事態の急変
次からはバトルになります
「――――――――――――――――新しく入ってきた報告を信じてかつての事例に合わせて計算するなら、どうやら早ければあと二日。遅くとも、五日以内に波は始まりますね」
城壁最高責任者室兼執務室の中で秘書のコレットは、責任者オックス・バーナーにそう報告した。
報告された当人は、余裕がないのか、目を真っ赤に充血させて、頭をガシガシと掻いている。
机の上には多忙を極めていることを証明するように、数多くの資料が散乱しており、机の主にすら何がどこにあるのか分からないような状態だ。
「計測機器の故障の可能性は?」
「独立した10の機器すべてが同時に故障したとは考えにくいかと。一応、メカニック達もその可能性を調べたようですがミスもありませんでした」
「くそっ」
オックスは再び悪態をついて、今度は腕を組む。
「つまり波の原型である歪みが波の開始時刻の予測時間を一週間以上縮め、さらに規模が過去最大級になるほどの急速な肥大を行ったと?このような事例の確認はあったか?」
「いえ・・・・。確認されているデータの中でも4日縮んだ20年前の波のデータが一番の誤差ですね。
むしろこうなると、何らかの影響で肥大の速度が上昇したか、または今までとは違う歪みの突然変異ができたのかと考えた方が納得がいきます」
それを聞いてオックスはくそっ、と2度目の悪態をつく。
「つまりあれか?今回の波に関しては事前の予測は何の役にも立たず、今から何が起こるのか全く分からないと?」
「申し訳ありません」
「謝れば済む問題ではない」
丁寧なお辞儀にオックスも少しは落ち着く。
「ほかの町からの支援はどうなってる?」
「同時期に発生した他の波に対応をとらせられている様子です。また、戦争の兆しもあり、正直言って
どこも兵力を出してくれはしないでしょう」
「つまるところ、現状ではどこの兵力も頼ることはできない。今いる戦力でどうにかするしかないということか」
「聖女様が町の中にいますが彼女に頼るというのは?」
「ダメだ。聖女も教会という勢力の長。町の独立性に対して、波紋を投げる結果になる」
「守れなくては意味がないと思いますが」
辛辣な口調だが、独立性を守り切れなければ教会のハイエナたちは嬉々としてこちらの利潤を吸い上げてくるだろう。
同じ人間も警戒の対象になるとは厄介なものだ。
「・・・・こうなると、聖女様がこの町に来るというのは何らかの予感のようなものがあったのかもしれんな」
「・・そうでしょうか?その場合は恐らくこちらにもなんらかのことを一言言ってくださると思うのですが」
「むう」
オックスは何となく直感的に感じたことを言ってみただけなのだが、よくよく考えると秘書の言うとおりだ。教会は腐りかけでも聖女は違った。
一度、この国の王侯貴族の披露会に、上級貴族の一員として出席し、この目で彼女を見たことがある。
美しい姿、1000年変わらぬという美貌、流れる金髪、白皙の美貌、しかしそれらをかき消すような、虚空を映したうつろな瞳。
吸い込まれるようなあの瞳を、自分が夜よりも深い黒と闇にいるのかと勘違いさせられるほどの目を見た時に彼は確信した。
この少女はこの世の全てに興味など持たないと。
その確信は間違っていた気がしない。であるなら、秘書の言う通り、聖女にも予測は出来なかったのだろう。
というか今はこんなことを考えているべきではない。
「コレット。騎士団、ギルドの両方に波の戦闘態勢をすぐに整えろと伝えろ。最悪、その歪みがここからさらに加速して成長する可能性もなくはない」
「分かりました」
「それと、町にいる聖女様を連れてきてほしい。今回の波では直接、陣頭に立ってもらう必要も出るかもしれない」
「よろしいので?」
「・・・・・・仕方あるまい。町の独自性は重要だが、それにこだわって命をあたら無駄に散らしたとなれば結局はわれわれの行動は非難されるだろう。ならば、まだ多くの人命を守れる可能性がある方がいい」
コレットはその言葉に無言でうなずき執務室から出ていって、彼の命令を遂行しようと動き始める。
残ったオックスも波の対策のためにほかの書類を無視して、騎士団の統率の為、部屋を出る。
彼は今回もなんとか乗り過ごせることを祈りながらしかし、彼の歴戦の勘は大波乱を予感していた。
「押さないでください!冒険者はランクごとに所定の受付へと集合を!」
「こちらには番号73、146、257のパーティーの方、来てください」
「報告、報酬などは後で一括でお支払するので、しばらくお待ちください」
ギルドホール。日頃の和やかとは言えないものの、明るい雰囲気の絶えなかったそこは、至急波への対処が必要になるということで、喧騒と焦燥が部屋の中に渦巻いている。
冒険者も職員も慌ただしく作業していく横で、リルや風塵のメンバー、他のSランク以上の冒険者たちはのんびり長机に並んで座っている。
「私たちは何もしないでいいんですか?」
とリルが聞くと、
「いいのいいの。どうせSランク以上の冒険者の配置は彼らと騎士団の両方の配置が決まってから、適性とか、条件を見てギルドが決めるから」
手をひらひらさせて、問題がないことを強調するミーナ。彼女の落ち着いた、というか気にしない態度を見て、リルはそれならと帰ってきて新しく買った小説を読むことにする。
それを見て、大物だね、と肩をすくめる彼女。
「普通は自分の守る範囲について決められないことに疑問くらい持つと思うんだと思うけど」
「どこも権力とか特権は手放したがらないですしね。それにある程度大きな視点のある方がこの場合は向いてますし」
レナの疑問に対してさして困る風もなくすらすらと答える。
本から目を離すこともない。
「まあ半分くらい慣習的なところもあるし、それに人間のほうの戦力事情も関わってくるからね」
「無駄な事なんですがね」
カロンもザックも多少の不満はあるらしい。が、リルの気にするところではない。
そんな真面目な話の中、一人、項垂れて机に頭をぶつけたままの人物がいる。
Sランク、弓士のケリー。彼は基本的に真面目、というか堅物な彼が落ち込むのはそう数の少ないことではないが、緊急事態が迫る中で落ち込むのは珍しい。
この場にいる全員がその落ち込みの場所に居合わせ、理由も知っていたし、無理もないだろうと同情している。
しかし、同情してても誰も慰める気にならなかった。
陰鬱とした雰囲気を無視してしばらく各々待つ6人。しかし、一向に順番は来ない。
リルが本の残りの部分を呼んだことで暇になったのでいったん帰ってしまおうか、と思ったときに自分に近づく人物の気配を感じた。
千秋だ。
「師匠。役割は決まったんですか?」
「後方支援として、居住区の中での物資や食料、補給品の輸送になるな。子供のお使い程度の仕事だ」
波との戦闘中は、不意に襲われることを考えて、運搬機械などは冒険者が使うことになっている。特別な技術はさしていらず、魔力の起動とコントロールができればいいので運転についても問題ない。
なので、Gランクである千秋の登録名アゲハに指名が来た。
「師匠は楽でいいですね。こっちは遊撃として駆けずり回るのに」
「諦めろ。慣れたら苦でもなくなるだろ」
「でも疲れるんですよ」
「あとでマッサージでもしてやる」
「ホントですか!?やった!」
リルと千秋の緊張感のなさすぎる会話は多少不味かったのか、周りの視線を集め始めた。ちょいちょい、と二人に手でジェスチャーしてカロンがそれとなく伝える。
二人もそれをすぐに理解して、千秋は「じゃあ、また後で」と言い残して、技術関連の資料を取りに行った。
リルの方も何事もなかったかのように前を向く。
「うっ、うっ、くそっ、なんで・・・アゲハさんが・・・」
ケリーが何やら呟いているが誰も聞こえないふりをする。
誰しも惚れたと思った人物が男だったと知った男を慰めるすべは知らなかったのだ。
「ただいまもどりましたよ~師匠~、ルーフ~」
「おかえり」「おかえりなさい」
配置を確認し終えたリルが借りている宿に戻ってくるとそこでは何やら折り紙を折っている千秋と、その足元に寝そべるルーフがいた。
とりあえず、そとでは見れない大きなルーフの体をモフモフする。
「あ~。癒される~」
「いったい何があったんですか?リル?」
荒んだ様子でルーフにしがみついてくる様子は少々おかしい。
「いや、なんか私の能力をみて、もっと広い範囲でも守れるだろとか言われて、準備のできてない他のSランクの人の分まで押し付けられそうになったんですよ~。せっかく2週間かけたこっちの連携作戦とか無視して。意味が分かりません」
「今回は波も中規模で、高いランクの人材のもそんなにいないし、なら経験不足とはいえ単体でも問題ないと思われる、というかむしろ単体の方が効果を発揮しそうなお前に白羽の矢が立ったんだろ」
「でも、そんなの知りませんよ~」
「それが向こうの考え方だ。いろいろあっちも追いつめられているようだしな」
「焦った人は何するか分からないということですか・・・」
ルーフが何やら深くうなずいている。
「あ、そうだ師匠。なんか今この町に聖女様が来てるってほんとですか?」
リルはしばらく依頼の関係で居住区から出ていたので知らなかったが、いつの間にやら聖女様がこちらに来ていたらしい。
「どうするんです?確か師匠その人にも封印されてたんでしょう?逃げるか、殺すかしないんですか?」
リルは結構物騒なセリフをポンポン吐いてくる。そのことに多少の頭痛を感じながら、千秋はあ~、と唸る。
「逃げるのは、ちょっと問題があって無理だな・・・。かといって殺すのもなあ・・・」
「珍しいですねマスター。貴方が敵に容赦するのは」
ルーフが疑問を呈する。普段の彼は敵に容赦なく攻撃をする人物だ。そんな彼の返事としては煮え切らない様子に違和感を感じたようだ。
「ま、まさか師匠・・・聖女に恋愛感情持ってるとか言わないですよね・・・」
リルの恐る恐るの一言に、千秋はそんな態度とは反比例した軽さで、「いや」と答える。
「ほかの奴はともかく、俺があいつに感じているのは別に憎悪じゃないからな。どっちかっていうと憐憫とかに近いし」
意味深なことを言われ、もっと聞こうとしたが、「この話はここでおしまい」と告げられて、何も聞けないリルもルーフも不満顔だ。
千秋はそれを見て、作った折り紙を外に放ちながら、「聖女との話がついたら教えとくさ」と少し苦笑交じりに答えるだけだった。