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テスト返し

「では、テストを返すよー」


 水木金の三日間に及んだテストの結果は、土日を挟んだ月曜日にはすぐに返ってきた。


 月曜日の一時間目は現国で、テスト結果は42点。平均点を大きく下回ってはいたものの、二番目に自信がなかった現国がこれならば他の教科も30点を下回ることはないだろう。


 あとは、このテストの結果次第だ。

 時は月曜日二時間目。物理の時間。


「廊下側前の席から蛇の字で呼んでいくから、一人ずつ前に取り来るように」


 授業内容は当然、テスト返却。


「はい。どうぞ」

 

 池尻が着々と解答用紙を返却していく。その用紙はその点数次第で、同じ問題の解答を書いた用紙であるにも関わらず、受け取る意味合いが違ってくる。


「はい、さすがだねえ」

「ありがとうございます」


 成績上位者にとっては、自分の実力を推し量るための紙切れに過ぎないが、


「はい、もう少し頑張りましょう」

「やっぱノー勉じゃダメかっ……!」


 僅かな可能性にかけて特攻をかけた者には、補習であることを無情にも告げる赤紙になる。


「前回に比べれば頑張ったけど……うーん、惜しかったねえ」

「あと、一点……頑張ったのに~!」


 相応の努力を重ね、万全の準備をしても、努力が実らなかった者がいれば、


「はい」

「うーっす……お……?61点!?補習回避ぃ!ヤマ張って正解だった!!一夜漬け万歳!」

「はい、おめでとうー。でも静かにね」


 一晩だけの努力と、ヤマ勘という心もとない準備だけで、奇跡的に強行突破を果たす者もいる。


 理不尽だが、これがテストというもの。

 俺たちの成績を決める上で大半を占める要因は、勉強時間でも授業態度の良さでもなく、このテストでいくら点数を取れたかどうか、重視されるのは過程ではない。あくまで結果なのだ。


「はい。さすが」

「どうも」

「はい。残念」

「知ってた」

「はい、おめでとう」

「やったあ!」


 池尻のコメントと、受け取った者のリアクションで大体の点数は推測することが出来る。

「さすが」と言われているのは進学クラスの人間ばかりだった。合格点を取ってあたりまえだと思われているのだろう。


 そしてどうやら、普通クラスの人間が合格点を取ると、「おめでとう」と言われるようだ。

逆に、「惜しかった」「残念」だと不合格。


「じゃあ次の人~」


 そうこうしている間に俺の番が来た。真ん中の最後尾の左側の席に座る俺がこのテスト返却の折り返し地点。ここまでの不合格者はかけ声から察するに四割といったところ。物理室は死屍累々だった。


「うーん……どうしたものかな……」


 池尻は答案を受け取りに来た俺を一瞥すると、その視線を手に持っていた答案へと落とした。

 芳しくない反応に俺は息を呑んだ。良からぬ結果が脳裏によぎる。


「まあいいか、はい。どうぞ」


 池尻は何か言いたげだったが、結局、何も言わずに答案を裏返しで渡してきた。俺は軽く頭を下げて無言で受け取る。

 その場では点数を確認せずに、俺は自分の席に戻り、裏返しのまま机に置く。


(おめでとうでも、惜しかったでも、残念でもなく……まあいいか?)


 貰ったのはなんとも投げやりなコメントだった。期待されていないのは結構だが、どうせならはっきりと結果を告げてほしかった。

 おかげでいらんドキドキ感を味わう羽目になる。こういう落ち着かない感覚は嫌いだ。


 俺は一思いにテスト用紙を裏返す。気になるテストの結果は


 ―――「非常に惜しかったね」


 その声に教室から驚きの声が挙がる。言われたのは俺ではない。これを言われたのは俺の次にテストを受け取った人だ。


 答案を受け取っていたのは俺の隣の席、戸成高校一の優等生。七島優子。


 優等生はその場でテストの結果を確認すると、そのまま自分の席へ戻り、椅子に座る。優等生は自分の答案をずっと見つめていた。


(テストの点数がよくなかったのか、ご愁傷さま)


 俺はそんなことを思いながら彼女を横目で見ていたのだが、


「……っ」


 優等生は頬から涙をこぼした。 前触れも予兆もない、本当に突然のことだった。


 優等生はハンカチで目元をゆっくりと拭うと、答案の点数が書いてある部分を見えない様に細かく折りこみ、小さく畳んでノートの間に挟み込んだ。


 そして気を取り直した様にペンを握ると、いつもの問題集ではなく、授業で使っている教科書を開き、ノートへつらつら計算式やら図形やらを書き込み始めた。 ペンを持つ手には力が入っていて、まるで悔しさを問題にぶつけているようだった


 大抵のことには無関心を決め込む俺はあるが、流石にこれには少し動揺した。

 隣の席の人間がほんの一瞬とはいえ、泣いたのだ。

 それも、いつも感情の「か」の字も見せない機械のような優等生がだ。


 先行したのは……やはり、この優等生は得体が知れない。という不気味さだった。

 泣いた人間に対する感想ではないかもしれない。


 けれど俺は心配とか興味よりも先に、そういうことを思ってしまったのだった。


「はいはい!さっさと次の人はとりにくるように!」


 騒がしい教室を鎮めるべく池尻は大きく手を打ち生徒たちを大声でたしなめるが、話し声が止むことはなかった。


 テストは着々と返され、全員に結果がいきわたったものの、優等生の涙で一波乱、テストの結果で一波乱。物理室は騒乱めいた雰囲気を催してきた。


 そんな教室を鎮めるべく池尻が発した一言がこれだ。


「では、テストの採点に文句がある人は前に。補習で夏休みを終えたくない人は粘りなさい。60点以上なら補習免除ですよ」


 池尻が言い終えると、すぐさま半数近くの生徒が立ち上がって、池尻の前に列を成した。


「先生、ここ式はあってますよ!一点ください!!」

「いや、こじつけでしょこれは。ダメです」


「お願いしますよ! 補習なんていやです! 一点くらいいじゃないですか!」

「一点の重みを知るいい機会でしょ。諦めて」


 どうやら60点のボーダーラインを越えられなかった人間が、最後のあがきをするためにいちゃもんをつけにいったようだ。


 物理担当の池尻は今回、テストの点数をつけるにあたって部分点制度を導入したようで、答えが間違っていても、途中の式や計算があっていれば△マークをつけて、一点をくれている。俺の解答用紙にも大量の△が書き込まれていた。


 ぶつぶつ言いながらも池尻は生徒たちのほとんど言いがかりに対応していた。生徒は必死になって先生に食らいついている。


 ……そこまで一点に執着する気持ちが俺にはわからない。たかがテストだろうに。


 俺は、ひっくり返したままだった自分の答案の点数を見て、それから解答の正誤を確認し、折り畳んでズボンの後ろポケットにしまう。


 残った時間をどう使おうかと考えていると、次第に眠気が襲ってきた。もはや、物理の時間はお昼寝タイム。条件反射的に眠い。


 眠気にあらがうことなく俺は頬杖をつきながら、まどろみの中へとダイブして行った。



 ……自分がこのとき、さらなる過ちを犯していたのだと気づくのは、明日になってのことだった。


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