それは、時計塔と言う名の演じる舞台で
「いらっしゃいませ。「鳥」の魔法使いの皆様ですね」
透き通るようなオートマタの少女の声が、時計塔に響き渡った。
そこには、異世界があった。
幾つもの歯車が組み合わさった構造に、天高く伸びる螺旋階段。
淡いオレンジ色の明かりが入口の大広間を照らし出し、その明かりの数は上に登るにつれて減ってゆく。
しかし、見上げたその先が暗くなっている事はなく、階上に行くにつれて窓の数が増え、自然の明かりが塔の中を照らしていた。
一歩一歩、空に近づいてゆくように。
まるで、小さい頃に読んだ、童話の世界のお城の様な光景。
そんな世界に、真っ白な長い髪の少女と、瑠璃色の気だるそうな少女がいた。
初めて見るその光景に、この街に来たばかりのシロノだけでなく、住みなれている筈のルリアまで目を奪われていた。
「お気に召しましたか?」
「あ、えっと、はいっ! あっ、ごめんなさい。私、ガーベルロンデ所属の鳥で、名前はシルヴィノと言います。シロノって呼んでください!」
景色に見とれて、話しかけられていたことに気が付かなかったシロノは、慌てて自分の名を口にした。
「シロノさんですね。承りました」
慌てた様子のシロノに対し、オートマタの少女は柔らかな笑みを浮かべて口を開いた。
「クラヴィール時計塔の管理者兼、鐘弾き。自動人形のリヴィアンネです。ルリアさんとは、何度か仕事でご一緒させて頂いた事があって、面識がありますよね?」
リヴィアンネの問いかけに、生返事で答えるルリア。どうやら、目の前に広がる光景に夢中で、それどころではないらしい。
シロノと顔を見合わせて、微笑むリヴィアンネ。
そんな彼女に、シロノは話しかけた。
「素敵な場所ですね。なんだか、どこか遠い世界に来たみたいな気分です」
「そうですね。扉一枚隔てたこの場所は、一つの目的のために作られた場所ですから」
リヴィアンネの謎かけの様な言葉に、シロノはふと考えた。
この場所、時計塔の目的。刻時的な意味以外にこの時計塔だけが持つ特徴。
それは、シロノがここに来るまでにすでに「体感」していたものだった。
「音……もしかして、時計塔そのものが音響魔法の展開設備、ですか?」
「正解です♪」
シロノの答えに、気付いてくれたことを嬉しそうに、答えるリヴィアンネ。
「音を奏で、響かせ、想いを届ける。それが、このクラヴィール時計塔です」
大事な物を眺めるような目で、見上げるリヴィアンネ。
その横顔を見たシロノは、静かに口を開いた。
「あの……」
「?」
「ご、ごめんなさいっ!」
突然の言葉に、リヴィアンネは首を傾げた。
「塔の壁を壊したの、私です。大切な場所なのに、本当に、ごめんなさい」
シロノが勢いよく頭を下げると、その白い髪がふわっと広がった。
呆けた表情のリヴィアンネは、ふと何かに気付いた様子で頷くと、呟いた。
「ふむ、なるほど。なら、お仕置きが必要ですね」
ニヤリと笑い、手の平を開閉させるリヴィアンネ。
その様子にびくっとなりながらも、シロノは答えた。
「……はいっ」
手の平を見つめるリヴィアンネを見て、目を閉じ歯を食いしばるシロノ。
だが、
――ぷにっ
「……ふぁい?」
次の瞬間、シロノは頬をつままれた。
同時に、張っていた気が一気に抜けてしまった。
「あ、柔らかい」
ふとつぶやくリヴィアンネ。
すると、楽しくなってきたのか、上下左右にその頬を引っ張った。
されるがままに、為すがままに、その柔らかい頬を引っ張られるシロノ。
少しして満足したのか、リヴィアンネは手を放した。
涙目で頬を抑えるシロノに、リヴィアンネが問いかける。
「痛かったですか?」
「ひっひひゃいです」
痛いです、と答えるつもりが上手く声にならなかった。だが、意図は伝わったのか、リヴィアンネは悪戯な笑みを浮かべると呟いた。
「なら、これでおあいこです」
「え?」
「もう気にしなくていいですよ」
そう言うと、満面の笑みを浮かべた。その笑顔につられて、シロノも笑った。
本当は、リヴィアンネは全てを知っていた。
シロノが時計塔に足を付けてから、何をしようとしていたのか。
目と、そして音で。リヴィアンネは全てを見ていた。
だから、最初から気付いていた。
目の前にいる小さくて白い「鳥」の少女が、とっても良い子だという事を。
そして、良い子すぎて、気にしてしまっているという事も。
だからリヴィアンネは、シロノの気を楽にさせようと、お仕置きと言う形で頬を引っ張った。
半分は、触ってみたいという興味本位だったのだけれども、それは内緒だ。
「この場所を素敵と言ってくれる人に、悪い人はいません。では、参りましょうか」
リヴィアンネが踵を返し、歩きだそうとする。
すると、シロノがポツリと呟いた。
「……ありがとう」
その言葉に、リヴィアンネは少しだけ驚いた。
どうやら、このシロノと言う少女は、自分が思っている以上に「人」のことをよく見ているようだ。
そのことに、暖かな気持ちになったリヴィアンネ。
今日の自分が弾く鐘の音は、きっといつも以上に軽快な音に違いないと感じていた。
だって、こんなにも「楽しい」と感じる気持ちは、ひさしぶりなのだから。
胸の高鳴りを感じながら、リヴィアンネはそう思っていた。
リヴィアンネの服の裾を、ルリアが引っ張った。
「どうしたんですか、ルリアさん」
「……その呼び方、背筋がぞっとする」
「ふふっ、どうしたの。るーちゃん」
柔らかな笑みを浮かべて問いかけるリヴィアンネ。
精巧なその笑みに、ルリアは怪訝そうな表情で問いかけた。
「今日は、あの子……オートマタの子はいないの?」
「ええ。なんだか今日は気分が良いから、いっぱい弾けそうなんだって。邪魔しちゃ悪いから、私が接客しているの」
「ふーん」
リヴィアンネの言葉に、気の無い返事をするルリア。
そこでふと、気になっていた事を尋ねた。
「ねえ、いつまで“オートマタのフリ”なんかしてるつもり?」
その言葉に、リヴィアンネはにっこりと笑った。
精緻に出来た人形の様で、けれどもここにいる彼女は人間だった。
このクラヴィール時計塔には二人の少女が棲んでいる。
一人は鐘を弾く自動人形としてのリヴィアンネ。
もう一人は、彼女のメンテナンスを行うとともに、接客や施設維持などの全てを担うリヴィアンネ。
顔付きも言葉遣いも、何もかもが同一になるように演じている二人は、ほとんど見分けが付かないほどの完成度を誇っている。
だが、彼女の事を幼い頃から知っているルリアには、今目の前にいる少女が自動人形では無く、自分の良く知る幼馴染であると見抜いていた。
シロノは気付いていないけれども。
「多分、あの顔は本気で信じちゃってると思う。教えてあげないの?」
石造りの階段を、疲れを知らぬ軽快さで昇るシロノの背を眺めながら、ルリアはリヴィアンネに問いかける。
すると、リヴィアンネは悪戯をする子供の様な表情で、人差し指を立てて呟いた。
「面白そうだから、もうちょっとこのまま」
「イジワル」
「私は昔っからこうよ。るーちゃんなら、良く知ってるでしょ?」
満面の笑みを浮かべる“幼馴染”の表情に、ルリアは小さく苦笑いを浮かべた。