高校二年生になって
俺は二年に進級しても、変わらず普通に普通を重ねる日々を送っていた。
だが、去年と少し違う点として、俺はちょっとした幸運にめぐりあったらしい。
しかし、周りが幸運だと呼んだその出来事を俺は素直に幸運とは呼べなかった。
だからなんだ? と言ってしまえるくらいどうでもよかったのだ。
だが周りにとってはそうではなく、この幸運を巡り、それはもう激しい競争が行われた。
そんな中、競争に参加すらしていなかった俺が選ばれてしまったからさあ大変。
俺はその幸運を享受することに相成った。男子達からの羨望と理不尽な恨みも一緒についてきたが。
無欲なものに世界は微笑むというがこんな悪戯な笑みはご勘弁いただきたい。
……と、そんなふうに思っていたのも今は昔。
約三か月の間その幸運にあやかり続けた結果、俺はその幸運を幸運だと言い切れるようになった。
◆
ここ、戸成高校の物理室の椅子には背もたれがない。
だからほとんどのこの椅子を使う人間は机に若干もたれかかるようにして授業を受ける。
そのまま机に前かがみになって授業を受けているのは姿勢、見た目ともによろしくないので、各人、ノートをとるふりなどをして休める工夫をする。
俺もそれは例外ではない。俺はいつもの体勢で授業をサボっていた。
まず、右手でボールペンを持ち、ノートに置く。そして左手を額に押し当て机に肘を突いて頭を支えるようにする。こうすることで懸命に頭を働かせているようにみせ、かつ、眠るのに最適な姿勢をとるのだ。
研究を重ねて編み出したこの姿勢で居眠りがばれたことはない。
……とはいえ流石にずっと同じ体勢でいると先生に怪しまれてしまう。多用は出来ないのだ。
だが、この物理の授業だけは例外で、このサボり姿勢のまま授業を受け続けることができる。
理由は三つある。
一つ目、板書の数が他の教科と比べても圧倒的に多いこと。ノートに黒板の内容を写すのに集中しなくてはならないので視線がずっと下を向いていても違和感がないのだ。
二つ目、それは俺の座る位置。俺の席は真ん中の一番後ろにあって、先生からは見えにくいところにあるのだ・
最後に、三つ目の理由。この三つ目の理由が、俺が授業をサボれている一番大きい要因であり、俺が得た幸運の正体でもある。
その幸運とは、とある人物の隣の席になったことだった。
七島優子。それが俺の隣に座る彼女の名前だ。
そう、かつて完璧超人とうたわれたその人である。
俺は眠っているふりをして視線を右に移す。七島優子は毅然とした様子で授業に臨んでいた。
お昼の後で眠くなる五時間目の授業にも関わらず、綺麗な姿勢で黒板の内容を板書している。
彼女は、定期テストなどの学年での順位が出る試験では 毎回一位を取り続け、それ以外のテストでも一位を取り続けた、らしい。
俺はそこまで詳しく他人の成績を見ていないのではっきりとは言えない。ただ、そんな他人への関心が薄い俺でも知っているほどに彼女は優秀で有名であった。
そんな七島優子が、どのように勉強しているのか。俺はそこに興味を持った。頭の良いやつの勉強方法を盗むことができれば成績を維持するのが楽になると思ったからだ、
まず初めに気づいたのは、ノートのとり方が他とは違っていた。
七島優子は黒板を見てから、ノートに視線を落とし、そしてまた上げるまでの間隔がとても長かったのだ。
一度にどこまで黒板の内容を脳にインプットしているのだろうか。スラスラとこれまた綺麗な字で彼女は板書していく。
やっかいなグラフや図形も定規を使って寸分のズレもなく描き、それでいて書くスピードも相当速い。
真っ白なノートが清く正しい文字列と図形で埋まっていく様はさながら印刷機のようであった。
さらに、黒板の内容を丸写しするのではなく、レイアウトを変更して見やすいようにアレンジを入れているから恐ろしい。
板書一つとってもこの優等生のスキルは俺たちとは一線を画すレベルにあるのだ。七島優子のノートはそこらの参考書よりもテスト対策に有効なシロモノになるに違いない。
そしてもう一つ、観察を続けた結果、俺はこれよりも重大なことに気付いた。
「……おっと」
隣で走り続けていたペンの音が止む。俺は直ちにサボり姿勢を解除して顔を上げた。
俺が観察の中で気づいたのは、七島優子が手を休めると同時に先生の板書が終わるということだった。
板書が終わる。それは即ち先生が解説ないし板書の進み具合の確認のためにこちらを向くということ。
つまり、七島優子のペンの音に気を付けていれば先生がこちらをマークする瞬間がわかる。
いつこっちを見るのかわかっていれば対策するのは難しくなかった。
この七島優子に備わったアラーム機能の発見こそ、俺がこの優等生の隣に座ることを幸運だと言い切れるようになった要因である。
かくして、俺は週三時間、ほぼ寝ているだけでいい授業の時間を確保することに成功したのだった。