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他人

 羽田に強制的に連れられてやってきた第二体育館の二階は、各部活動の部室となっている。

 帰宅部の俺にはまるで縁のない場所。まとも足を踏み入れるのはこれが初めてのことだった。


 通路には部活ごとの練習用具や、靴を履き替えるための下駄箱が設置されていて、その下駄箱の上には教科書や、体育館シューズといった私物が置かれていた。

 部活動に興味はないが、学校にこのような私有のスペースが持てるのは羨ましい。

 荷物置き場として利用できる場所があるのは、なにかと便利だろう。


「……」


 羽田が立ち止まる。どうやら目的地にたどり着いたらしい。扉には陸上部と殴り書きされた張り紙がしてあった。

 羽田はそこに置かれていた折り畳み式の椅子を開き、ハンカチで座席を拭き、早川の手を引く。


「ここに座ればいいの?」


 早川の問いに羽田は頷き、早川は羽田の望み通り椅子に座った。


 続いて羽田は、俺の後ろへ回ると一生懸命に俺の背中を押し始める。


「なんだなんだ?」


 俺はそれに足を踏ん張り抵抗した。しばらく押すな押されるなの力比べをしたが、先に羽田の息が切れた。関節はめられるようだが、やはり腕力は並程度であるようだ。


「………」


 羽田は先ほどのように俺に移動してほしいところを指さした。

 どうやら椅子に座っている早川の前に行けということらしい。というかいい加減喋れ。

 しかし、抵抗するのも指摘するのも面倒だったので俺は言われた通りに早川の前に立つ。


 羽田は満足げにうなずくと、汗もかいてないのに額を袖で拭う。一仕事終えた雰囲気。自分のやりたいことはひとまず達成できたらしい。


「………」


羽田はこちらに近づいてきて、俺の肩を叩く。


「さっきからなんなんだお前は?」


羽田は俺に向かって親指を立てサムズアップしていた。

なんだ、その頑張れよとでも言いたげなポーズは。


 謎の行動に困惑する俺をよそに、羽田はいそいそと通路奥の階段から一階へと降りてその場を去った。

 取り残された俺と早川はただ呆然しながらその後ろ姿を見送る。


「……何がしたかったんだあいつは?」

「わかんない……わかんないけど、なんか楽しそうだったね。」

「……楽しそうだったか?」


俺にはそれすらもわからなかった。



残された俺は第二体育館の二階から校庭のほうを見ながらパンを食べていた。


 校庭では制服姿のサッカー部がグラウンド整備をしていた。

 20人近くいるサッカー部員が横一列に並び、一糸乱れることなく動いて隙間なくトンボをかけていく。

 グラウンドはみるみる綺麗になっていった。だがそれで練習効率が上がるかと言えば俺は違うと思うが。

 ひょっとするとグラウンドは綺麗に使いましょうと教え込むためにやらせているのかもしれない。もしくはトンボを共同でかけることでチームメイトとの連携力を高めているのか。

 なんにせよレベルの高い動きを見るのは、それが例えくだらない動きだったとしても楽しいものだ。


 しかし、昼休みなのに部活動の雑用とは大変だな。超頑張ってると思う。放課後だけでなく休み時間も休めないとか地獄以外の何物でもない。

 それに、この昼休みの後もどこかのクラスで体育があるはずなので、この綺麗なグラウンドも一時間後には足跡だらけになる。よくやっていられるなと見るたびに思う。


 そんな彼らを見ながらこうしてゆっくりと昼飯を食べていると、つくづく俺は帰宅部で良かったと感じることができる。本当にご苦労様です。


 そんなサッカー部員たちの努力する姿をさかなにして購買で買った蒸しパンを食べ終えた俺は、次に早川から買収した缶のコーラを開ける。


 案の定、一度地面に落としたせいで中身が飛び出してくる。


 それを予想していた俺は飲み口に自分の口を素早くつけて、あふれ出てくるコーラをすすり切る。

溢れた中身は一滴も無駄になることはなかった。


「……無駄に凄いねその技」


 後ろから早川が感心したように言った。


「練習したからな」

「わざわざ練習したんだ……」

「これから先、コーラが溢れることは何度もあるだろうと思ってな」

「あんたそういうよくわかんない努力好きだよね」

「生きる上で必要なスキルを磨いているだけだ」


一気にコーラを飲みほして俺は振り返る。


 ちなみにコーラを一気に飲んでもゲップが出ないようにする技術も俺は体得済みである。

 コーラを飲むたびに我慢の練習をすれば3年足らずで習得でき、それでいてかなり汎用性の高いスキルなので中々お勧めだ。


 早川は椅子の上で小さく体育館座りをして、伸ばした上のジャージの中に膝を入れ、小さく丸まっていた。冬場に下のジャージを忘れたやつがよくやっているあれだ。


 早川の額には汗が滲んでいた。冷夏で例年より涼しい気候が続いているとはいえ、今は七月。見ているだけでも暑苦しい格好だった。


「暑いなら上脱げばいいじゃねえか。」


俺としては100パーセントの善意で言ったのだが、


「……変態」


 何故か変態呼ばわりされた。


「なんでそうなる。下にシャツ着てるだろうが」

「そうだけど……とにかく変態だよ」

「とにかくで変態にされちゃたまったもんじゃないな」


 俺は諸手を挙げてまた早川に背を向けてグラウンドを見る。

 グラウンドにいたサッカー部はグラウンド整備を終えて、器具を片付けに入っていた。


「……ねえ。私さ、どうすればいいのかな?」


 ぽつりと、後ろで早川が言った。


「何がだよ」

 

 振り返ることなく俺は答える。


「優子に学校をサボらせるって話……優子はサボりたくないって言ったんでしょ?」

「ああ、確かに言った。わざわざ人に伝言頼んでまでな」

「……本気で言ってると思う?」

「知るか」


 俺は即答した。


「あの、ちょっとくらいは考えてくれてもいいんじゃないの?」


 早川は俺を非難するように言ってきた。またも俺は振り返る。


「昨日も言ったが、七島は俺に取っちゃ他人なんだよ。そんなやつの言葉が本気かどうかなんて判断できると思うか?」

「できないと思う。ただでさえあんた他人に興味薄いし。」


 即答だった。ちょっとくらいも考えている様子はなかった。


「わかってるなら聞くなよ」

「ごめんね、でもさ、もしかしたらってことがあると思って……」

「もしかしたらってなんだよ。変な期待をかけんな」

「だってさあ……わかんないんだもん。優子が私にどうしてほしいのか。」


 早川はしゅんと首をすぼめて、自分の両ひざに顔をうずめた。


「七島と親友であるお前にわかんねえことが、赤の他人の俺にわかるか。」


 本来なら俺は教室で勉強をしているはずだった。

 ただでさえ貴重な学校での勉強時間が今も無駄になっている。できることなら教室に戻りたい。

 だが、この状態の早川を置いて教室に戻るのは、自分勝手だという自負がある俺でも気が引けた。


 いくら相手をするのがめんどくさかろうと、すでに早川を他人とは呼べないことくらい自分でもわかっているのだ。

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