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伝えたいこと

  優等生はこちらの提案に乗ってきた。後は早川に伝言を伝えれば全てが収まる。

  物理室を後にして、俺はすぐに早川を探した。文系の教室がある方の階段から2年の教室がある3階へと上がり、2-Aから順に中を覗いていく。

  しかし早川の姿はどこにも見当たらず、結局俺は自分のクラスである2-Eへと戻る形になった。


  締め切られた扉を開け中に入ると、クーラーの良く冷えた空気と、クラスメイトの注目の視線が俺を出迎えた。

  昼休みの時間もそこそこ経過したところで、物理の用意を抱えて戻ってくれば目立つのはわかる。

  また絡まれる前に荷物を置いて早川を探しに戻ろうと、俺は足早に自分の机に向かった。


「……ねえ、ちょっといい?」


  すると後ろから声をかけられる。もう勘弁してくれと思いつつ、渋々、俺は振り向いた。

  数人の女子が徒党を組んで目の前に立っていた。既視感のある光景に、なんだか頭が重くなったような気がした。


 ◆


「……余計なことをしてくれたもんだ」


  女子の集団からはすぐに解放され、俺は屋上手前の階段へと向かっていた。そこへ行くように女子たちに言われたからだ。

 

 やってることがボスのそれだ。今回の一連の騒動のラスボスが七島優子だとしたら、さしずめあいつはクリア後の裏ボスか。裏で人知れず作戦を立て、七島(ラスボス)を引っ張り回したわけだし、ぴったりだろう。



 女子の集団を使い、俺を呼び出した張本人、早川陸央は屋上の階段に座って、呑気に一人で弁当をつついていた。


 俺が来たことに気付くと、早川は手を振った。


「ちゃんとクラスの子たちと話は出来た?」


  早川の質問に、俺は首を横に振って答える。


「一方的に謝られただけで話をしたって感じじゃないな」


  女子たちが俺にしてきたのはこれまでの俺の態度に対する謝罪だった。

「事情を知らずにひどい態度をとってゴメン」とばかりに一方的に謝罪の言葉をぶつけられた。


「補習になった七島さんを助けるような人が、そんなことするはずないってわかったんだとよ。全く良いことはしておくもんだな?」


「そんな皮肉たっぷりに言わなくてもよくない? 結果的に優子を助けたのは本当のことでしょ?」


「まあ……そういう認識になってんだよな」


 友人の傍観者に聞かずともそれはわかった。俺は「優等生を泣かせた犯人」から、「補習になりかけた優等生を助けた人」になっていた。


「すげえよな。そうなってくると優等生を無視したのも、ちょっと印象が変わるだけであえてそうしたって、一転して良いことをしたみたいになるんだからよ」


「……実際そうだったんじゃないの? 私はまだあんたなりに考えて優子を無視したと思ってるよ?」



「違う。面倒だから無視した。何度も言うが俺にあの優等生を心配する理由はないんだよ」



  自分の意志や行動を、後から実はこうだったと弁解するような真似はしたくない。


「……じゃあどうして優子をあのとき助けてくれたの? 優子のことを無視してれば補習を受けずに済んだじゃない。早く帰れたんだよ?」


「……昨日がお前らの作戦の決行日じゃなかったらそうしてたかもな」


「その作戦だってあんたには関係ないって話だったでしょ? もし協力してくれなかったって私や愛田君は何も言わなかったよ」


「そんなの後からならなんとでもいえる。それに、お前らには借りがあった」


「借り? そんなのあったっけ?」


「俺が七島を泣かせた犯人だと疑われた時、弁護に来ただろ」


「あー……あれかあ。でも全然役には立てなかったけどね」


「確かにな」


「はっきり言うね!? もうちょっと気遣った言い方とかしてくれても良くない? 役に立たない私が悪いんだけども!」


「そういう気づかいが出来てたら、そもそもあんな疑いはかけられてねえよ」


「そこまでわかってるなら実践しようよ!」


「わかっててもやりたくないことはあるんだよ。あれだ、勉強と同じだ」


「うぐっ、その例えですんなりわかってしまう自分が嫌だ……」


「理解してもらえたようで何よりだ」


 そこで俺はスマホの時計を見る。昼休み終了10分前。次は終業式だ。この日を逃せば俺が早川と話をする機会は当分なくなるだろう。言ってしまうのなら今しかない。あくまで自然に俺は本題を切り出した。



「そういえば、七島から伝言を預かってきてる」


「……また?」


「まただ。さっきの物理の授業のときに頼まれた」


 早川は渋い顔をしていた。あまりいい話題ではないことを直感的に理解したのかもしれない。


「そんな顔しなくても、それほど悪い話じゃねえよ」


「いやいや……私に直接言ってこないってことは、言いにくいことってことでしょ? たぶん昨日のこと絡みなんだろうけど」


「さすがにある程度予想は出来てるか……なら、心して聞け」


「うげえ……何言われるんだろ」



  俺は七島から預かった伝言を早川に伝える。早川は身を固くしてそれを聞いていたが、


「……テストにリベンジするために補習を受けたあ?」


 聞き終える頃は呆れてしまったのか、ぐってりと全身の力を抜いていた。


「優子らしいといえば優子らしいんだけど……らしすぎるというか。そっか、そこまでするかあ……」


 早川は苦笑する。


「つまり私は優子が自分から補習を受けようとしてるのを知らずに、優子を補習から引っ張り出したってわけか」


「いや、それは違うぞ」


 その認識ではダメだ。それではこの伝言を俺が伝える意味がない。


「違うって何が?」


  早川は首をかしげていた。


「よく考えろよ。七島が補習を受けるのを邪魔をしたのは誰だった?」


「え? 私でしょ?」


「違う。七島が補習を受けようとしたのを邪魔したのは俺だろう」


「ん? どういうこと?」


「俺は七島が自分から補習を受けようとしていたことを、補習が始まる前からわかってたんだぞ?

 つまり、七島が補習を受けたがっていることを事前にわかってたってことになる」


「そういえばそんなこと言ってたような……」


「そして俺はそれをわかったうえで補習者リストの間違いを指摘して、七島と入れ替わるように補習を受けた」


「うん。おかげで私は優子を引っ張りだせたんでしょ?」


「そうだが、言いたいのはそこじゃない。七島がしたいことがわかってたうえで、俺はそれを邪魔した。そこが重要なんだ」


「なんかそこだけ聞くと嫌がらせみたいだね」


「みたいも何も、嫌がらせだしな」


「そっか。嫌がらせか……え? 嫌がらせ?」


「そうだ。嫌がらせだ」


 早川の復唱に合わせて、もう一度はっきりと言う。



「俺が補習を受けたのは、お前らの作戦に協力したことにして借りを返しつつ、ついでに七島に嫌がらせをするためだったんだよ」


「……待って待って、じゃああんたはわざわざ優子に嫌がらせをするために、あんなに優先してた家に帰るのを遅らせてまで補習を受けたの?」


 早川は手を前に出してうんざりしたように言う。



「そういうことになるな。……それで優等生の伝言の件に戻るが」


「待ってよ。私、あんたの理由に全然納得できてないんだけど」 


「残念だが時間がない」


不満顔の早川には取り合わず、俺は話を続けた。


「七島からの伝言の内容は、

『誰にも気づかれずに学校から抜け出せるとは思わなかったから、その代わりに補習を受けた』だ。

 逆を言えば、誰にも気づかれない算段があれば学校から抜け出したってことになる。

 現時点で、七島が部活をサボって学校を抜け出したことに気付いてるやつはいないんだろ?」


「……そーだね」


 早川は口を尖らせて、そっぽを向いていた。だいぶご機嫌斜めのようだが、フォローはしない。



「それなら、七島はお前がしたことに文句はないってことだ。お前は七島が補習を受けたがっていたことを知らなかった。

 だからこそ、七島は全部が終わった後だってのに、俺にこんな伝言を頼んだんだ。手違いで補習を受けることになったのに、それをあっさり受け入れて、補習に連れていかれた理由を他でもないお前に知ってもらうために」


「確かに……どうして全然抵抗しないんだろうとは思ってたけどさ」


「そこで俺が嫌がらせをしたから、七島の計画は崩れた。七島は俺に早川への伝言を頼むことで遠回しに俺に文句を言ってるんだよ。『よくも補習の邪魔をしてくれましたね』ってな」



 ……本当は違う。俺は七島の伝言をただ言葉の文字列として伝えている。

 優等生の口調に含まれていた批判的な響きを俺は意図的にそぎ落としている。


 そこまで忠実に伝言を伝える必要はない。伝言を伝えれば、役目は果たせるのだから。


「……本当に回りくどいなあ」


 早川も呆れていた。俺も、そしておそらく七島も、回りくどいことをしている自覚はある。

だがそれも、何もなかったことにするために必要な回り道。認めたくはないがそこの利害はお互いに一致している


「じゃあさ私も言わせてもらうけど」


「……おい、もう伝言役は勘弁だぞ」


 辟易したように言う。


「だいじょうぶ。優子には直接言うから」


「……には?」


 早川は立ち上がると、階段を降りて俺と同じ目線のところに立った。


 そして、息を吸い、大きな声で


「二人ともそれで私を騙せると思ったら大間違いだよ!」


  そう、俺に言い放った。


「……何の話だ?」


 急に声を上げた早川を冷めた目で俺は見る。


「今のあんたがしてくれた話のことだよ。優子と作ったでしょ? そんで、あんたが勝手に作った話を捏造したのかな? ともあれ、優子が文句を言ったのは、あんたに、じゃなくて本当は私に、でしょ?」


 予想しないところからの的を得た指摘。うろたえなかったといえば嘘になる。


「なんでわかったかって? わかるよ。優子のことは。何が嫌で、何をしたくないかぐらいはね。伊達に幼稚園から一緒じゃないよ?」


「……お前らそんな長い付き合いだったのか」


「うん。実はあんまり知られてないけどね」


 早川はそこで一呼吸置いた。


「……私は優子は学校を抜け出したくないことはちゃんとわかってた。わかってたけどそれでも優子を学校から連れ出すべきだって思ったから、優子を連れ出したんだ」


「……なんだって?」


「ちなみに、愛田くんもそこらへんの事は説明してあるよ。合意の上で協力してもらいました!」


「はあ? そんなんであいつが協力したってのか?」


「『自分から学校から抜け出すような人じゃなくて良かった』だってさ。優子に悪いことさせるのはダメだけど、代わりに自分が悪いことする分には問題ないらしいよ」


「おい、それでいいのかあいつは! というか、それよりも!」


  今この話題を追っても仕方がない。それよりも今聞きたいことは。


「……どうして、俺が話を作ったとわかった?」


  荒れていた声を 落ち着けて、尋ねる。


「簡単だよ。見たことのあるやり方だったから」


  早川はすんなりと答えた。


「私があんたの誤解を解きに教室に行った時、逆に、私はみんなに優子のことを話すように追い込まれちゃった。そこであんたは、自分が憎まれ役になって話の矛先を自分に向けたよね?」


「……あれは、ただ事実を話しただけだろ」


「話しちゃいけないことを話さないように工夫して。でしょ? 起きたことからそれっぽい理由を考えて、本当みたいな話を作った。それで実際に優子が補習になりかけたのはビックリしたけどね」


 早川はしたたかに笑う。そして、核心をつくようにまっすぐに俺を見た。


「今の話も同じだった。優子から預かった伝言をもとにして、私に聞こえのいい話を作ったんでしょ?」


「………」


「認めたくないならいいよ。口で負かしたいわけじゃないから」


 早川は柔らかく笑う。


「でもわかってほしいな。あんたがしてくれたことに気づいてるってこと。それが何なのかは野暮だから言わないけど、わかってることが伝わらないと、わかってもらえない言葉もあるから」


 早川は俺のすぐ近くまで来て、こう言った。


「……ありがとう。あのとき助けてくれて。とっても嬉しかったよ」

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