顔で座っている。会話などはしているものの、いつもの騒がしさはない。教室の隅で1人ニヤニヤしている彼は貰ったのだろうか。


「やっぱり、本命チョコとかはないかな」

「だよね~」


 桜井さんの発言に2人とも同意している。そんな発言を耳にすれば、彼の緊張は余計に高まってしまう。もちろん、ここで「あげたよ!」などとバラされるよりは何百倍もマシだが、これはこれで心が休まらない。


(「本命チョコとかはない」って……渡された人がいるんだけどな、ここに)


 彼女の顔を改めて確認するが、先ほどと違い動揺は見えない。"女子は本音を隠すのが上手い"などと言われることもあるが、最初の質問の反応を見ると、嘘とは考えにくい。


 では、彼が貰ったあの箱はなんだったのか。

 そんな考えを浮かべているうちに、休みも残り5分。授業の準備も考えると、時間はあまり残されていない。図書室で借りる予定だった本は、もう誰かが先に借りてしまっただろうか。


「山下ぁ。"ソード"どこまで進んだよ。俺は昨日徹夜で洞窟潜ったぜ」

「……」

「おーい、山下! 聞いてるかー」

「え! 何?」


 考え込む彼の後ろから、男子生徒の岸川が声をかけてきた。


 "ソード"というのは今流行りのRPGソフトで、正式名称は"ソード・フロンティアII 伝説の水晶"。しかし、このクラスではゲーム派は少なく、同じ話題で話を出来る人は少ない。

 岸川はこのゲームについて話し合える、数少ない人物の1人ということだ。ちなみに桜井さんもそれに含まれる。


「ああ、ゲームの話ね。それでお前、徹夜したのか?」

「あの洞窟は地下15階まであるからな。ぶっ通しで戦闘しまくってた」

「それでお前はそんなに目がシんでるのか。てか、ちゃんと寝ろよ」

「でもさ、あれ途中でワープとか出来ないじゃん。帰るとまた潜り直すの面倒だし」


 目付きこそ悪いが、岸川は嬉嬉として話し続けている。さらに彼は、ゲームの話になると異様に声がデカくなるという特徴を持っている。深夜テンションは深夜にだけ発動して欲しいものだ。


 結局ボスには負けたらしく、話の後半からボス戦の愚痴になっていたのだが、半分くらいは受け流していた。その間、隣から視線を感じていた。

 視線の主はもちろん桜井さんだが、怖くて隣を見ることが出来ない。既に隣の会話は止んでいる。ここは、目の前のゲーマーの会話に付き合うよりも、彼女と話をするべきなのか。


「──なあ、聞いてるか?」

「うん聞いてる聞いてる。で、今日もまたそいつに挑むんかい?」

「もちろん、今日こそあんの獣ヤローを叩きのめしてやるわ!」


 岸川は目を尖らせて、そのまま机に拳を振り落とそうとしたが、振り上げる途中で止まった。流石に教室のど真ん中で大きな音を立てるのはマズい。


「おい、あんま危ないことすんなよ」

「悪ぃな、つい熱が入っちまって。いやほんとにアイツウゼぇわー」


 ゲームの話題に戻るのかと思いきや、彼はすぐに話題を変えてきた。

 とんでもない話題に。


「ところで山下、お前昨日チョコ貰ったか?」

「なっ……お、お前なあ、話が唐突すぎるんだよ」


 "チョコ"という言葉に反応したのは1人だけではない。隣の桜井さんも、教室前方に集まってる女子生徒も、少し後ろにいる男子グループも。そして、クラス全体が岸川の言葉に反応した。

 ゲームの話で声がよりデカくなっていたが、そのままの調子で言い立ててしまったのだ。クラス全体で話すようなことではない。


「えっと、なんか俺注目されてるんだけど?」

「そりゃそうだろ。お前なんてこと言いやがるんだ。昨日の今日で……」

「そっか、ハハハ……まあ俺は貰ったけどな」

「何を呑気に笑って……ん? お前今なんて言った?」


 聞き間違いの可能性もあるので、一応聞き返した。すると彼は、その反応を待っていたとばかりに繰り返した。


「だから、俺は貰ったんだよ、チ ョ コ を な !」

「……嘘だろ……まさかお前が」


 どうしても信じられなかった。インドア派で好きなものはゲーム、それも徹夜してまで時間をゲームに費やすような人が、チョコを貰えるなどと。


 教室からはヒソヒソと話す声が聞こえてくる。「アイツが貰ったのに俺は……」だとか「え、誰々? 誰があげたん?」だとか、クラス中が彼を噂している。それに本人が気づくまで10秒ほどのラグがあった。

 岸川は目立つのが苦手なので、この状態は彼にとってもあまり好ましくないはず。どうするものかと考えていると、彼はいきなり立ち上がった。


「ちょっっと待て!! 本命じゃないからな、義理だぞ、義理! 俺が本命とか貰う訳ないだろ」


 大声で叫ぶ彼に再びクラスの注目が集まり、ほぼ全員が納得したようだった。

 バレンタインは何も本命だけではない。女友達という可能性もあるからだ。失礼な言い方だが、それならば彼がチョコを貰うことも有り得る。


「なんだ、義理チョコかよ。驚かせやがって」

「勝手に勘違いされても困るなぁ~。俺は一言も"本命"だなんて言ってないしー」


 冗談めかした言い方で返してくるのがまたイラつくが、それよりも大事なことがあった。


 そう、何も本命だけとは限らないのだ。さっきまで忘れていたが、それは自分にも当てはまること。

 昨日桜井さんから貰った物も、あるいは──


 その時、ちょうど彼女と目があった。その顔はいつもの笑顔ではなく、悲しそうともいえない。どちらとも取れない表情であった。

 何を思っているのか理解しようとしたが、時間が足りなかった。


「はい、授業始めまーす」


 チャイムと同時に英語の先生が教室のドアを開け、授業開始を告げた。

 反射的に前を向くが、それでも桜井さんの様子が気になって、もう一度彼女の方を見た。彼女は既に、何事もなかったかのように教科書を広げていた。

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