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審判を務めた通りすがりのあいつ

 俺は池尻の授業終わりの号令を合図に俺は物理室を飛び出した。

 教室には戻らず、物理室から直接購買のある一階へと向かう。


 四時間目が終わってすぐということもあり購買に人は全くおらず、スムーズにパンを購入することができた。

 混雑する時間を避けるのは、登校も購買でパンを買うのも同じである。


 そのまま一年の教室が並ぶ廊下を通り抜けると、各棟と体育館を繋ぐ連絡通路へと出る。

 その先には第二体育館があり、脇には校内で唯一の自動販売機が置かれている。

 いつもは人でごった返す自動販売機の周辺も、授業が終わって間もないせいか閑散としていた。


 どれにしようかとしばし悩んでいると、第二体育館二階の階段からトタトタと誰かが降りてきた。


「あ」


 それはジャージ姿の早川だった。首にはスポーツメーカーのロゴが入ったタオルを下げている。微かに柑橘系の制汗剤の匂いもした。どうやら体育終わりらしい。


 早川は俺の姿を見つけると、何も言わない代わりに小さく手を挙げた。

 そして俺の脇をすり抜けて自販機の前に立ち、小銭を取り出す。


「なあ。話があるんだが」

「へあっ?」


 俺が後ろから声をかけると、早川が素っ頓狂な声を上げ、自販機に入れかけていた小銭を落とす。


「何してんだよ。」

「ちょっとびっくりしちゃって……まさかあんたから話しかけてくるとは思わなくて。」


早川は慌てて落ちた小銭を拾い上げ、自販機に入れ直した。


「あのな、俺だって用があれば人に話しかけることだってある」

「あはは、そうだよね。ごめん」


 早川は自販機のボタンへと手を伸ばしていた。


「そんで用件な。優等生から伝言が預かってるから今から言うぞ」

「へ?」


 またも早川の素っ頓狂な声。それと同時にピッ、とボタンを押す音。


「あ、間違えた……しかも炭酸……」


 ゴトン、と落ちてきた缶のコーラを取り出し口から取って、苦々しく早川は言った。


「落ち着けよ」

「いやあ、またびっくりちゃって……」

「何処に驚く要素があったんだ……?」


 俺は呆れ気味に言う。ただ話しかけるだけでここまで驚かれるとは。


「だって、あんたが話しかけてくること自体レアなのに、優子から伝言があるなんて言うから……風邪でも引いたの? 大丈夫?」


 冗談ではなく割と本気で心配された。おでこに手を当てられてもおかしくないほどの心配様だ。

 早川の中で俺のイメージはマジでどうなっているのだろうか。


「……伝言な。優等生は学校をサボる気がないそうだ」

「えっ」


 早川が今度は持っていた缶のコーラを落とした。缶のコーラは地面に落下して、ころころと転がり俺の足元で止まった。

……そうやって俺が口を開くたびに驚かれていては話しづらくて仕方ないのだが。


「なんで優子はそんな伝言をわざわざあんたに……?」

「優等生曰く、自分で言っても周囲に気を遣っているからそんなことを言うんだと思われて、お前が信じてくれないから。だそうだ。」


 俺は足元のコーラの缶を拾い上げながら言った。


「だからって他人を介して伝えればいいっていうのもおかしいけどな。」

「えっと、それは。多分」

 

早川が困惑しているそぶりを見せながらも、俺の疑問に答えた。


「優子が誰かに何かを頼むなんて相当なことなんだ……何でも一人でやっちゃうからさ。……だから、あえてそうすることで、自分は本気だって私に伝えてるんだと思う」

「自分が普段しないことをしていつもとは違うとでも言いたいってことか?」


直接自分の口で言うよりも効果的な意思表示があるとは俺には思えなかった。

なんとも回りくどい真似をする。


「そんなとこだよ……そっか、そこまでするほど私の手を借りたくないのか…」


 しかし、早川にはかなり効果的な方法であったようで、早川力なく自販機に寄り掛かる。

 役目を終えた俺はここから退散しようとしたが、まだ飲み物を買っていないことを思い出す。


 隣の自販機で買おうにも今は100円しか持っておらず、その100円で飲み物を買える自販機は早川が背もたれにしているので使えない。


 だが早川が退くのを待つのはめんどくさい。とにかくここから早く俺は立ち去りたかった。


……もうこれ貰うか。

 手にはさっき拾った缶のコーラがある。早川は間違って買ったようだし、値段も100円だ。

 誰も損はしていない。


「早川、手をだせ」

「……うん?」


 俺はポケットに入れていた100円を取り出し、手を添えて早川にしっかりを握らせた。よしこれで売買は成立した。さっさと退散しよう。


「……」


 その場を去ろうとしたときにその光景を見ていた人間がいたことに気付く。

誰だっけ……名前が出てこないが。どんなやつだったかは覚えている。


 通りすがりで審判を務めた一年のあいつだ。そいつがじいっとこちらを見ているのだ。

 そして、何を思ったか、つかつかと早川の元へと近づくとその手を掴んだ。


「うわわ、羽田はたちゃん急にどうしたの」


 そうだ羽田はただ。確かにそんな名前だった。

 羽田は、早川をぐいぐいと引っ張って自動販売機の前から退かす。見れば、手には100円玉を持っていた。なるほど、飲み物を買うのに早川が邪魔だったようだ。


「……」


 と思いきや、羽田は、100円を持っていた方の手で俺の腕をつかむと、今度は俺を引っ張り始めた。

 しかし小柄な早川はともかく、男子一人を片腕で引っ張っていけるほどの腕力はなかったらしく、すぐに俺を連行するのを諦めた。


「………。」


その代わりの行動として、羽田は第二体育館二階の方を指す。


「……着いてこいってことか?」


 こくこくと羽田は頷いた。


「そうか、でもご飯食べたいから」


 手に下げていた購買のパンを見せて俺はその場を後にする。

 

 「おい、放せ」


 が、羽田に再度腕を掴まれた。


「……」


 そして羽田は俺の手を掴んだまま、くるりと一回転。俺の腕もそれに合わせてねじれる形で一回転。

 ギリギリと締め上げられる俺の腕。悲鳴を上げる肩関節。ゆがむ俺の顔。無表情の羽田。

 腕を強引に振り切ろうにも、羽田に武術的な心得でもあるのか、掴まれた手を剥がせる気配がまるでなかった。むしろ暴れるほどにダメージが増加している。


 これは敵わない。早々に俺は観念して手を挙げ降参する。


「わかった……着いていくから放せ」


 羽田はすぐに手を放す。しかし、放した手で今度は俺の制服の裾を掴んだ。


……隙を突いて逃げようとしたのだが、完全に行動を読まれていた。


 愛田を遥かに超える伏兵の出現に俺はおののく。

 こうして誰かからの逃走に失敗したのは久しぶりのことだった。

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