噂
次の時間はLHRで、『各自でテスト勉強』と、黒板に書いてあった。
そのため、クラスメイトは好き勝手に席を移動して、好きなことをやっていた。
俺は物理の用意を抱えたまま廊下側にある天城の席へと向かう。
「なあ傍観者。」
教室の様子を眺めていた天城は教室のゆっくりとこちらを向く。
「君が僕をそう呼ぶってことは何か聞きたいことがあるんだね。なんだい?」
天城はこんな風にいつも教室を眺めているせいか噂に対して耳が早い。それに何かに深入りをしない性格なので話す情報も客観的。だから俺は気になることがあればこいつに尋ねることにしている。
「この学校に帰宅部のエースっていうのがいるらしい。誰か知ってるか?」
「知ってるよ?」
「おお、流石だな。で、それは誰だ?」
「ほら、そこにいるじゃない。」
天城は笑って俺を指した。
「……俺は陰でそう呼ばれているのか?」
「いや?そんな事実はないね。そもそも、君を話題に挙げる人間は皆無と言っていい。」
「それもそれで嫌だな。」
「そういう割には嫌そうに見えないけど?」
「そりゃ嘘だからな。むしろ話題にされなくて嬉しい限り。」
「それでこそ君だ。」
天城は感心したように、言う。ひょっとすると皮肉っているのかもしれないが。
「おう。で、冗談はいいから質問に答えてくれ。」
「君が話題にされてないのは本当だよ?」
「そっちじゃない。お前が俺を帰宅部のエース呼ばわりした方のことだ。」
「いや、そっちも冗談だとは思ってないよ?帰宅部のエース君。」
天城は満面の笑みで言った。
「……本当に、俺が帰宅部のエースなのか?冗談だろ?」
自分の顔が強張ったのがわかる。これが本当だとしたら…
「うん。冗談だよ。」
天城は意地の悪い笑みを浮かべながら言った。
「タチの悪い冗談はやめろ」
「最近何も起きないから退屈していてね。すまないと思っているよ。」
「そんなニコニコ顔で言われても説得力ねえよ」
俺は丸めた物理の教科書で天城の頭を叩く。
「結局、お前は帰宅部のエースのことを知ってるのか?それとも知らないのか?」
天城は頭をさすりながら今度は真面目に答えた。
「悪いけど知らないね。もう一度確認するけど、君のことではないんだろう?」
「俺かどうか疑わしいからお前に聞いたんだ。でも、俺が『帰宅部のエース』なんて呼ばれている事実はないんだろ?」
「一切ないよ。断言しよう。さっきも言った通り君を話題に挙げる人は皆無だよ。」
天城はきっぱりと答えた。
「ならいいんだ。邪魔したな。」
俺はそのまま手近な席に座って勉強を開始する。天城もそれきりで、教室の観察を再開していた。
「……あ、そうだ。君は帰宅部のエースじゃないけれど、今日の昼休みに君について噂をしている人間ならいたね。」
しばらくしてから思い出したように天城が言った。
「正確に言えば、その話をしていたのは一人だけだから噂になる一歩手前、みんなに共有される寸前って言えばいいのかな。どう?聞きたいかい?」
「ああ、聞かせてくれ」
俺は教科書に目を向けたまま耳だけを天城の話に傾ける。
「君さ、ダンショクカじゃないかって疑われてたよ?」
天城は笑い交じりにそんなことを言った。
「……ダンショクカ?」
聞きなれない単語に俺は聞き返す。しかしそんな俺をよそに天城は話を続けた。
「あの校内でも有数の美少女である七島さんに全く見向きしなったのは不味かったね。男子との厄介ごとを避けたかった君の考えはわかるけどさ。」
「ちょっと待て、なんであの優等生が出てくる。それにダンショクカってなんだ?」
「あれ?知らないのかい?意外だね。君なら知っていると思った。」
天城は嫌らしく笑った。俺は別に成績がいいわけではない。知らない言葉だって当然ある。
「じゃあこう言えば伝わるかな?」
天城はダンショクカをこう言い直した。
「君、もしかしたらホモではないかと疑われていたよ」
「……マジで?」
教科書に向けていた顔を天城へと向けざるをえなかった。
男色家とは、つまり、ホモセクシャルのことか。
もっと簡単に言えば男好き……一体どうしてそんなことに?
「どうやらその噂をしていた人物は、君が他人に関心がないのをどういうわけか、『女の子に興味がない』という風に解釈したみたいでね」
天城はそれは楽しそうにことのあらましを話した。
「それに加えて、さっきも言ったけれど、あの校内一の美少女こと七島さんの隣にいながら見向きもニヤケもしなかったというのも、君が男色家であると判断した要因になったみたいだ。」
それはそれで衝撃的な事実だったが、他にも気になる点があった。
「……やけに詳しいな傍観者。明らかに聞きすぎだ。お前は誰の話にも深入りしないんじゃなかったのか?」
「ああ、言い方が悪かったね。」
天城はかぶりを振った。
「今回の噂はいつもの様に盗み聞きしたワケじゃないんだ。僕が直接、当人から噂の話を聞いたのさ」
さらっと聞こえた盗み聞きという単語はスルーだ。それをしているのは前々から知っている。
「……お前に直接噂の話を?」
「『僕に話しかけるような人間がいるのか?』って疑ってるね?」
「ああ」
素直に頷く。図星だった。
「まあ普段の僕が僕だからそう思われても仕方ないけどね。」
やれやれと天城は肩をすくめていた。
「君が今しているように、他の人も僕にこうして噂の是非を確かめに来ることがあるんだ。」
「そうなのか。知らなかった」
天城の傍観者という通り名は他のやつも知っているし、それはそれでおかしくはない。
「それで?否定はしてくれたのか?俺がホモじゃないって」
「もちろんさ。そうしないと一緒にいる僕も被害を受けるからね。しっかりと否定したよ」
「マジで助かる」
水面下で噂の拡散は防がれたらしい。俺は天城の性格に感謝した。
傍観者のこいつは徹底した「事なかれ主義」でもあり、それは俺の望んでいる高校生活に通ずるものがある。
行動することに消極的過ぎて頼りにできないことも多いが、頼りにしてくることもその分少ないので俺にとっては付き合いやすい友人だ。
「それにしても……男色家ではないかと疑われるほどに他人にも、女子にも興味がない君が他人のことを気にするとは珍しいね?」
天城が物珍しそうに言う。
「俺がいつ、他人を気にしたんだ?」
「『帰宅部のエース』のことさ。気になってるんじゃないのかい?」
「どうしてそう思う?」
「仮に君が陰で帰宅部のエースと呼ばれていたとしても、君がそれを気にするようには思えなくてね。何か他にも事情があるんじゃないのかい?」
顔は教科書に向けたままで俺は答える。
「……なに、同じ帰宅部として気になっただけだ。エースなんてのがいるなら勝負してみたくてよ。」
優等生に話しかけられた云々(うんぬん)は面倒になりそうなので伏せた。
「ふうん……そういうことか。君の帰宅速度なら帰宅部のエースにだって勝てるだろう」
天城が何かに気づいている様子はなかった。
とにかく、俺が帰宅部のエースではないことははっきりした。それがわかれば問題ない。
「そうだ。一応これも耳に入れておくよ」
「まだなんかあるのか?」
俺はまた天城の話へと耳を傾ける。
「僕がその話を聞いたのは今日の昼休みのことなんだ」
「おう」
「当然、そこには愛田くんも同席していたんだよね。」
「愛田の野郎がねえ。そんで?」
「愛田君はその話を聞いて、話をしにきていた子に君がホモだって断言してたよ。」
「オーケーわかった、教えてくれてありがとう。」
次に会ったら有無を言わさずに殴り飛ばしてやる。




