正解
「いや、何で?」
まず出てきた言葉はそれだった。どうして俺が七島優子を泣かせたなんて話になっているのか。
「誤解と言うかすれ違いと言うか……いや、見当違いが一番しっくりくるかなこの場合」
天城は薄く笑っていた。
「君の最近の行動を皆が見ていてね。それに様々な要因が上手いことかみ合って君は容疑者になったようだ」
俺はもう一度クラスメイトがいる窓際を見る。もう結構な人数がこちらを見ていた。
決して気分がいいとは言えない光景。
「そんなに気になるなら直接聞きに来いよな」
「知らない人に話しかけるのは勇気がいるものだよ。容疑者って言うなら尚更ね」
「容疑者はともかく知らない人ってお前。一応はクラスメイトだろ」
「割と本気で君の認識はその程度って話さ。君は話題にすらされていないって前にも言わなかったっけ?」
「……まあ、確かにあの中に知人と呼べる人間はいないけどよ」
正直、フルネームが怪しい人間がちらほらいる。顔くらいは流石に全員覚えたが、それでも人の名前と顔を覚えるのはどうにも不得意だ。
「しかし、天城。どういう経緯があって俺は容疑者になってんだ?」
「あ、やっぱり気になるんだ?」
「自分のことだしな。それに把握しておかないとまた要らん誤解を生みそうだ」
「ふむ、じゃあ話してあげよう」
「頼んだ」
俺はシャー芯を出しながら話を聞く。こんな時だが課題を進める手を止める気はなかった。
「きっかけは、先日に行われた君と早川さんの鬼ごっこだ」
「は?」
出したばかりのシャー芯が折れてあらぬ方向に飛んでいく。
出だしから意味不明だった。
「鬼ごっこって、俺が早川からの部活の勧誘から逃げてたやつのことだよな?」
「へえ。あれって早川さんからの部活の勧誘から逃げてたんだ」
「あれ? お前知らなかったのか?」
確か、俺が陸上部のエースと対決している話の時に早川からその話が出ていたはずだが。
「君が早川さんから陸上部に勧誘を受けていたことは知っていたよ。それとなくだけどね。でも君から、ちゃんと、直接、聞いたのはこれが初さ」
「……いやに細かいな?」
「大事なことだからね」
天城はちらりとクラスメイトを見てから言う。
「この通り、僕らは君が早川さんから逃げていた理由を知らないんだ。わかるのは君が指名手配……ふふ、いや、あれは人相手配だね。くくっ、されるくらい早川さんに全力で追いかけられてたってこと」
笑い交じりに話し始めた天城だったが、堪え入れずに途中から声をあげて笑いだした。
「……急に笑いだしてどうした」
「いやあ、だって、イケメンでもなければブサイクでもないってリアル過ぎてさ……早川さんって君には酷いよね」
「うっさいわ。いいから答えてくれ。俺が早川に追いかけられてたことと、俺が七島泣かせの容疑者扱いされることとどう関係があるんだ」
「うん。順を追って説明するから最後まで聞いてね?」
天城は目尻を拭って息を整えてから話だした。
「えー、まず君は、早川さんとの間に何かがあって逃げていた。それは大多数の人が目撃しているし、実際早川さんによってSNSを使って捜索だってされている」
俺は頷く。だからそれがどうしたと。
「はい。では、ここで問題です」
ババンと、天城がセルフで効果音で挟んだ。
「何の事情も知らない人が、誰かから追われて逃げている人を見たとき、抱く感想はなんでしょうか?」
「はあ?」
天城は、俺の回答を待たずに答えを言った。
「答えは、『何をやらかしたんだろう?あいつは?』だよ」
「俺があのときそう思われたってのか?」
「そうだよ。まあ、そのときは『なんだ、あいつ?』くらいで済んでたみたいなんだけどね。昨日の君の行動で疑念は容疑へと変わってしまったんだ」
「俺の昨日の行動?」
思い返して見ても昨日、何か目立つようなことをした記憶はない。
「なんだ。俺が何したってんだよ」
「それはね……驚くことなかれ」
天城は十分にもったいつけてからこう言った。
「なんと、何もしていない」
「はい?」
「だからさ、君はあのとき何もしなかったから疑われているんだよ。これまた面白いことにね」
天城はくつくつと笑っていたが、俺はただただ疑問符を浮かべるだけだった。
さっきから話が全く見えてこない。
「なんだ、どういうことだ?」
「では、またまた問題です」
「またか」
そしてババンと効果音。第二問が始まった。
「隣の席で女の子が泣いてます。そのとき、横にいるあなたが取るべき行動は?」
答えを言われる前に今度はしっかりと俺は答えた。
「厄介になる前に離れる」
「正解!」
と、天城は膝を打ったが、すぐに力なく首を振る。
「……と言いたいけれど、どうやら違うらしいんだよね」
天城はつまらなそうに言った
「正解は、『心配をする。』らしいよ。要はさ、隣の席で女子が泣いたって言うのに、横で呑気に寝ているのはおかしいってことらしい」
「おかしいって……」
そんな理由で俺は今、疑われてるってのか?
文句の一つでも言おうとしたところ、その前に天城が俺を手で制した。
「まあまあ、あのとき何もしなかったことに対して、君なりに考えはあるんだろうけれどさ、そんなこと知ったことじゃないんだよ。あそこにいる人たちにとってはね」
天城はクラスメイトの方を見ていた。
「肝心なのは、君が七島さんの親友である早川さんに、何やら追いかけ回されるようなことをしていて、
無情にも泣いている女の子を見て見ぬふりをしたってこと。そこに何があるかなんてどうでもいいんだ」
俺はこちらに不審な目を向けている連中を見る。
「だってそうでしょう? 君にとってそうであるように、クラスのみんなにとっても君は赤の他人。話題性ゼロのよくわからないやつなんだから」
俺は黙って天城の言葉を聞いていた。
納得できない部分はいくつもあるが、それを天城にぶつけても意味はない。
「……俺が置かれてる状況はよくわかった」
俺は瞑目しながら息を大きく吐く。こんなことで腹を立てても疲れるだけだ。
「話のわかる人でよかったよ」 天城はにこやかに言った。
「じゃあどうするんだい?今から弁明でもするかい?」
「……どうもしねえよ。このままでいい」
と、ペンを持ち直して俺は課題を再開する。
「どうもしないのかい? どうもしなかったから君は疑われているのに?」
天城は意外そうに言う。俺はペンを進めながら答える。
「だからこそだ。疑われてるとわかった今、疑いを晴らすために動きだしたらそれは取り繕っているようにしか見えない。墓穴を掘るだけだ」
「それはそうだね。君は何もしていないから疑われているけれど、何もしていないからこそ犯人扱いは避けられているとも言える」
天城の言葉に俺は頷く。
「そうだ。だから俺は何もしない。連中に陰で何を言われようが構いやしない。
むしろ、向こうから勝手に距離を置いてくれるって言うなら望むところだ」
「あはは、それでこそ君だ」
天城は笑いながら言うと席を立つ。時計を見れば朝のSHRが始まる時間だった。
「でもまあ、誤解はすぐに解かれると思うよ」
天城は俺の方を向いて、軽い調子で言った。
「七島さんが泣いたって話であの二人が黙っているはずないからね」
俺はペンを止めて廊下の方を見る。
……勉強はできるバカと、諦めの悪い馬鹿の姿はそこにはなかった。
「あいつらなら今にも飛んできそうだが……」
「おや、なにやら不安そうだね?」
「事態がややこしくなる気がしてな。最悪、俺を犯人として糾弾しにくるんじゃねえか」
「あはは、それはないよ」
天城は俺の懸念を一笑に伏す。
「何でだ。勘違いしててもおかしくないだろ」
「大丈夫、大丈夫。君が七島さんに何もしてないのはわかりきってるから。多分、昼休みには全部終わってるんじゃないかな」
「何だその自信……「おはよう!ではHRを始める!席に着け!」
俺の声は鷲塚の力強い朝の挨拶にかき消された。
「おっと、席に戻らないと。まあ、昼休みを待つことだね」
天城は自分の席へと戻っていった。
昼休みになればあいつは確定で来るだろうが……それが解決策になるとは思えなかった。
課題を進めながら、しかし他に対策もないと、俺は大人しく昼休みを待った。




