シロノの仕事帳
――それは数年前の出来事
少女がまだ見習いで、少年はまだ駆け出しだった頃の話である。
魔法使いが自由に空を飛び、白色の外套を羽根のよう羽ばたかせる。
そんな日常の中、水路が張り巡らされた街の一角に居を構え、「箒」を専門に取り扱う店があった。
魔法箒店『ガーベルロンデ』
喫茶店を彷彿とさせる佇まい。そして、適度に手入れの行き届いた外観の中には、隠しきれない年月の重みを内包しているようだった。
その店主たる少年――シキミは、その日、魔法使いの少女に出会った。
透き通るような長い白髪に、自分の背丈よりも大きな機械箒を手にした姿が印象的な少女だった。
街が夜に沈んだ時間帯。すでに店仕舞いの準備を始めていたシキミだったが、気を取り直してカウンターへと向かった。
お客様は神様。ここで蔑ろな対応をして、そこから未来の顧客へと悪評が人がってしまっては元も子もない。
「いらっしゃい」
祖父の代からの教えに従い、接客をしようとするシキミ。口調までは受け継ぐことが出来なかったけれども、これが彼にとっての最大限の譲歩だった。
そんなシキミの前に、少女から無言で箒が差し出された。
少女の表情は、相変わらず前髪に隠れて窺い知れない。
代わりにシキミは、小さなその手に握られた箒へと目をやった。
緻密に組み合わさった無数の魔導部品と、刻まれた刻印。一目見ただけで、それなりの業物であることが見て取れた。
一般に流通している汎用箒とは決定的に異なる、オーダーメイドの機械箒。
それを見たシキミは、少女がどこかのお嬢様かなにかだろうと推測した。
業物の箒を見たから、だけではない。言葉もなく、ただ差し出された箒から、シキミはそう感じていた。
確かに、シキミの店は箒の修理も行っている。顧客が箒を差し出せば、それが何を意味するかぐらい理解できていた。
だからといって『言わなくてもわかるだろう』といった高慢な態度は、シキミにとって好ましいものではなかった。
だからだろうか、少しだけ意地悪をしたくなってしまったのは。
「悪いな。今日は店仕舞いなんだ。修理だったら、明日持ってきてくれ」
シキミがそういうと、少女は肩を小刻みに震わせた。肩にかかっていた真っ白な長い髪が、はらりと落ちる。
怒っているのだろうか?
そう思いながら、シキミは少女に目をやった。
そこで、見てしまった。
綺麗な白髪の隙間に見える、端正で色白な顔つき。
そして――その目に、今にもあふれそなほどの滴を湛えている、少女の顔を。
「……っ!」
罪悪感と後悔。その両方に襲われたシキミは、そこになってやっと気づいた。
その少女は、何も言おうとしなかったのではなく、涙を堪えていて言えなかったのだ、と。
震える唇を動かしながら、少女が口を開く。そして、
「壊れ……ちゃったんです」
涙声で、小さく呟いた。
なにげない、当たり前の日常の中で出会った、一滴の非日常。
真っ白な少女、シロノと式見の出逢いだった。
それは、ずっとずっと前の出来ごと。
真っ白な少女がまだ、『鳥』になる前の話である。
――
――――……
「……ん」
寝惚け眼をこすりながら、少女は記憶の海から戻って来た。
ずっと前の事。けれども、つい昨日のように思い出せる、懐かしい記憶。
あの頃憧れた姿に、自分はなれたのだろうか。
自問するも、答えは出ない。
ただ胸に浮かぶのは、新しい生活への不安と箒屋の彼と離れてしまう心細さ。
そして、その全てを塗りつぶしてしまうほど大きな高揚感だった。