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再始動

「やっほー。私だぜ!」


 土日休み明けの月曜日、早川が宣言通りに2-Eの教室にやってきた。


「あれ?あんた一人?天城君と愛田君は?」


 きょろきょろと周囲を見て早川は言う。

 テスト勉強をしていた俺は物理の教科書を眺めながら答える。


「天城はそこら辺にいるだろ。愛田は知らん。金曜からここには来てないと天城から聞いてはいるが」

「えっ、大丈夫かな…私のことでうしろめたくなったとかじゃないよね?」


 途端、早川のテンションは急降下し不安げに俺に聞いてくる。


「さあな。居ない方が俺的には助かる。あいつ普通にうるさいし」


 だが、天城的にはそうではないようで、観察するにはかっこうの的である愛田がいなかったせいで金曜は退屈だったと言っていた。


「心配だね。ちょっと見てくる!」


 そう言うと、早川は愛田がいる2-Dの教室の方へと走っていった。


「今日は一段と速いな……いつもの1.2倍くらいの速度は出てるんじゃないか?」

「そうだね」


 背後にある掃除用のロッカーが勢いよく蹴り開けられ、そこから天城が顔を出す。


「おう、天城。隠れてなくていいのか?」


 ごほごほと天城は咳き込んでいた。


「ここは埃臭くてね……今のうちに別の場所に移動するよ」


 早川がやって来る数秒前、天城は何かを感じ取ったのか、瞬時に掃除用ロッカーの中へと入り身を潜めたのだ。いつも体育を見学している虚弱体質ぶりが嘘のような素早い身のこなしだった。


 言っておくが、俺は早川にちゃんと、天城はそこら辺にいるだろと言った。実際、そこら辺のロッカーに入っていたのだから嘘は言っていない。


「それにしたってどうしたんだい早川さんは? 僕らが頼みを断ったから癇癪かんしゃくでも起こしたのかな?」


 天城は早川の豹変ぶりを不思議に思っているようだった。


「明らかに寝てないみたいだな。そのせいで深夜テンションなんだろ」


 早川は目はどことなく赤く、目元にはうっすらとクマがあった。


「金曜日、例のことで作戦を考えてくるとか言ってたからそれで徹夜でもしたんだろ」

 

 早川は頭を使うのが得意そうではないし、計画の立案には時間を要したであろうことは想像に難くない。


「ふーん……あの早川さんが作戦をねえ。頑張ってくれって感じかな……」

 

 天城が呟くが興味を惹かれるほどではなかったらしい。


「ともかく僕は逃げるよ。巻き込まれる前にね」

「気を付けろよ。見つかったらお前が逃げ切れるような相手じゃない」


 陸上で鍛えた足と体力はもちろん、何より恐ろしいのはあの諦めの悪さだ。

 追いかけっこの鬼役に早川ほど相応しい人間もいない。虚弱な天城の運動能力では到底太刀打ちできないだろう。


「あはは、僕を誰だと思ってるんだい?」


 だが天城は自信ありげに言う。


「君ほどじゃないにしても、僕だってこと逃げることには自信がある。伊達に傍観者と呼ばれているわけじゃないよ」

「そうかい」

「そうだよ。そんじゃあね」


 颯爽と天城は教室を去っていき、俺は本当に一人になる。

 久しぶりに静かな昼休みだった。教室はクラスメイトの話し声で騒がしいが、誰に話しかけられるわけでもなく、誰かが訪ねてくることもない理想的な休み時間。勉強する手も捗るというものだ。


「あ! 天城君みっけ!」

「うわ早川さんだ!」

「うわ、って酷くない!? あ、ちょっと! どこいくの! 話があるんだけどー!」


  廊下がなにやら騒がしいが、気にしない。これしきのことで集中を乱す俺ではない。

  正直、切羽詰まっている。テスト勉強が思ったより進んでいないのだ。


「天城君…私の顔見るなり逃げて行っちゃったんだけど…」


 とぼとぼと早川がこちらにやってきた。驚いたことに天城を追いかけにはいかなかったようだ。


「……逃げたら追うのが早川だと思ったんだがな」

「私を何だと思ってるのよあんた」


 俺は早川の前世は犬かなんかだと思っている。豊富なスタミナで相手をじりじり追い詰める方法なんてまさに犬の狩りのそれだ。雰囲気もどこか犬っぽいし間違いないだろう。


「天城は傍観者だからな。何かに参加させられそうになったら全力で回避する。無理やり何かを手伝わそうとするのは不可能だと思っとけ」


 俺は顔を上げずに答える。今のテンションが高い早川は、天城にとっては避けたい相手に違いない。

 かくいう俺だって逃げたい。これ以上勉強時間を減らされては、本気で補習もありえる。


 もちろん、勉強は学校で済ませるものなので土日に勉強はしていない。

 だから早川の相手をする暇はない。早川には悪いがさっさとご退場願いたいところだ。


「こりゃ嫌われちゃったなあ……愛田君も、話があるならあとにしてくれって。今はとにかく勉強したいんだってさ」


 早川はがっくりと肩を落としていた。


「とにかく勉強したいのは俺もなんだが?」


 俺は物理の教科書を持ち上げて早川に見せる。


「あとで二人には謝りにいかなきゃ」


 早川は憂鬱そうにため息を吐いた。俺の勉強している姿を見ている様子はなかった。


「おい、早川よ。俺も勉強してるぞ」


 俺は教科書をこれ見よがしに持ち上げる。学校で一人でいる時間を確保するための必須スキル。勉強してますアピールだ。これは先の鬼ごっこでも活用されたものである。


「……あんたって休み時間にまで勉強するタイプだったっけ? どっちかというと私よりの人間だと思ってたよ」

「それは俺がバカ寄りの人間だっていいたいのか?」

「どっちかと言えばだけどね。違った?」

「そこは否定しろよ」

「ああ、ごめん、あんた、私よりは頭いいよね」

「いや、まずは自分がバカってことを否定しろよ。それから俺のバカを否定してくれ」


 そうでないと早川がバカであることを自覚させた俺が悪いことをしたみたいじゃないか。悪いのはバカな早川だ。


「この前私はバカだって言ったばかりじゃないの」


 やれやれと早川は目を伏せた。言われことを覚えてない俺がバカとでも言いたいのかこいつは。


「…でもそれなら、作戦を話すのも止めにした方がいい?」

「は?できることならそうしてくれると助かるが…」


 猫のごとく気まぐれでも起こしたのか。ちなみに猫は体力のない動物とされている。


「いいのですよ。私は今回、一人でやることにしたから」

「…お前一人で?」

 俺は思わず顔を上げた。


「そうとも!私一人でもできるように休みを使って作戦を練りに練りました。それにかかる準備も使って済ませてあるのです」


 早川は得意げに言う。若干口調に違和感があるが、嘘を吐いているようには見えなかった。


「おかげで凄い寝不足だけどね…」

 

早川は大きく欠伸をして体を伸ばす。なんだか猫っぽい動作だった。


「……そんなわけだからさ、何も心配しなくて大丈夫だよ。忙しいみたいなのに時間とらせてごめん。今日はそれを言いに来たの」

 

 早川はぺこっと頭を下げた。


「いや、元から心配してないけどよ。というかお前が一人で立てたっていう作戦の方が心配だ」

「酷っ」

「自称バカの人間が考える作戦なんて心配にならない方がおかしい」


 イェン…ちなみに余談だが、歴史上、移動用の乗り物として活躍してきた馬も体力がある動物だといえる。

 そして陸上に生息する動物の中で一番長距離走が速いのはフロングホーンという、鹿みたいな動物とされている。

 なんとなく思い出してしまっただけで、どれも早川の前世とは関係がない話だ。


「で、でもね!これでも必死に考えたんだよ?なんならここで話してあげよっか?」

「遠慮する。余計なことは知りたくないからな」


 今、俺は勉強中なのだ。誰かの話を聞いていられるほど頭の容量に余裕があるわけでもない。

 おかげで、昔図書室に通い詰めて得た動物知識を思い出してしまった。


「あー……ごめんね。何かと時間をとらせて」

「もともと気にしてはないから気にすんな。昨日の話だってろくすっぽ覚えてないしな」


 俺は教科書へと視線を戻す。


「気にしてないってほんとに?」

「気にかけてねえって言った方が正しいかもな」

「はあ…気にしてないってそういうこと?」


 早川は残念そうに言った。また妙な期待をしたんじゃあるまいな。


「ほんと感心するよその無関心ぶりは」

「言ってろ。話が済んだならとっとと行け。まだ天城と愛田に謝りに行くんだろ?」

「うん。二人にも面倒かけたからね」

「特に愛田には入念に謝っておけよ?テストに悪影響が出られると困る」

「あらそう?…ふふっ、わかった。ちゃんと謝ってくるね」


 何故か早川は顔をほころばせていた。


「何がおかしい?」

「いや、なんだかんだ愛田君のこと気にかけてるんだなと思ってさ」


 にやにやと早川は俺の顔を覗き見てきていた。


「当たり前だろ。あいつがテスト失敗して進学クラスに居られなくなったら俺が困るんだから」

「うんうん。なんだかんだ友達には良い成績とってほしいよね。わかるよー。私も優子には頑張ってほしいからさ」


「あいつが成績落として進学クラスじゃなくなったら、来年同じクラスになる可能性が出てくるだろうが。そんなのごめんだ」

「ええ……」


 俺の言葉に早川は顔を曇らせる。


「あんたはぶれないなあ……ちょっとほんわかした私がバカみたいだ…なんかどっと疲れが出

 てきたよ……」

「そうか。じゃあ早く用件終わらせて休んだ方がいいぞ」

「それもそだね。そうする。そんじゃっ」


 びしっ、と敬礼をして早川は教室から出て行った。

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