愛田公平(あいだこうへい)
今日も無事にすべての授業を終えて帰りのSHRの時間となった。
しかし肝心の先生が来なかった。これでは帰りのSHRが始められず帰るに帰れない。
一刻も早く帰りたいというのにいったい担任は何をしているのか?
「やあ帰宅部君」
「おん? 天城か」
いつの間にか隣に天城望が横にいた。
天城は色白、やせ気味の見た目を裏切ることのない虚弱体質の持ち主。
肌が白い上に中性的な顔だちをしているもんだから一部の人間からはお人形みたいだと言われている、らしい。確かに細い身体に青白い肌は色白のこけしに見えなくもない。
体育では大抵見学しているか、その場にいるだけ。クラスでも目立つ方ではなく、いつも教室の端で静かにクラスの様子を眺めている。
そんな自分を天城は「傍観者」と自称する。クラスメイト達にもその呼び名は浸透しているようで、俺も時々そう呼ぶことがある。
「天城、先生はどうしたか知ってるか?」
「すぐに来るよ。さっき廊下を走っていたのが見えたから」
天城はいつも周りの様子を伺っている。だからいつ、誰がどこにいたかをすぐに答えることができるという地味に便利な特技を持っている。
「じゃあすぐ来るんだな」
「うん。もう来た」
ドカドカとせわしない足音ともにドアが開け放たれた。
「私用で遅れた!」
現れたのは筋肉ゴリゴリの中年マッチョだった。そのアウドドアな見た目に反して担当教科は美術。
しかし美術部ではなく陸上部の顧問。というあべこべな役職を担っている。
名を鷲塚直行と言い、我が2ーEクラスの担任である。
俺たちはそんな先生を歩く筋肉とか、そのまんま「筋肉」とか好き勝手に呼んでいるが、本人はたいして気にしている様子はなく、むしろ喜んでいるふしさえあるから大物である。
「連絡!再来週にはテストだから今から準備しておくように!!以上!解散!」
鷲塚はそれだけ言ってまたどこかへ走っていった。
終了までわずか5秒。これが鷲塚直行名物の超高速SHRである。部活バカの多いうちのクラスでは部活に早く行けるとあって、この超高速SHRは大好評である。
無論、部活に所属していない俺にとっても帰宅時間が早くなるので大変都合が良い。帰るのが早くなって喜ばないやつはいないのだ。
すでに帰り支度を終えていた俺は鞄を持って立ち上がる。
「あ、ちょっと待って。帰宅部君」
天城が俺を呼び止めた。
「あんだよ。つうか、お前だって帰宅部だろ。」
部活動が盛んなここ戸成高校において、帰宅部は少数派である。うちのクラスでは俺と天城しかいない。
「僕ごときが帰宅部を名乗るのはおこがましいからね」
「何を言ってんだお前は」
「急いだ方がいいよ。すでに彼が下校を開始しているだろうから」
天城は廊下の方を眺めながら言う。俺はその視線の先を見て、それから時計を見た。いつもよりも下校タイムが三分遅い。
うちのクラスのSHRはあのように超高速なので、いつもなら学年で一番に下校することができる。
しかし廊下が騒がしいところみるに、今日は他のクラスが先に下校を開始したようだ。
「じゃあな。天城」
別れの挨拶もそこそこに、俺は教室を飛び出して階段を駆けおりた。
その途中で他のクラスの帰宅部たちとすれ違う。このクソ暑い7月に、折り目正しくYシャツを中に入れている。十中八九、進学クラスのやつらだ。
俺は階段を降りる足を早める。やつよりも早く帰路につかなければ。
◆
「面倒なことになったな…」
結論から言えば、俺は間に合わなかった。
昇降口を塞ぐように仁王立ちしていている男を見て俺は思わず舌打ちをする。
その男の名前は愛田公平。てかてかとした色黒の肌に坊主頭という野球部のような風体をしているが、俺と同じ帰宅部である。
俺と愛田は、普段は一緒に(なし崩し的にだが)飯を食べたり、忘れ物をしたときには貸し借りをする(ジュース一本奢りで)くらいには交友がある。
おそらく、クラスのやつらは俺と愛田が友人関係にあると思っているだろう。
だが、俺にとって愛田は友人(仮)であって、決して友人ではないのだ。
「遅かったじゃねえか」
俺に気付いた愛田は口角を釣り上げ、腰を落とす。
「さあ今日こそ」
……今、こいつに捕まることは。
「お前の家で遊ぼうぜ?」
……帰宅部とって死を意味する。
この、『友人同士なら放課後に遊ぶのが普通だ。」という考え。俺が愛田を友人だと思えないのは、この前提がこいつの頭にはあるからだ。
そんなやつと友人になってしまった場合どうなるか? 俺は予期せぬ来客に怯える日々を送ることになるだろう。そんなのはごめんだ。
さらに厄介なことに、俺の家には「誰かが家に来たらちゃんともてなす」という決まりがある。
それは母と父の決めた唯一のハウスルール。勉強に関しても生活に関しても放任主義の両親が俺に課すたった一つの決まり。
俺はそれだけは絶対に守らねばならない。
家に来られた時点で俺の負けは確定だ。なんとしても俺は愛田から逃げないといけない。
お互いの有意義な放課後をかけた勝負が今。始まろうとしていた。
「…くらえっ!!」
先に動いたのは俺だった。下駄箱から自分の靴を取り出し愛田に向かって投げつける。
「あぶねっ!」
愛田は身をねじってそれを躱す。投げ出された靴は昇降口にベストな配置で転がった。占いなら明日は晴れるだろう。
俺は上履きをその場に脱ぎ去って、靴のある方へ駆け出す。
「逃がすか!」
脇を押し通ろうとする俺のワイシャツの裾を愛田が掴む。が、俺は体を捻って強引にその手を振り切った。そして投げ出された靴を履き、そのまま走り出す。
上履きを下駄箱にしまう余裕はなかった。誰かが俺の上履きをしまってくれるのを祈ろう。
大丈夫、こんなこともあろうかと上履きに名前は書いてある。
「待てやぁ!」
愛田は素早く身を翻し俺を追いかけてくる。愛田の運動能力はそれなりで俺より足は遅い。
だが、愛田は徒歩通学。駐輪場まで自転車を取りに行く必要がない分、チャリ通学の俺よりも下校時のアドバンテージがある。
それなりに距離をつけないと自転車を引っ張り出しているときに俺は捕まってしまうだろう。
さて、どうしたもんかと頭を悩ませていたとき、
予測不能の事態は起こった。
「って!お前上履きしまってねえじゃん!」
なんと愛田が俺の上履きをしまい始めたのだ。しかもご丁寧に両足を揃えて。
……愛田が変なところで真面目な奴なのは知っていた。しかし、こんなときにそれが発揮されるとは。
俺はこの機を逃さず愛田より二足早く駐輪場へとたどり着く。それから自分の自転車を引っ張り出して、引っ張り出した勢いのまま、自転車に飛び乗る。
「逃がすかあ!!」
愛田は猛然と駐輪場へと走ってきていた。俺はペダルを踏み込む。徐々に最高速に乗っていく自転車。愛田がすぐ近くまで迫って手を伸ばすがそれが俺に届くことはなく。
「そんじゃあな」
俺は振り返りながら離れていく愛田に別れを告げる。
「くそっ!!次こそはお前んちに遊びに行くからなあああー!」
愛田がなにやら叫んでいたが、俺は気にせず帰路につく。気分はウイニングランだった。