時すでに
「しっかし意外だな……」
本当に予想外だった。愛田が真面目な男だったのはわかっていたが、そこまで頭の固いやつだったとは思わなかった。
早川は何か言おうとしているのか口をもごもごとさせているが、言葉にするまでには至らず、愛田に至っては目を閉じて眉間にしわを寄せている。
「すまん早川さん。そういう話なら俺は降りさせてもらう」
重たい沈黙を破ったのは愛田だった。これには早川は初め、全員が驚いた。
「本当に降りるのか愛田。七島優子がピンチなんだぞ?」
「そりゃ力になりたいけどよ……でも、学校に目を付けられるようなことをするっていうなら俺は力を貸せない」
「……学校で飼ってる鳩を持ち出して手品をするような人間のセリフじゃねえな? もしかして怖気づいたのか?」
俺はわざと挑発的に言った。何かと俺に突っかかってくる愛田なら
『やってやるよ!』
……となるかと思ったからだ。
「……だからさ、俺は真面目だって言ったろ?その件に関しては…俺も軽率だったって反省してんだ」
だが、そうはならなかった。愛田は完全に消沈していた。
「早川さん。サボり以外に別のアプローチはないんすか? 学校側に目を付けられないようなやつで」
愛田の問いに早川は視線を落とした。
「ない……かな。授業か、部活かを抜けるしか方法はないよ。優子は、その……学校にいる間、しかさ、自由に動けないんだ」
早川は一語一語を確かめるように言った。
「学校にいる間しか自由に動けないってのはどういうことっすか?」
「それは家の事情ってやつで……悪いんだけど詳しくは言えないんだ」
早川は苦々しい表情で答えた。そこに触れてほしくないということは一目瞭然で、
愛田はそれ以上は何も聞こうとはしなかった。
「……そういうことなら仮病はどうだい?」
成り行きを見守っていた天城が手を挙げる。
「そりゃあ、普通の人がやったらばれるだろうけれど。七島さんほど教師からの信用が厚人間なら疑われることもないんじゃないかな?」
仮病とは虚弱体質らしい考えだ。案としては悪くない。俺はそう思ったが、
しかし早川は首を振ってそれを却下した。
「優子が学校に来てないようなら先生は真っ先に家に連絡するよ……そういう風になってるんだ。」
そういう風になっている。決まりごとのように早川は言う。
……本来、学校に生徒が来ていないのなら真っ先に家に連絡が行くのは普通のことだ。
休むのが不良だろうが優等生だろうがそれは変わらない。しかし、早川は決まりごとのように言っだ。
まるであの優等生に限っては特別な取り決めがあるかのように。
「……つまりだ早川、お前がやろうとしてることは」
確認の意味もこめて俺は状況を口に出して整理する。
「学校側にはもちろん、家側にもバレずに七島優子を学校から脱げださせようとしてるってことか?」
早川はこくん、と頷いた。
「しかも、あれだ、お前のたくさんいる友達を頼るわけにはいかないんだろ?」
「うん…優子はみんなも気になる存在だからさ、その…こういう話を聞けば噂をしたくなるでしょ?言い方は悪いけど話のタネにしたくなるでしょ?だから……」
だから、の先は出てこなかった。口にすることができなかったのだろう。
戸成高校で一番の人気者と評される早川の表情は切なかった。
「……それだから、優子の話を聞いても全く騒がないあんた。口が堅いって評判の天城君。そして優子のことなら秘密にしてくれると思った愛田君に頼んだの」
各々、三人の顔を見ながら早川は言った。
「この人選はそういうことだったのか……ヒマそうな奴らを集めただけだと思ってた」
愛田が得心いったように呟く。誰が暇人だ。
「それは、これ以上の協力者を募るわけにもいかないってことでいいんだよね?」
天城が早川に尋ねる。
「事を大きくして騒ぎになったらダメだと思うし……できることならここにいる人でどうにかしたいけれど……」
それが無理な話なのは早川も薄々わかっているのか、ますます表情は暗くなった。
頼みの綱である愛田の表情は険しく、天城も薄く笑ってはいるが、そこにはどこか呆れの色が見える。
学校をただ、サボらせるだけならまだしも、学校側にも家側にもばれないという条件付き。しかもこれ以上の協力者を増やすわけにもいかない。
そして、その数少ない協力者でさえも、今や協力することに乗り気というわけではない。状況は芳しくなかった。
「わかった。ならこの話はなかったことにしてくれないっすか」
案の定、愛田が断った。
「あはは…やっぱり、そういうことになるよね」
「すまん!」
愛田は勢いよく頭を下げる。
「ううん。、勝手にお願いしたのは私だからね。それに…やろうとしてるのは悪いことに変わりはないし、もう騒ぎを起こしたくないっていう愛田君の気持ちはわかるから」
「本当に悪い。当たり前だけどこのことは誰にも言わねえからよ」
そう言って愛田は足早に階段を駆け下りて行った。
「それなら僕も降りさせてもらうよ」
次いで、天城が手を挙げる。
「ごめんね早川さん。もともと二人がやるならと思って協力を申し出たんだ。愛田君が降りるというなら僕も降りるよ」
天城はこんなときでも貼り付けたような笑顔をだった。
「……初めに乗り気じゃないっていってたもんね。こっちこそ無理に頼んでごめんね」
「そういってもらえると気が楽かな。上手くいくことを祈っているよ。」
天城はゆっくりと軽い足取りで階段を降りていった。
自然と早川の視線は最後に残った俺に向く。
「あんたはどうするの?一人になっちゃったけど……」
どうするかは愛田が降りた時点で決まっていた。
「悪いが、俺も降りさせてもらう」
俺がそう言うと早川はぐっと唇を噛んだ。
「……一人になったんだよ?あんたならむしろ喜んで動くとおもったけどな」
皮肉ともとれる言い方だった。いや、実際皮肉っていたのかもしれない。
「そりゃあ、何事も一人でやる方が気は楽なのは認める」
実際、そういう風に学校で過ごしていたわけだし否定はしない。
「けど、現実的に考えたってやろうとしていることが無理難題すぎる。これを一人、お前を含めた二人でどうにかできるとは思えないんだよ」
「……できないから諦めるの?」
「できるならやるし、できそうもないなら諦める。無駄に頑張りたくないからな」
俺はなんてことのないように言った。そもそも俺はやる気があったわけではない。
「……そっか」
早川はそれ以上、食い下がっては来なかった。
……こういうときでも笑っていられるその姿勢は認めるが、俺を諦観しているのはバレバレだった。
俺はこの際だからと、はっきりと告げる。早川にわずかな期待でも持たせないために。
「何より、七島優子のためにそこまでする義理が俺にはない。お前にとっては親友でも、俺にとっては赤の他人だ」
「そう、だね。」
早川は俺から顔を背けた。
「……じゃあ俺も行く。協力は出来ないが、誰かにこのことを言ったりはしない。」
「……うん」
俺はそのまま階段を降りた。
あまりこういうことを気にしないようにはしているつもりの俺だが、この雰囲気で最後に行くのはさすがに気まずかった。こんなことなら天城が行った時、同時に降りれば良かった。
……初めからやる気がないことは態度と言動を持って示していたつもりだった。
だが、俺はもう話を聞いてしまっていた。何が起きているかを知ってしまっていた。
今更、無関係であることを主張しても遅いのだ。




