再結集
翌日、火曜日の朝。HR前の時間。
定期テスト前日ということもあり、どの生徒もテストのことを気にして、慌ててノートを友人に借りだしたり、机にかじりついて勉強をし出したり、出題範囲を予想しだしたり、出題範囲を確認しだしたりしていた。らしい。
「しだした、ということは、つまり、それまでしていなかった、ということだよ」
ここ数日、空いた時間の全てをテスト対策に充てて、脇目も振らずに机にかじりついていた俺に周りの人間がどうだったかなど知る由はない。他人に興味もないのでは尚更だ。
これらの外部の情報は全て、ある一人の男の、あくまで主観的な、それでいてとても客観的な観察の結果であり、俺はそれを一方的に聞かされたに過ぎない。
「その実、今日にいたるまで2-Eのクラスでテスト勉強をしていた人物はごくごくわずかだった。裏を返せば、これまで勉強をしないことこそが我が2-Eの大局だったといえる。故に、僕が勉強をしなかったのは空気を読んでのことなのさ。わかるかい?」
「御託はいいから勉強しろよ」
勉強をする俺の前で、天城は聞いてもいない言い訳を始め、俺はそれを一蹴した。
時は昼休み、明日の今頃にはテスト一日目が終わっている。それを知ってか知らずか、教室には騒がしさの中にも妙な緊張感があった。
目の前に座る傍観者はそんなのはお構いなしといったご様子だが。まさか、テストまで傍観を決め込むつもりなのか。
「ここまで来て勉強をするのはむしろ愚かだと思うんだ。ありのままの自分で勝負して、己の実力を正確に把握してこそ、真にテストを受けたといえるのではないかい?」
「思わない。いいから黙っててくれ。集中できん」
天城と意味のない問答をしている暇はなかった。
なんだかんだいいつつも俺だって学生。試験の結果はそれなりに意味のあるものなのだ。
「ふむ、それなら黙っていよう。けれど愛田君と違って、君は黙ってじっとしているとつまらないからねえ……」
黙ってじっとしているのに面白いやつがいるわけがないだろう。
そんなのがクラスにでもいたら、授業中に笑って集中できなくなる。存在が公害じゃないか。
「おいお前ら!」
「お、噂をすればなんとやら。お出ましだ」
見るまでもなく誰が来たのはわかった。
……うるさい。本当にうるさい。俺は勉強がしたいのだ。どうして静かにしてほしいときに限って騒がしいやつがやって来るのか。
「おう天城!ちゃんと飯食ってるか?」
「やあ愛田君。最近はしっかりと食べているよ」
「だろうよ!顔色がいいからな!」
なんでこいつらは親戚みたいなやりとりをしてんだ。
「何やら心配かけたみたいだな! この通り吹っ切れたからもう大丈夫だぞ!」
「特に心配はしていなかったけれどね。しかしその様子だと……決めたんだね?」
「ああ!俺はやることにしたぜ。今、早川さんに協力を申し込むところだ」
「そうかい! それは良いね! それでこそ愛田君だ!」
天城は声だけでもわかるくらいとても嬉しそうだった。
「おうよ! ここで動かなくちゃ男がすたるってもんだ! そんで早川さんを探してるんだが、ここにも来てないのか? 早川さんのクラスにはいなかったんだ」
「いや、こっちにも来てないね」
「じゃあ、どこにいるかのあてはあるか?」
「さあ? 僕は早川さんと親しいわけじゃないからね。彼女がどこにいるかなんてみんな目見当もつかないよ」
「困ったな、このままじゃ早川さんは一人で動き始めちまうかもしれん」
「昨日、一人で動くと言っていたからね」
「とりあえずここで待たせてもらうわ。もしかしたらこの前みたいに来るかもしれねえからよ」
「構わないよ」
と、愛田が天城の隣の席に座った。頼むから帰ってくれねえかな。
「おう。じゃあ、ちょっくら失礼して……ところで天城。こいつはなんで勉強してるんだ?」
「テスト前だからじゃない?」
じゃない? じゃなくてそうなんだよ。
「テスト前だから? じゃあお前はなんで勉強してないんだ?」
「テスト前だからだね」
「ん? 矛盾してねえか?」
「してないよ。テスト勉強するもしないのも人の自由だからね」
「それはそうだが」
「そういう愛田君こそ、どうしてテスト前に勉強していないんだい?」
「テスト前に焦って勉強しても点数は変わらねえよ。こういうのは継続が大事だからな」
「ははあ、大したもんだ。進学クラスに所属していることだけはあるよ」
「天城もそれだから勉強してないのか?」
「うん? まあ、そうだね。僕はありのままの状態でテストに挑みたいから」
「お! 俺と一緒だな。付け焼き刃の知識で点数上げても仕方ねえもんな!」
「そうだね。全く持ってその通りだ。今から頑張っても仕方ないよ」
かつてないほどの意気投合を見せた二人は大声で笑い出した。
「お前らよ……そういう話は他所でやれ。うるさい」
黙って勉強をしていた俺は俺は教科書を握り締め不快感を表す。
「ああ、勉強してんだもんな。すまん。静かにするわ」
「僕も悪かったよ。さあ僕らは気にせず勉強頑張って?」
本当に悪いって思ってんのかこいつら……言葉に全く誠意がないぞ、誠意が。
「しかしだ、勉強なら手を貸すぜ? よく忘れられるがこれでも俺は進学クラス。勉強に関しちゃお前らよりは自信あるぞ?」
愛田はドンと胸を打つ。
「やる気を出してるトコ悪いが、やってるのは生憎とこれでな」
俺は物理の教科書を見せる。
「げっ、よりよって物理か。俺は生物選択だから教えられねえや」
「そういうことだから黙るか席を外せ。邪魔だ」
「待て待て……流石に解き方は教えられねえが勉強法くらいは……」
「付け焼き刃の知識に、覚えたての勉強法でテストに挑んだら死ぬに決まってんだろ」
「生兵法は怪我のもとってか?どっちにしろ死ぬんだから問題ねえよ。悪あがきは止せ」
と、愛田は肩に手を置き、
「そうだよ。死なば諸共っていうでしょ?」
天城は悪魔のごとき笑みを浮かべて、手を差し出してきた。
「お前ら俺の邪魔をしたいだけだってことはよくわかった」
こぞって気を散らしてくる羽虫のような二人を教科書で払いのける。
これ以上勉強を邪魔されてなるものか。本当にこのままでは補習が現実味を帯びてくる。
「失礼しまーす。ここに愛田君はいますかー?」
今度は底抜けに明るい声が教室に響き渡り、俺は頭を抱える。
「うっさいのが増えた……」
「うっさいのとは何よ! 会って早々酷くない!?」
声の主は早川だ。いつもなら気にならないテンションの高さが、今はうっとおしく感じる。
……落ち着け。ここで当たり散らしても仕方ない。とにかく今は勉強をせねば……!
「頼むから放っておいてくれ……」
俺は荒ぶりそうになる声のトーンを抑えて言う。
「え、どったのよほんと……言われなくてもそうするけど……」
「早川さん、早川さん、ちょっと」
「ん、天城君なにかな?」
「今、彼はカリカリしているから近づかない方がいいよ」
どの口が……誰のせいだと思ってやがる。
「あーっと……早川さん、ちょっと話があるんすけど」
「はいよ愛田君。クラスの子から聞いてるよ。でも話は廊下でしようか。こいつに限らず、クラスの人はみんな勉強してるからさ。騒いで邪魔しちゃ悪いよ」
早川が羽虫二人を引き連れて廊下まで移動した。さすが早川さんだ。おかげで集中できそうだ。
心の中で早川に敬礼しながら俺は勉強を再開する。テストで使う公式はもう完璧だ。
後はひたすら問題の解き方を脳内で試行して、解法を頭に叩き込むのみ。
「あ、そうだ。よかったらこれでもどうぞ」
教科書の上にオレンジ色の飴玉が転がってきた。顔を上げれば早川がにこにこ顔でこちらを覗き込んでいた。
「差し入れ。勉強に糖分は大事らしいよ。優子から聞いたの」
早川は得意げに言う。
「……そりゃどうも」
俺はそれを受け取って口に放り込む。色通りの柑橘系の甘ったるい子供っぽい味だった。
こういう分かりやすい味付けは結構好きだったりする。
親からは舌が幼稚だと言われているが好きなものは好きなのだ。
俺がころころと口の中で飴玉を転がしている間に、三人は廊下に出て談合を始めていた。
「単刀直入に言わせてもらう!例の作戦、協力させてもらうぜ早川さん!」
「えっ!?急にどうしたの愛田君!?サボりはダメなんじゃ!?」
「ああダメだ!ダメだが……困ってる人をほっといて見て見ぬふりの方がもっとダメだ!それが七島さんのためだというなら尚更な!」
「そういうのはカッコいいとは思うけど……もう一人でやるって宣言したし……迷惑かけちゃわるいしさ……」
「俺が自分からやるっつてんだから迷惑じゃねえ!それにだ……どうしたって早川さんの作戦は一人でやるには無理がある。必ず協力者が必要になるんだ」
「えっ、そうなの?」
「ちゃんと説明する。まず初めに前提からしておかしいって話なんだよ……」
何やら三人はガヤガヤとやっていたが、勉強に集中した俺には何を話しているのかわからなかった。
声はほどなくして止んだ。おそらく作戦会議でもしに適当な場所へ移ったのだろう。
「……明日からテストだというのに余裕だな」
まあ、あいつらにとってはテストよりも優先しなければならないことなのだろう。
明日からの三日間は前期の期末試験。順位には興味はない。ただ放課後に行われる補習を回避できればそれでいい。
狙うは30の赤点回避。物理のみデットラインが60点なのは痛いが……やるしかない。




