無為と有為
探していた池尻とは職員室を再度訪ねる際に会うことができた。
「テストの採点ミスに自分で気づいて、自分から補習を受けに行って合格したから勘弁してください。」
と、申し訳無さを全面に押し出して頭を下げると、池尻は笑いながら許してくれた。
それ以上追求されるようなこともなく、念のために用意していた解答を細工した解答用紙の必要もなくなり、俺は池尻と別れてからそれを細かく破ってトイレのゴミ箱に捨てた。
…これで懸念していたことは全部解消された。後は夏休みに入って時間が経てば誰も俺たちがしたことに疑問をもつことはなくなるのだろう。
職員室で借りた鍵で教室に入り、誰もいない教室で一人、自分の席に座って考える。
俺は完全に悪意を持って七島の計画を妨害し、そして、結果的に早川に協力をした。
協力をしたことを後悔はしていない。おかげであの優等生相手にやり返すことができたのだから。
それで恨まれることになっても、俺には関係がないことだ。俺は七島を助けようとしてこんな面倒なことをしたのではない。
…だが、七島優子の親友は違うだろう。
本当に何も気づいていないで、勢いのまま連れ出していったのか。
あるいは気づいていて、それでも七島を連れ出すべきと思っていたのか。
「わかっているのか、いないのか。」
…助けるつもりでやった行為が、実は迷惑だったと知ったとき。あいつはどんな反応をするのだろうか?
◆
「ハゲだ!ハゲがいるぞ!!」
事を済ませ、一人静かに文庫本を読みふけっていた俺はそんな叫び声に顔を上げる。
教室にはクラスメイトがもう何人か来ていて、そいつらも何事かと廊下を見ていた。
その発見の声には心当たりがあった。しかし、だからどうしたということもなく、俺はまた視線を文庫本に戻す。
「やあ。見に行かないのかい?」
すると声をかけられる。誰かはわかっていたので本に視線をやったまま、
「お前こそ。見に行かなくていいのか?」
「昨日、変身するところから見たから今日はもういいかな。」
「そうか。まあ、お前があんな事件を見逃すわけがないよな。」
廊下での騒ぎにつられてクラスに人はいなかった。ちょうどいいとばかり俺は聞く。
「早川たちの作戦は上手くいったのか?」
「上手くいったんじゃないかな?彼の剃髪は桜井先生が涙ながらに行っていたから。部活を見に行くところではなかったと思うよ。」
「じゃあ、あいつらの行動に違和感を覚えているようなやつは?」
「それもないよ。彼が全部話題を掻っ攫っていったからね。おかげで七島さんが補習者リスト入りになっていたって話もすっかり立ち消えてしまったし。もしここまで考えて彼がああしたのなら脱帽モノだ。」
「…まあ、スゲーやつではあるよな。」
「おや、君が彼を素直に褒めるとは珍しいね。」
「それくらい今回やったことはスゲーってことだよ。色んな意味で、だけどな。」
…とりあえず、あのバカの努力は無駄にはならなかったようだ。それが唯一の救いだろう。
「失ったものはまた得ればいい。俺達はまだまだ若いんだからな。」
「そうだね。全くもってその通りだよ。きっと彼は後悔はしていないと思う。」
…本当に後悔をしていなそうだからあいつは凄いと思う。
俺達は一切、笑わなかった。今回のそれは笑うような話ではない。
これは、物理の補習の影で一人戦いに挑んだ男がいたという、後代の同窓生にまで語るべき武勇伝だ。
だから俺達は笑わずに、昨日何があったかを入念に確認し合った。
職員室で何があったのか?
野球部から神器の提供のときはどうだったか?
剃髪式に参加した先生の心境はいかなるものであったと推察できるのか?
やつの行動を全てを余すところなく記録し、神の新たな伝説の1ページを制作する。
--それが全てを見てきた者の役割。俺達が協力をする数少ない瞬間。
…後に、昨日の物理の補習の影で起きていた、 通称「神」こと愛田公平が、
金髪剃り込み頭で職員室に殴り込みをかけるという事件、及び沈静化に至るまでの経緯は、
用もないのに学校に居残って、全てを見ていた傍観者、天城望(と、その友人)の手によって取りまとめられ、このように語られることになる。
「髪は死んだ。」と。




