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早川の頼み

「そっか…あんたが帰宅部のエースって呼ばれたのは、そういう経緯があったからなんだね」


 話を聞き終えた早川はどこか残念そうに言う。


「帰宅部の俺が陸上部に純粋な走りで勝てるわけねえだろ。お前にだって負けそうになったんだから」


 机に顔を伏せながら俺は言う。


「えっと、そうじゃなくて。いや、確かに私があんたを陸上部に誘ったのはウチのエースに勝ったって話を聞いたからでもあるんだけどね?」


俺は顔を上げる。


「なんだ?他にも誘った理由があるってのか?」

「誘った理由って言うか……ちょっと私勘違いしてたんだなって。帰宅部のエースってもっと別の意味があると思ってて」


 早川は頰をぽりぽりと掻いた。


「私さ、帰宅部のエースって、家に帰るのがすごい上手い人だと思ってたんだよ」

「家に帰るのが上手いってなんだよ」

「うーんとね…」

 

 そこで早川は少しだけ、考える素振りを見せた。


「学校が終わってないのに、家に帰っても誰にもバレない…みたいな?」

「どんだけ存在感ねえんだよそいつは」


しかもそれは帰宅が上手いって言うんじゃない。ただのサボり魔って言うんだ。


「あはは、まあ、帰宅部のエースを名乗るくらいならどんな時でも家に帰れないとね」


冗談交じりに天城が言う。


そこで、俺は昨日のことを思い出す。優等生に帰宅部のエースのことを教えたのは早川なのだ。ということはあの優等生も帰宅部のエースを『家に誰にも気付かれずに帰れる人間』と勘違いしていたことになる。


「じゃああれか、昨日、優等生が俺に話しかけてきたのは」

「うん。本当にあんたがそんなことを出来るのか確認したかったんだと思う。誰にもばれずに学校から帰れるかどうかをね」

「なるほど」


 まあ、そんな奴がいるなら気になっても仕方ないかもしれない。

……と、一度は納得しかけたのだが、


「……待て、 なんで優等生はそんなことを確認しようとしたんだ?」


 思わず、そんな疑問が口をついて出た。

「えっ?」

「昨日、優等生が俺に話しかけてきたときは、注意をしに来たって感じじゃなかったぞ」


 真面目さゆえに他人の不正が許せない人間もいるだろう。

 だが、あの優等生は確かに真面目ではあるが、他人のしていることに口出しをするような人間ではない。隣の席で三か月、授業中に居眠りを続けていた俺はそのことを良く知っている。


 思えば、愛田が手品を披露した時だってそうだ。本当に真面目だというなら楽しむ前に、注意をする。騒ぎになる前に止めさせる。

 

 これではまるで、


「まさか、学校をサボるために帰宅部のエースを頼ろうとしたわけじゃないよな?」


 本当に何気なく言ったつもりだったが、


「えっと……それは……」


 早川は目を泳がせて、大いに困っていた。



 自分が余計なことを言ったらしいということにはすぐ気づいた。


「いや、別にいいんだけどよ。優等生が学校をサボろうが何しようが俺には関係ないしな」


 だからこの話題にこれ以上触れないようにした。面倒な臭いがしたからだ。


「関係ない……本当にそう言える? 信用していい?」


 早川は執拗に念を押してくる。


「言える言える。興味もないから気にすんなって」


 俺は興味がないのを本当だと示すため、努めて軽い調子で返した。


「そっか。そうだよね。……どうしようかな?」


 早川はそこで、何かを考え始める。俺の方をチラチラと見ながら何かを見定めているかのように。


 何やら良からぬことを企んでいるのは見るからに明らかだった。


「これは……不味いね。」


 天城がそう呟いて席を立つ。俺と同じく面倒ごとの匂いを感じ取ったのだろう。

 俺もここから離れるべく、机の上にあったパンの包装袋を掴み、ゴミ箱へ向かうふりをして自然に席を立つ。


「ねえ、ちょっと待って! 二人に話があるんだけど!」


……しかし、無情にも早川に呼び止められてしまった。


俺と天城は早川に背を向け、顔は向けず、早川にも聞こえないような小さな声で話す。


「……おい、天城わかってんな?」

「うん。これはあれだね」


お互いに頷いた。

俺は多くの人間に干渉されたくないし、天城は何事にも関わらず傍観者でいたい。

利害関係が一致していたからこそ俺と天城は行動を共にし、友人関係を結ぶことになったのだ。

ここでいう利害の一致とは、つまり、面倒ごとの回避である。


天城がささやく。


「くれぐれも穏便に済ませよう。相手は校内一の人気者だ」

「わかってる」


 早川の恐ろしさは、その人脈の広さと、情報の伝達力。そしてそれらに起因する生徒への影響力の大きさにある。

 下手に早川の心象を悪くすれば……いや違うな、早川を無下に扱ったことが周りに知れたら、他の奴らが何をしてくるかわからない。天城の言うように、できるだけ穏便に済ませるべきだ。


 そこまで考えて、俺は振り返る。


「言っちゃ悪いが……お前なら大抵のことはできるんじゃないのか。こういうときこそたくさんいる友達を頼るべき所だろ」

「友達だからって何でも頼っていいわけじゃないよ。それに……友達だから頼れないこともあるんだ」


早川は笑ってはいたが、どこかその声は憂いがあった。


「そうか」


友達が多いやつは多いやつなりの悩みがあるのかもしれない。

しかし、それはそれ。これはこれだ。だからと言ってこいつに協力することにはならない。


「あはは……それを言ったらあんただって友達なんだし頼るのは変だよね…」

「……はあ? 何言ってんだお前は?」

「言いかけて終わるのは悪いけどさ…やっぱりこれは私と優子で何とかするべきだと思って」


 自分でどうにかすべきという考えになってくれたのは大変ありがたかったが、俺としては放置できない点があった。


「違うぞ早川。別に話はしてもしなくても構わないんだ。」


俺は腕組みしながら言う。


「えっ? そうなの?だったら何が違うっていうの?」

「俺が言いたいのはだな」

「うん」


「俺がいつ、お前と友達になったんだ。ってことだ。」


「はいぃ?」


早川はぽかんと口を開けて固まっていた。


「そこ? …え? そこなの…!? えっ、違うってそこ!?」


早川の声はだんだんと大きくなっていった。驚きのクレッシェンドだ。

そんな早川に対し俺は平然した態度で言う。


「だってそうだろう。俺の友達の条件は俺の家で遊んだことがあるかどうかだ」

「ええっ!? あんた友達になるのにそんな条件あるの? 信じらんない!!」


 驚きが最高潮に達したのか早川は今日一番の驚きを見せた。


「なんとでも言え。これは絶対だ。お前だって例外じゃない。」

「だって私たち一緒に鬼ごっこした仲じゃない! 一緒に遊べばもう友達でしょ!」


 早川が詰め寄ってきた。俺は後ずさりながら反論する。


「友達の定義が甘すぎる! 一緒に遊んだくらいで友達が増えるなら誰も苦労しないんだよ!」

「うわあ言葉に妙な迫力が……もしかして何かあったの?」


詰め寄ってきていた早川は一歩引いて、一転して同情するような眼をした。


「や、友達が苦労しただけだ。それを近くで見ていたからわかるのであって決して俺のことじゃないぞ?」

「ごめん、なんか嘘くさい」

「や、本当のことなんだが」


 本当に本当のことだが早川は憐憫の目を向けてきていた。

……ふむ、日頃の行いは大事だな。こういうときに信じてもらえなくなる。


「…手待てよ?ということは……こいつの友達である天城君はこいつの家に行ったことあるの?」


早川は天城を見た。


「成り行きで仕方なくだけどね。彼の家族総出で凄く歓迎されたよ」


「何それ、凄い面白そうなんだけど!」


早川の声が高くなる。 不味いと思った俺は待ったをかけた。


「おい天城、デタラメ言うな。ただ二人でゲームしただけだろ」


「何言ってるのさ本当の…「本当につまらなかったよな。おもてなしってムズイよ。だからもう来ないでくれ。退屈させるだけだからな」


 天城の言葉をさえぎって、建前と本音を織り交ぜつつ言葉で封殺する。


「あんたそういうのって苦手そうだもんね。喉が乾いたって言って水が出てきても私、驚かないよ」


 早川は疑う様子もなく納得していた。やはり日頃の行いは大事だ。普段の振る舞いで嘘も真になる。


……だがさすがに、客にお茶くらい出すから。


「ああ、凄く苦手だ。日本人にあるまじきおもてなし精神のなさだ」


……しかしまあ、ここは水を出すと思われていた方が都合がよいだろう。

 

 別に、我が家ではお茶も料理も出さないし、お帰りの際にお土産も用意しない、ゲームなんて無駄に全機種用意していないし、トランプ、UNOなどのカードゲーム、オセロ、将棋、囲碁、人生ゲームなどのボードゲームも完備していない。そして、友達が来たからと調子に乗った母が息子の秘蔵成長アルバムを見せたりもしないし、親父が会社で大ウケだという宴会芸を披露したりもしない。


「とにかくだ、お前と俺は友達じゃない。わかったか?」

「うーむ、納得できない……去年だってこんな風に一緒にお喋りしたと思うんだけどなあ。」


 早川は膨れていた、友達作りの達人としては誰かと友達になれないことは不満があるのだろう。


 だが、俺が全く動じないところをみるとやがて息を吐いた。


「けど、そういうことなら……頼ってもいいのかな?友達じゃないから頼るっていうのも変な話なんだけどさ。」


「頼ってもいいかどうか、か」


 俺は少し考える素振りだけを見せて、はっきりと答える。


「それはまた別問題だな」

「えー! この流れでそういうこと言いますかフツー!?」

「あっはっは!それでこそ君だ」


 早川は声高々に非難され、天城にはぱちぱちと拍手と笑い声付きで賞賛された。


「あのなあ、何を頼むのか内容も聞かずに返事なんてできるわけがないだろうが。

 雰囲気に流して承諾させる…それは詐欺の手口と何が違うのでしょうか? 早川さん。」

「詐欺呼ばわりされた!しかもなんか呼び方に距離が!」

「そりゃあ俺たち友達じゃないですから……」

「思い出したように知人にならないで。絶対忘れたでしょ?私と友達じゃないってこと。」

「お、よくわかったな。正直ちょっと忘れてた」

「よくわかったな。じゃないよ! 友達にじゃないことを忘れてたって何さ!」


 ぎゃあぎゃあ騒ぐ早川。うるさい。騒がせているのは俺ではあるが、うるさい。


「あはは、二人の会話を聞くのは楽しいけれどこれじゃ話が進まないね」


 見かねた天城が早川に次のように提案した。


「何を頼むのかだけ、試しに言ってみたらどうかな?早川さん」


 なるほどと俺は感心する。話を聞かないで断るよりも聞いて断った方が心象はいいだろう。


「試しに? うーん…そうだね……」


 早川は俺と天城を伺い見るような、品定めするような交互に見て、何かを決断するような思案の後、早川は口を開いた。


「ごめん! 言いたくなかったなら答えなくていいから聞いて!」


 両手を合わせて早川は尋ねてきた。


「二人ってさ……友達と呼べる人、何人いる?」


 尋ねられたのは、ともすればシンプルすぎて逆に迷ってしまうようなそんな質問だった。

 同じ内容の中学校でのアンケートが物議を醸したのを覚えている。人によっては答えるのになかなか勇気がいるだろう。


だが、俺と天城は即答した。


「二人だね」と天城


「2.5人だ」と俺。


「なーんかまた変な回答が……」


 早川は頭を抱えた。主に俺の方を見て。


「ええっと……天城君は愛田君とこいつでしょ?」

「うん。今日からそういうことにする」


 言葉に何やら含みがあったが、気にしない。今が友達ならそれでいい。

 早川はとんとんと額を指でつつきながら目をつむっていた。


「まあ、うん。人それぞれだもんね」と、自分を納得させて、今度は俺に尋ねてくる。


「で、あんたも同じで愛田君と天城君が友達でいいんだよね?それだとあとの0.5ってなに?犬とか猫?」

「0.5は愛田だな。愛田は知り合い以上友達未満だから。」


 ちなみに俺はペットを飼っていないし、動物が友達なんて心温まるようなエピソードも持っていない。

 ……さっきから微妙に酷くないか早川のやつ。


「うう……それだと友達ですならない私は愛田君以下なのか…なんかショックかも…」


愛田以下の扱いに早川は言葉通りにショックを受けていた。言われてみると確かに早川が愛田よりも俺と交友度が低いのは違和感がある。


「じゃあ愛田が0.1、早川が0.9にしておこう。となると友達は三人だな。」

「実質二人みたいなもんでしょ! 私のせいで愛田君の評価が犠牲になっちゃってるし!」

「一説によれば、友達にしておける人間の数には限界があるらしいからな。下手に上限を上げるわけにもいかん。ならば誰かを犠牲にしないと」

「全く、相手との関係性を数字で表すのは君くらいだよ。斬新だね」


 天城が感心したように言う。


「だろ。やっぱ理系だし数字は積極的に使っていこうと思ってな」

「もう……なんだろ。私の友達観が揺らぎそうで怖いよ。」


早川は本気で頭が痛そうだった。俺と天城の回答は早川にとって理解に苦しむものらしい。大分疲れの色が見える。


「はあ…もう、ほんとに…けど、そんなあんたたちだからこそ頼りにできるかもね」


 早川は騒いで乱れた髪を整えると、俺たちをまっすぐに見据える。


……これだけやったのに、まだ俺たちを頼ろうとしてんのか。

 どうしたもんかと天城を見ると、天城は観念したように苦笑いを浮かべていた。

 それを見て俺も観念する。


……ここまで言ってダメならダメだろう。こいつの諦めの悪さを俺はよく知っている。


「頼むなら話を聞いてから…だよね? 話だけでも聞いてくれる?」


 確認するように早川は言い、俺たち二人は仕方なく頷いた。

 早川はそれを見て、ひとしきり頷いてから、静かに話し始めた。


「私たちが、ううん、優子が帰宅部のエースにどうして声をかけたのかっていうと、その人なら優子の望みをかなえられると思ったから。それでその望みっていうのはね……」


 早川は声を潜めながら、言った。


「学校を誰にもばれずにサボることなんだ」

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