リル、無双回2(改)
町の中に点在する村を襲い、家畜を食い殺し、村人に牙を向けて暴虐の限りを尽くしていた魔獣の群れは今、牙を向けた無力だったはずの一人の人間に滅ぼされようとしていた。
その灰色の体を一陣の風に変えて走り、元凶の一人の少女から必死で逃げようとする魔獣の狼の群れ。しかし、彼らの逃走はたった一人のその少女によって許されることはなかった。
「ギャン!」
一匹、また一匹と、少女の方から飛んでくる極太の氷の槍が、逃げる狼の首や胸を的確に射抜いていく。
一匹の狼の隣で並走していた狼が槍に胸を貫かれ、次は自分ではないことを祈って幾ばくの安堵とともに狼が視線を前に移すと、そこには狼の後方にいたはず少女がすでに立っている。
「ぐるうう!」
急に現れた少女から離れようと狼は方向を変えようとするも、それより早く、少女の手に持つ黒い剣で、その狼の意識は闇に沈む。
その狼と少女の攻防を見て、逃げられないと悟ったのか、残りの狼たちは覚悟を決めて次々とその少女に襲い掛かってくる。
それを見て、少女は恐れではなく、愉悦を感じたようで、ニタリ、と口角をあげた。
「いいよ……。今私は非常に腹が立ってるの。その八つ当たりの相手にしてあげる」
聞く者の背筋の凍る冷たい口調で少女――――――リルは百の狼の群れ相手に無慈悲な蹂躙を再開した。
何故彼女がここまで怒っているのか? それを知るには、ギルドで登録カードを作ったところまで話を遡らなくてはいけない。
「はああ!? なんで? この数値壊れてるんじゃないですよね?」
リルが自分の冒険者ライセンスを見て素っ頓狂な声を上げたのも無理はない。
そこに書かれたステータスは、まだ一度も勝ったことの無い師匠である千秋よりもはるかに上であったからだ。
「いえ……私もそう思い、機器の不具合を調査したのですが、精密型チェックプログラムでも異常は検知できませんでした。それに測定の方法自体は測定者の魔力容量から漏れ出てくる魔力を捕獲し、その魔力の質から能力を測り取るという簡単な原理に従っているので、殊更、一回の使用で大きくエラーの出る仕組みにはなっていません。ですので、貴方様の能力ランクはSSSであっております」
多少は落ち着いたのか、それともリルの実力を見て殊更に丁寧に対応したのか、レティールの説明の口調は先ほどよりもかしこまったものだ。それを聞いて間違いの可能性はないことを悟り、停止するリル。
彼女の実力も当然といえば当然だ。アズールの森という魔境は空間中に偏在する魔力、そこにいる生物の保有魔力が著しく高い場所で、彼女はそんな場所で成長期の5年間をそこで鍛えて過ごしたのだ。それを例えていうのなら精神的な低酸素状態、精神的高負荷のトレーニング器具を常時着用して毎日生活をしていたに等しい。しかも、森の中では急激な環境変化も頻繁に起こり、魔力的な意味ではなく実際にそれらの環境に似た状態のに陥ったこともある。
簡単に言えば、毎日死ぬほどの命の危険のあるとてもいい環境、扱かれ三途の川を渡りかけるとてもいい訓練法、それを平素で容赦なく行うとてもいい師匠。この三つが合わさってもギリギリで生き残ったからこそのこの結果である。才能がなくとも人間の限界まで効率よく酷使すればこのように成長しましたといういい見本である。当人は別にそこまで実力は欲しくはなかったが。
「とりあえず登録は完了したんだろ? もう依頼とかを受けてもいいのか?」
「アゲハさんの方は、それでいいですが、リルさんの方は、少し問題が」
「なんだ?」
硬直したリルを無視して話は進んでいく。
「実は、登録時に能力がSランクを超えている冒険者の場合、将来有望として特別待遇が用意されています。まあ、簡単に言うとランクの飛び級で、それを受ければSランクからのスタートになります。この制度は近年約三百年近くは行使されたことがなくそのまま残っていたんですが……リルさんの場合は、試験を受けてもらえれば直後にSランクに、また本人の精密な能力計測を行った後ならば条件次第でSSSランクにすることも可能です」
「い、いりません! 目立ちたくないです」
「そうですか……では「受けとけ。師匠命令だ」」
「え?」「師匠!」
突然の千秋の発言にレティーナは困惑を、リルは悲壮さを漂わせて声を上げる。
「なーに。何事も経験だリル。お前が一人で試験を受けるのも、いい経験になるだろう。っつーわけで行ってこい。後で宿決めたら、迎えに来るから。試験は一日で終わるやつもあるんだろう?」
「ええありますが……」
「決まりだな」
「ちょっと待ってよ!! 私の意思は無いの!?」
「ンなもんねえよ。どうせお前の人間不信もここいらでどうにかしないといけないし、それにはある程度目立っておいた方が楽にいい奴も悪い奴も釣れるんだよ。それにお前が取れるんだったらSランクとっといた方がこの後も都合がいいんだ。異論は聞かん」
「そんな馬鹿なことを私が認めるとでも……」
「自立するか?」
「……っち」
こうしてリルはSランク認定の試験を受けることになった。
その後もまた不味かった。いきなりのSランク試験を受けることがギルドの職員に広まり、そこから冒険者に知れ渡る。幾人かの冒険者に疎まれ、また幾人かの冒険者には勧誘したいのか目をつけられ、さらに幾人かの冒険者には、リルの容姿も相まって、声をかけられる。
もともとが孤児で人嫌いのリル。そんなこちらを利用しようとする欲望と、好奇の視線に嫌悪し、機嫌が加速度的に悪くなる。
しかもそんな事態を作り出した千秋は、とっくの昔にGランクの依頼を受けてその場から逃げていた。
(……覚えといてね。師匠)
その瞬間に、千秋が背筋に何か寒気を感じたかは定かではないが、その場の冒険者と受付たちを文字通り震え上がらせる殺気を放ちながら、リルは試験を受けることになった。
そして今、その試験である「魔獣ハンドレッドウルフの群れの討伐」を終え、愛剣の血を払って鞘に納めたところだ。
この魔物は、百匹の群体行動の強さとその素早さ、そして何より精密な連携から、Sランクのモンスターとして認定されている。
なんでも、単騎で百匹の群れを壊滅させられる者は、単身で戦場の万の兵の戦力に匹敵するらしい。
レティールさんがリルにそんな豆知識を教えてくれたが、そんな知識知りたくなかった。
「お疲れさまでした。流石、能力がSSSランクなだけありますね。軽々とやってのけるとは」
そんな教えてくれた本人もここに試験官として同行してきている。
なんでも、受付はBランク以上の元冒険者であることが、最低条件の一つらしく、彼女もその手には、身の丈を超えるほどの杖を持っている、かつては魔術師として悪魔族の中でも名をはせたらしい。
なので、実力的な心配はなかった。
「まあ、このくらいは。訓練の時の方がきつかったですし」
表面上は会話を行い、内心、千秋のことを考える。
いくら自分が人間不信でもその荒療治にここまでするとは、という驚き。そもそも自分も人間不信のくせに一体人のこと言えるのかという憤慨。それらが混ざり合ったままリルの感情はごちゃごちゃしている。
というか都合がいいとはいったい何のことだったのか、もしかしたらギルドからくる高待遇につられただけで、千秋は自分のことしか考えていないんじゃないかそんな悩みが頭をよぎり、今も戦いに今一つ集中できなかった。
いっそのこと、きれいにすっぱり感情を洗えてしまえればいいのに。
「そんなにアゲハさんのことが気になりますか」
「は…………うえ!?」
レティールはそんなことを行ったかと思うと、リルの反応を見てクスクスと笑う。「あんまり可愛い反応だったので」と謝罪してきたが、リルにとってそんなことは重要ではなかった。
「え、えっと、いつから……」
気づいてましたか? という質問に、「最初から」と言われ、自分はそんなにわかりやすかったのかと愕然とする。
「あの登録の後、アゲハさんがいなくなって急激に機嫌が悪くなってましたし、会話してるときとか、声音の違い、私とか他の人には敬語になって警戒の色があるのに、アゲハさんには全くないこととか……結構出てますよ。証拠。まあ、アゲハさん、中世的な容姿のせいで、サキュバスの末席を汚す私でも性別が分かんなくて、最初は貴方の様な女性と組んでいたので女性二人のパーティーだと思ってたから変だなあと思っていたんですが……男性と分かったら何となく納得しました。彼は綺麗でしたしね……ってほら、今みたいにすぐ膨れる」
言われて自分の顔を触ると、千秋を盗られるんじゃないかという警戒の為か、頬の筋肉が緊張して表情がちょっとおかしかったことが手を通して伝わってきた。
自分の知らない独占欲の発露に、混乱していたリルの頭はさらに混乱の渦に巻き込まれる。
「貴方も分かっているんでしょう? アゲハさんがあなたを一人でも生きていけるようにしようという意思が。サキュバス的な直感にはそう言った親心に近いものを彼が抱いていたことも分かりました。何年も彼一人に育てられていたらそうなってしまうのも無理ないかもしれませんが……」
「分かってますよ。そんなことくらい」
「っ! 踏み込みすぎでしたね。すみません」
分かったようなレティールの口調にリルは衝動的に殺気を放って語りを止めさせる。だが、彼女とてレティールの言っていることが正解だとどこかで確信していた。
そう、リルだってわかっている。
千秋がリルの外の人物の味方を作れるようにしようと自立させようということも、自分を厄介ごとから守ろうとしていることも。
自分が狙われた時にリルのことを守れるように色々と根回しすることが、自分をSランクにしようとしている理由の一端であると。
森の中にいたならば自分一人で守り切れるというのに、わざわざリルの成長の為に、町という個人の力だけでは到底守れないところに来て、ギルドや権力を利用して守らなくちゃいけない煩わしさとか、自分が全く信じることもできない人間を相手取り、それでも自分の為に周りと関わろうとして気分を悪くしていることとか。
誰かに言われずとも、自分はまだまだ千秋にとって守られてしまう存在なのだと彼が思っていることがリルには分かっていた。
大切にされていることは心満たされることでもあったけれど、それは同時に彼女の認めてほしい相手に、認めてはもらえないことを意味していた。そうして今の彼女の心は無性に暴れたい衝動に駆り立てられる。
「終わったようですしギルドに早く行きましょう」
「は、はい」
リルはいまだ動揺しているレティールに声をかけて、この村に来た時に使った魔導車に向かって歩いて行く。
自分でも分かっている。千秋は勇者であったという事実以外に未だに何かを隠していて、それが元でいつか自分から何も言わずに離れていくのではないかという不安が彼女を焦らせていることを。
けれど彼女が千秋について行けさえすれば、千秋以外の人が味方にいないと彼が知れば、それはリルにとって回避できる未来となるはずだった。
――――――――――――――少なくとも、この時はそう思っていた。
次は千秋の方