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「友達かよ」

「危機は去ったようだね」

 昼休みも終盤にさしかかったところで、天城が教室に戻ってきた。


「もう逃げなくていいのか?」

「うん。一度捕まったからね」

「捕まったのかよ」

「僕にしては粘ったけどね。やっぱり運動部には勝てないよ。うん」


 伊達に傍観者とは呼ばれてないんじゃなかったのか。

 しかも今日の早川は寝不足で万全とはいえない状態だ。本調子なら粘ることもできずに瞬殺されていただろう。


「彼女、巻き込むような真似をして悪かったって謝りに来たよ。律儀なものだね。それから一人でやるから心配無用だとも言ってた。うんうん、殊勝なものだ」


 天城は他人事のように感心していた。実際、他人事なのだが。


「しかし、一人でやれば失敗した時に自分一人のせいにできるから一人でやるとは、いかにも早川さんらしい理由だよね。これなら話だけでも聞けばよかったかな」

「そんなことを言ってもお前は、話を聞くだけで協力しないんだろ?」


 俺は天城を見ることなく言う。


「そういう君だってそうでしょう。君は自分にメリットがないなら動かないんだから」

「俺を冷たいやつみたいに言うよな。お前は」

「あはは、お互い様だよ」


 天城は笑いながら言う。俺が協力する気がないことはいうまでもない。


 ……しかし、やはりというか、早川が一人でやると言い出したのは、他人に迷惑をかけないためであるらしい。

 早川お得意の相手に過失がないようにするための立ち回りなのか、それとも単純に俺たち三人があてにならないと気づいたのか。


 まあ、どちらにしても俺にとっては都合がよかった。今はとにかく勉強である。


「……ところで、愛田君は戻ってくると思うかい?」

 

ふと思い出した様に天城が言う。


「なんだ?藪から棒に人の心配か?」

「今や彼は数少ない僕の友人だからね。心配するのは当然さ」

「おお…」


 俺は思わず感嘆の声をあげる。


「何か変なことを言ったかな僕は」

「いや、お前が人の心配をするとは……愛田が聞いたら泣くぞ?」

「あはは、泣きはしないだろうけど、うるさくはなるだろうね」

「その勢いのまま家に来るぞ?押しかけてくるぞ?とってもうざいぞ?」

「それは嫌かなあ。一度家に来させたら毎日来るのは確定してるようなもんだし」


 毎日家に来られるのは天城も迷惑らしかった。


「それにしたって、頼んだ早川さんも気にするなって言っていたんだから、彼がそんなに気に病むことはないと思うんだけど」

「あいつ、そういう折り合いのつけ方が下手そうだしな。余計な気でも回してんだろ」


 何かにつけて要領の悪いやつだ。気持ちの整理だって下手でもおかしくはない。


「かもしれないね。いや、彼ならそうだろう」


 天城は苦笑しながら言う。少しだけ呆れ笑いのようでもあった。


「後は単純に勉強に打ち込みたいってのもあるんだろ」


 忘れてしまいがちだがあいつは進学クラスであり、それなりに成績を残していかないと都落ちの危険もあるのだ。

「いつもテスト前は何故かここで勉強してたね」

「そうだな、勉強教えてやろうかって雰囲気がこの上なくうざかった」

「あまりにアピールしてくるから、それで僕は教えてもらったけれど、僕の成績は伸びなかったよ」

「それはお前が勉強しなさすぎるだけだ……つうか、今も勉強しなくていいのかよ」


 俺はこうして話しながらも教科書を見て物理の公式を頭に叩き込んでいるというのに、天城はここにきても教室にいるクラスメイトの観察をしていた。


「赤点さえとらなきゃいいんだよ僕は。そんなことよりも面白いものがみたいんだ」

「意外と快楽主義者だよなお前って」


 自分の楽しみのためなら結構えぐいこともするのが天城望という男だ。


「快楽主義であることを否定はしないよ、自分が楽しければそれでいいからね僕は。

 ……だからさ、面白くないんだよ。まさか愛田君があそこで断るとは思ってなかったんだ」


 天城はどこか不機嫌そうに言った。


「彼なら七島さんのためになんだってやると思っていた。

 ……けれど彼は断った。彼が七島さんのピンチを見過ごすとは思ってもみなかった」


 それは俺も同じだった。あそこで愛田が動かないわけがないと思っていた。

 しかし、それは俺たちの勝手な解釈で、実際どうするかは愛田が決めること。


「そりゃ押し付けってもんだろ。あいつだって学校に目を付けられたくはないはずだ」

「本当にそういう人だったなら僕は彼を友人だとは思わなかったさ」


 いつになく強い口調。天城を見れば、そこにはいつもの薄笑いがあった。さっきのが聞き違いかと思われるほど、その表情は変化していなかった。


「必ず他に理由があるはずなんだよ。何か断った理由が。彼らしい事情が」

「なんだ……今日はらしくもなく熱いな?」

「あはは、僕だってそういう日くらいあるさ。きっと彼は今に七島さんを助けるよ」

「そうかい」


 俺はさして興味もなく頷いた。


「そうじゃなきゃ面白くないからね」

「……そうかい」


 結局のところこいつは愛田を心配しているのではなく、愛田が動かないことで面白いものが見られないことを心配しているのだろう。

 天城の口から洩れてくる底意地の悪そうな笑い声はそれを如実に示していた。


 ◆


 テスト本番が二日前に控えていることもあり、その日の午後の授業はそれぞれテスト対策の時間になった。


 ひたすら勉強に励んでいるとあっという間に時は過ぎ、気づけば帰りのSHRの時間になっていて、やはり気の持ちようで体感時間も変わるのだと改めて思った。


「テスト勉強しとけよ!解散!」


 鷲塚は帰りの号令をすませると。教卓の椅子に座って自分の作業を開始した。


「ちゃんとテスト勉強しろよ! さようなら!」


 教室から出ようとする俺の方を見て鷲塚は言う。

 俺は「さようなら」とだけ言ってゆっくりと教室を出た。


 走り方で人物判断ができる鷲塚が見ていた手前、俺はここで走るわけにはいかなかった。

 陸上部室前の通路無断使用の罪がばれ、ここで説教をくらうことでもなれば帰宅時間に大幅な遅れが出てしまう。


「どうしたんだい!? そんなにゆっくり歩いて!? もう放課後だよ!?」


 先に廊下に出ていた天城がそんな俺を見てひっくり返りそうなほどに驚いていた。

 そんな天城を流し見て、俺は廊下をそそくさと歩く。


 そして階段まで到達してから、鷲塚がこちらを見ていないことを確認し、俺は一気に駆け出した。

 そのまま下駄箱までノンストップで走り抜け、靴を取り出し昇降口に放り投げ、上履きをしまい、靴を履き、俺の自転車が待つ駐輪場へ。


 俺は自転車のロックを外し、サドルにまたがりながらスタンドを蹴り上げる。


 廊下を歩いた分のロスはそれほど響かなかったらしい。

 てっきりやつに遭遇するかと思ったが……まあ、テスト前に下らないことをするほどあいつも馬鹿ではないか。 


 俺が杞憂だったとサドルにまたがる。そのときだった。



「よっこいせ」

「あ?」


 背後になにやら重みを感じて、俺は後ろを振り返る。


「何してんだお前……」

「よお」


 愛田が何食わぬ顔で俺の自転車の荷台に乗っかっていた。

 何様のつもりだ。友達かよ。


「おし、じゃあ帰ろうぜ?」

「……」


 俺は無言でハンドルを持ち上げ、自転車の前輪を持ち上げる、荷台は大きく傾いて愛田は座っていられなくなる。


「引きずりおろそうたってそうはいかねえぞ」

 

 愛田は中腰になってまたがり体勢を維持していた。


「……何の用だ?」

 俺は自転車の前輪を持ち上げたまま尋ねる。


「ほら、明後日テストだろ。勉強でも見てやろうと思ってな?」

「そうか、でも勉強ってのは一人でやるもんだ」


 俺は自転車の前輪を上げたまま、ブレーキを握り締め、自転車のペダルに片足を掛ける。


「退かないと危ないぞ」

「えっ、ちょっ!」


 しっかり予告をしてから、自転車を腕の力で浮かして大きく反転させる。


「あぶなっ! おま…ぶつかってたらどうすんだ!」


 愛田は尻餅をついていた。どうやら上手く回避したようだ。予告が功を奏した。


「そんときは保健室につれってやるから安心しろ。どっちしろお前の相手はしなくて済む」

「どんだけ俺の相手したくねえんだ!ってか、ウィリーとか器用だなおい!」


 愛田が怒りながらも感嘆の声を上げるという器用なリアクションを取る。


「中学生時代に散々練習したからな」


 俺だってそういう格好いいことに憧れた時代はあったのだ。

 土日を利用して生傷をつくりながら自転車の練習をしていた日々が懐かしい。

 そんな一過性に見えた努力も今こうして愛田を撒くのに役立っているからわからないものだ。


 愛田が体勢を整える前に俺は走り出す。


「待てって!話があんだよ!!」


 愛田が立ち上がって、追い縋るように手を伸ばすが、わずかに届かない。


「行かせるかあ!」


 途端、俺の自転車の後輪が引きずられ急停止する。


 まさかな。と思いながら振り返ると、愛田が手を伸ばして自転車の荷台を掴んでいた。


「……お前、走ってる自転車に飛びつくとかアホなのか? 怪我するぞ?」

「もうしてんだよ!!いってえなあもう…!!」


 愛田は飛びついた拍子に腹と両ひざを地面に強打したようだった。

 特に膝部分は、引きずられて擦り傷になっていて血が噴き出していた。

 ……よくもまあこんな無茶が出来るもんだ。一周回って感心した。


「……とりあえず、保健室行ってこいよ」


 愛田の膝の傷の痛々しさに今度こそ俺は完全な善意で言ったのだが、


「そしたらお前逃げるだろうが!」


 残念ながらその善意は伝わらなかった。もうここまで来ると相手をした方が早そうだ。


「……わかった。話なら聞くからさっさと話せ。時間が惜しい」

「初めからそうしろや!ほんっと面倒な奴だなほんと!」

「その言葉、そっくりそのまま返す」


 本当にこいつの相手は面倒極まりない。

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