自分がされて嫌なことは
かつて完璧超人とまで評された戸成高校きっての優等生、七島優子が学校をサボりたがっている。
早川が意を決して言った事実は思いもよらないものだった。
同じようなことを他のクラスメイトが言っても気にも留めることもないだろうが、七島優子が言うのでは話が違う。彼女は優等生なのだ。
勉強だけに励み、勉学において好成績を収めただけならきっと七島優子は完璧超人ではなく、秀才と呼ばれたはず。
だが実際に、七島優子を表す肩書きとしてみんなが用いた呼称は優等生という、完璧超人と遜色ない、しかし、完璧超人よりは親しみのある好意的なものであった。
『何でかっていうとな?それは七島さんが常に折り目正しく規則にのっとって生活し、どんなことでもそつなくこなし、自分の能力の高さを鼻にかけることもなくひたむきだったからなんだぜ!』
……と。いつだったか愛田が熱弁していたと思う。その後、延々と七島優子の魅力を語られた気もするが覚えているのはそのくらいだった。
七島優子は真面目な人間だ。俺の持つイメージはそのまま七島優子がこの戸成高校全体で持たれているイメージと相違ないと思う。
「……あの優等生も人並みに高校生らしいことを考えるんだな」
まず出てきた感想がそれだった。呟くように言ったために二人には聞こえていなかったようだが。
俺は、自分の隣で常に勉強を励む七島優子に機械的な近寄りがたい印象を持っていた。だから同年代らしい悩みというか願望を抱えていると知って、ようやく七島優子に人間味を覚えたのかもしれない。
「それは本当かい早川さん?」
ほどよい無関心によっていつもは冷静な天城もこれには目を丸くしていた。
「やっぱり信じられないよね?」
早川がたはは、と頭を頰を掻く。
「早川さんがそんな冗談を言うとも思えないから疑う余地はないけれど……勉強が嫌になったのかな?」
「いやいや! それはないよ。絶対ない。優子は勉強大好きだよ。隣の席で授業を受けてるあんたならわかるんじゃない?」
早川から話を振られ、俺は答える。
「確かに、勉強してるときに小さな声で『よし。』とか言ってるときがあったかな」
「うわわ、聞かれちゃってるよ。抑えなって言ってるのにさ」
「なんで親友のお前がちょっと引いてるんだよ」
「いや、優子の勉強好きは相当だからさ…それはもう嬉しそうに私に勉強を教え続けるくらいだし…」
例えがどうにもおかしかった。
「早川さんに勉強を教え続けると、どうしてそれが勉強好きってことになるんだい?」
天城が尋ねる。
「そりゃあ私超がつくほど勉強苦手だもん!」
早川は目をキラリとさせて、開き直るように言った。
「……そうか?俺の記憶だと確かに成績はよくはなかったが、そこまでって程でもなかっただろ」
俺が言うと早川はなぜか胸を張った。
「ふふん、それもこれも優子が勉強を教えてくれるからですよ。一人だったら確実に全教科で赤点を取れる自信があるよ私は!」
Ⅴサインをしてみせる早川。もちろん自信満々に言うことではない、
「優子に勉強を見てもらえてなかったら、きっとこの学校にもこられなかったし、もしかしたら中学校も卒業できてなかったかも。そのくらいバカだったの私」
何気に恐ろしいことを早川は言ってのけた。
それが本当なら七島優子は、義務教育を突破できるかどうかも危ぶまれるレベルの人間の成績を、一応は進学校である戸成高校の試験を突破するまでにひき上げたということになる。
「優子には、本当に感謝してるんだ。勉強のこともそうだけど、他にもいろんなことを教えてもらったから……だからさ、今度は私が優子の力になりたいんだ」
静かながらも力のこもった声で早川は言うのだった。
◆
そこで、昼休みの終わり五分前を告げる鐘の音が鳴った。
「む、色々説明したいけど時間が足りない!とりあえず戻るね!明日も来るから!」
早川は手を振りながら足早に去っていった。
「結局、断り切れなかったね」
早川の背中を見送りながら、天城が言う。
「あれから逃げ切ろうとか考えちゃダメだな。やっぱ」
「……まさか協力する気なのかい?」
「協力しない。と、言いたいとこだが…ここまで話を聞いて完全に無視ってわけにはいかないだろ」
天城は露骨に苦い顔をしていた。
こいつが何かに巻き込まれるのが嫌なのはわかっている。
「そんな顔しなくてもお前に迷惑はかけねえって」
自分がされたらいやなことは友達にもしてはいけません。と、よく学校の先生は言っていた。
「こういう時にこそあいつの出番だろ」
つまり、友達じゃなければ、自分が嫌なことでも押し付けて構わないってことだ。




