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シロノの仕事帳(ワーキングブック)  作者: 黒色鍵盤
シロノの仕事帳 一頁目
3/11

それは、霞のようにモヤモヤと

―――♪

 鐘の音が響く。

 水路に、路地裏に、そして――空に。

 眼下に広がる町並みを視界に収めていた少女は、その音につられるように頭を上げた。

 同時に、真っ白な長髪がふわっと広がる。

 まるで翼のように。だが、その少女は翼ではなく、箒で空を飛んでいた。

 箒で空をかける魔法使い、それがこの街で『鳥』と呼ばれる存在だ。

 突如として響いた音の源を探すべく、『鳥』の少女は――シロノは辺りを見渡していた。

 音は聞こえていたのに、何処から聞こえてきたのか見当がつかない。

 これでも感知能力は高い方だと自負しているのだが、それ故に気付けない自分が不安でもあった。

「(なまったのかな……私)」

 穏やかな毎日に溶けてしまうような感覚が心地よくて、けれども何か見えない存在に急かされるような焦燥感。

 混ざり合った言いようの無い感覚を胸の内で消化していると、

―――こつん

「……っ?」

 制帽の上から、小さく小突かれた。

 思考の海に沈みかけていたシロノは、その意識を急速に引き戻された。

「よそ見したら、危ない」

「あ、えっと……ごめんなさい」

「謝らなくていい。ただ、心配なだけだから」

シロノの視線の先にいたのは、彼女と同じ制服を身に付けた少女だった。

 肩にかかる程度の黒髪に、半眼に開かれた瞳。その目は、水路の色と同じく深い蒼色をしていた。

そして、その体も、小柄なシロノに比べ、出るところは出て締まる所は締まっていた。そのため、シロノのように制服に着られているのではなく、見事に良く似合っている。

 これでも、年齢はそんなに離れていない筈なのに。そんな思いをシロノに抱かせる彼女は、シロノと同じ『鳥』であり、業務上は先輩に当たる存在である。

彼女の名は、ソフィリア=レヴィデンノーツ。

 十代後半ながらも、正式に雇用されるまでバイトで働いていた彼女は、それなりの古株だった。

 そもそもこの鳥専門のサービス業を営む『ガーベルロンデ』は、ここ数年で出来たばかりの会社である。

 ソフィリアが学生の頃から働いていた事を考えると、もしかすると創立当時からいるのかもしれない。

 歳は近くとも、この街の『鳥』としての経験と知識には雲泥の差がある。

 そんな古株の隣を飛ぶのは、入って間もないシロノだった。

 しかもやっていることといえば、遅刻した自分を迎えに来るという、何とも申し訳ない仕事。

「どこか寄って行く? せっかくだから街を回っても良いけど」

「えっ! いえ、大丈夫です! ただでさえ遅れて迷惑かけてるのに、そんな……」

「そう? まあ、理由が理由だし、気にする事もないと思うんだけど」

 ソフィリアのその言葉にシロノはピクリと反応した。

 やっぱり、さっきのことがバレている。

 航空魔導士を律する様々な規律、それを盛大に破ったこと。もしかしたら、迎えに来る途中に見ていたのかもしれない。

 ソフィリアの無条件な優しさは、今となってはもうシロノにとって最後の晩餐にしか感じられなかった。

 そもそも、ソフィリアは自分と違って多忙である。

 そんな彼女が仕事の手を止めて、しかも業務が始まったばかりの大忙しの時間帯に、遅刻しただけの新入社員であるシロノを迎えに来ているのだ。

 何も、理由がない筈がない。

 緊張と、言いようのない不安。なんだか、胃が痛くなってきそうだった。

 肉体的にも精神的にも限界が近づいて来たシロノは、意を決して口を開いた。

「……そろそろ本当の事を言ってくれませんか?」

「?」

「私を迎えに来た理由、別にあるんですよね」

 その言葉に、ソフィリアは大げさに驚いて見せた。

「凄い、良く気付いたね」

「いえ、流石に貴方ほどの大先輩がわざわざ迎えに来るなんて、何か理由があるとしか思えませんよ」

「うーん、これでも一応、年齢的にはシロノと近いはずなんだけどね」

 ソフィリアのぼんやりとした答えに、シロノはほんの少しだけ湿った声で問いかけた。

「さっきの件……見てました?」

「見ちゃってました」

 御茶らけた調子のソフィリアとは対象的に、シロノは大きくため息を吐いた。

「ちょっと休もうか?」 

 そう言うと、ソフィリアは慣れた様子で航路を変更した。

 着地した場所は地面ではなく、建物の屋根。それもただの屋根では無い。

 『鳥』の休憩所、赤レンガの屋根の上に設置された小さな空間だった。

 地に足をつき、一息ついたところで、ソフィリアは自分の懐に手を忍ばせた。

 その動きに、シロノの身体がぴくっと震えた。

 いくら表面上を取り繕っていても、胸の内から叩く早い鼓動までは抑えられない。

 次に取り出される物が、シロノには容易に想像出来ていた。

 そう、それは解雇通知、もしくは依願退職を勧める書類である。

 もしかすると、もう既に自分がやらかしたことが広く公になっていて、航空魔導士の総本山である魔法協会からの資格はく奪通知かもしれない。

 そうなってしまえば、シロノはもはや空を飛ぶことさえ叶わなくなってしまう。

 ほんの少し前、水路に落ちそうになった少女を救う段階で、シロノは無数の航空魔導師の法律をいくつも破っていた。

 空中衝突を避けるための航路指定の逸脱。

 制限速度超過。

 特に、民間航空域における箒の『戦闘航行形態』の使用。これが一番マズイ。

 速度を増すための形態「トリフォニウム」は、本来民間で使用し良い代物ではなかったのだ。

 以下諸々、民事どころか刑事罰に問われる物もあり、到底許される物では無いことは明白だった。

 けれども……

―――あの瞬間、自分は全てを知りながらこの選択をした

 覚悟していた筈だ。

 諦めていた筈だ。

 あそこで少女を救うために、自分はこれまで積み上げてきた何もかもを犠牲にしても構わないと。

 そこで何もしなかったら、自分は自分で在るための何かを折ってしまうのだから。

 なのに、

「えっ、ちょっ! ど、どうしたの?」

「?」

 考え半ばで、シロノの耳に声が届いた。それは、ソフィリアの驚く声だった。

 それまで半眼に閉じられていた瞳を見開いて、心配そうに表情を動かしていた。

 その様子に、意味が分からないと首を傾げるシロノ。

 だが、その答えにすぐに行き着いた。次の瞬間に放たれたソフィリアの言葉によって。

「なんで、泣いてるの?」

 そう言われ、シロノは頬に手を触れた。

 ああ、うん。確かに、自分は泣いている。泣いて……いるんだ。

「……ぁ」

 そこまで来て、シロノは初めて気付いた。

 自分はまだ、空を飛ぶ事を全然諦め切れていないのだと。

 情けない。悔しい。けれども、一度緩んだ心の堤防は、なかなかどうして元には戻ってくれないものらしい。

「も、もしかして、さっき小突いたのが痛かった? ごめん、そんなに痛いと思わなくて」

「違います。違うんです」

 もはや自分の想いを言葉にするのも難しくなってきたシロノ。

「なら、なんで?」

 心配そうな表情を向けるソフィリアだったが、今のシロノにはその顔が憐れんでいるようにさえ見えてしまっていた。

 震える声で、けれども絞り出すように、シロノは言葉を紡いだ。

「悪い事をしたって言うのは、分かっています。でも……もう飛べないかもしれないと思うと、凄く怖くなって……」

 制服の裾をきゅっと握り、零れ落ちそうになる涙を必死に堪えるシロノ。

 そんな深刻な表情をしたシロノをよそに、ソフィリアは首を傾げて問いかけた。

「まって、ごめん。状況が良く分からないんだけど。ていうか、なんで飛べなくなるなんて思ってるの?」

「だって……私、航空魔導士法の違反で懲戒免職じゃ?」

 シロノのその言葉にソフィリアはポカンとした表情を浮かべた。

「え?」

「え?」

 一瞬の沈黙。そして、

「ふんっ!」

「ふぎゃっ!」

 ソフィリアは躊躇い無く、シロノの頭頂部にチョップを叩きこんだ。

「な、な……」

「もうっ! まったくもうっ!」

「ふぇ?」

「なに勝手に勘違いして、なに勝手き諦めてるの! ほら、見て。これ」

 そう言ってソフィリアが取り出した物を、シロノは目で追った。

 それはタブレット端末だった。

 何か文字が表示されているようだが、

「……涙で、見えない」

 滲んだ視界では、何も見えなかった。

 シロノのその様子に、ソフィリアはもどかしさに震えながら、自分の制服の袖でシロノの涙を拭った。

「あーもうっ! ほら、見なさい。お礼のメールよ。ついさっき、助けた女の子から事務所に届いたのよ。だから、私が直々に迎えに来たんじゃない」

「でも……航路逸脱とか……速度超過とか……」

 シロノがそう呟くと、ソフィリアはもう一度シロノの頭を小突いた。

「いたい」

「痛くしてんだから当然よ。まったく、不勉強ね。緊急車両と同じで、人命救助等の有事には制約が解除されるの。ほらここ、三十二章の十四節に書かれているでしょ」

 どこから取り出したのか、手の平サイズの法律書を開いて見せつけるソフィリア。

「うそ……」

「嘘じゃない。こんなもの、誰だって知ってる事なのに」

「覚えてない」

「……良く航空魔導士試験に受かったね」

 呆れた様子のソフィリアは、重くのしかかっていた空気を下ろすように、ベンチに身体を預けた。

 溜息交じりに空を見上げるソフィリア。

 入ったばかりの新人に対する呆れと、そして真っ直ぐすぎる純粋さに、素直に感心しながら。

 「鳥」の飛び交う空を眺めていた。

 きっとこの子は、シロノは良い「鳥」になる。

 そんな確信にも似た事を思いながら、ソフィリアは口を開いた。

「まったく、そんなことで悩んでいたなんて。急に泣きだすから……って、え?」

 言葉も半ばで、言葉が途切れる。

 それは、シロノがソフィリアに身体を預けたことによるものだった。

 呻くように声を漏らすシロノ。

 それは、つい少し前までとは違う安堵の涙だった。


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