弁護
容疑者になって、それからというもの。特になにも起こらなかった。
拍子抜けするほど平和そのもので、俺は静かに夏休みの課題を消化していた。
どうやら連中はこんなときでも暗黙の了解『勉強している奴には手を出さない』を守っていたようだ。
七島優子が泣いたことで俺を悪者扱いする連中ならば、おそらく遵守しなければならないことなのだろう。 神の一件で愛田が作り出した不文律が地味に役立っていた。
「静かだ……静かすぎるね。あはは」
何が面白いのか全くわからないが天城は声を殺して笑っていた。
こいつの方が俺よりよっほど容疑者らしいと思うのだが、実際は違うらしい。
もう飯時だと言うのに教室は静かなものだった。授業中でもうるさいときはうるさいウチのクラスが、昼休みにこんなに静かなのはもはや珍事だ。
俺は夏休みの課題をやりながら、現在の2-E教室の状況を把握する。
廊下側にある俺の席の周りには誰もいなかった。
昼休みの時には窓際の席の方が人気があるので廊下側は比較的空いているのだが、今日は授業が終わった瞬間、周囲二つ分の席まで人が消えた。
天城は傍観者らしく、俺とクラスメイト達が座っている席の中間、背面黒板の近くの席に座って教室の様子を眺めている
そして、窓際には人の群れ。奴らは机を合わせてグループになることで防壁を構築している。精神的にも物理的にも俺は距離を取られていた。
はっきりと分かれた勢力図。これはこれで平和でいいんじゃないだろうか。
しかし、やはりと言うか、この平穏も長くは続かなかった。
「お邪魔するよ!」
静寂を破るように教室後方の扉が開け放たれる。
そこに現れた人物にクラスメイトの注目が集まった。
「ねえ、あんたが優子を泣かせたって話を聞いたんだけど」
入ってきたのは早川だった。真っ直ぐに机に向かってきて俺の前に立つ。
俺は顔を上げる。早川は俺ををまっすぐに見ていた。
「俺はなんもしてねえよ」
俺に言えるのはそれだけだった。疑われている状態で多くを語っても意味はない。
「それはわかってるの。あんたが優子に何もしてないってのはわかってるんだ」
早川はぐるりと教室を見回した。俺の周りの閑散とした空間を見てこいつは何を思ったのだろうか。窓際の連中を見据え、事態を把握したかと思うと、
「私はね、あんたの疑いを晴らしに来たの」
……多分、俺は怪訝な顔をしていたと思う。それを早川も奇妙だと思ったのか、
「その意外そうな顔は何よ?」 と理由を尋ねてきた。
「いや、どうするつもりだお前」
「決まってるじゃないの。皆に言うのよ」
俺が待ったをかける間もなく、早川は教室の中央に進み出て、窓際に固まった連中に向かって宣誓した。
「聞いて!昨日優子が泣いたことと、こいつは関係がないの!」
当然、反応が返って来る。
ひそひそ話を開始するもの、驚きを口にするもの、色々いたが、一番多かった反応はこれだ。
「……じゃあ、どうして七島さんは泣いたの?」
「それはわかんない! 授業中に泣いたって言うのも人に聞いて初めて知った!」
クラスメイト達の疑問に早川はきっぱりと答えた。
「それでも、こいつが関係ないってのは言えるよ!」
言葉には力があった。そこまで言ってくれるのはありがたいが、それだけでは連中は納得しないだろう。
「泣いた理由がわかんないのに、どうしてそいつじゃないって言えるんだよ?」
男子の一人が手を挙げる。
「うーん、難しいなあ……なんとなくじゃダメだよねえ」
早川はうんうん言いながら頭を捻っていた。
「友達だから、かなあ」
「はい?」
呟いた声に反応したのは俺だ。早川が振り返る。
「違った?」
「違うって話を前にしなかったか?」
「えー、じゃあどう説明すればいいのよ」
「待って、ちょっと、ストップストップ」
教室中央、窓際寄りに座っていた、立場表明としては中立よりな女子が待ったをかける。
「変な会話が聞こえたんだけどさ、二人って友達じゃないの?」
早川が俺の顔を見る。どうすればいいかな? と無言で聞いてきたのがわかった、
……嘘も方便と言うしな。今回ばかりは仕方ない。
俺は頷いて、早川に一時的な許可を出す。
早川はこくん、と頷くと、前を向いて言った。
「私はそうだと思ってたんだけどね、あいつにとっては違うらしいよ」
「あいつは何様なの?」
尋ねてきた女子は吐き捨てるように言って、窓際へと歩いて行った。
「お前なあ……正直すぎるわ」
「えっ、だって本当のことじゃない。それとも違った?」
「違わないけども」
考えてみれば俺とこいつとサイレントで意思疎通などできるわけがなかった。
……早川さんと友達になれないとか相当よ……
……やっぱ人格に問題があるんじゃ……
……あいつはやばいわ……
先ほどよりもはっきりと聞こえる非難の声。
俺の下がっていた評価が見事、着地を果たしたようだ。
「さっきよりも嫌われてないあんた?」
「……さあ、どうしてだろうな」
見れば天城が口元を押さえて俯きながら必死に笑いを押さえていた。
昼休みに解決するとはなんだったのか。むしろ事態が悪化してるんだが。
「ちわーっす。うお、なんだこの状況」
その声に天城が目を見開き顔を輝かせる。逆に俺は自分の顔がこわばったのがわかった。
「なんかトラブルっすか?」
「お、いいとこに!ちょっと手伝って!」
「なんすかなんすか?」
早川がこしょこしょと事情を説明し、そいつは頷いた。
「つまり、こいつが七島さんを泣かせていないことを証明すればいいってわけっすね」
「お願いするよ愛田君!」
愛田は俺を見ると、任せておけよと不敵に笑う。
不安しかなかった。
「皆聞いてくれ!」
愛田は矢面に立ち、わざとらしい咳払いをして声を整えた。
「驚くべきことにこいつはまるで七島さんに興味がない!」
愛田が言い放った事実に教室が騒然とする。
「つうか女子にも興味があるかも怪しっ……あだぁ!」
言い終える前に、俺は愛田の太ももに全力で蹴りを入れた。
……ダメだこいつらは。 一瞬でも頼りにした俺がバカだった。




