哀しい勇者(改)
ほとんど会話。じゃなかった。残念。
リルは最近分かったことがある。それは千秋が決して夜に眠らないということだ。
自分が最初は不審な男として認識していなかった師匠である千秋に拾われてから4年。その歳月の間に鍛えられまくった技術がようやく身についてきた今になって気付いたのだが、夜中、千秋は小屋の中につくった自身の暗室にはいない。彼から学んだ魔力の周辺掌握と高圧圧縮、魔力の超速吸収などの技術を一年ほどかけてようやく実用に耐えられるレベルになった今の自分で初めて知ったことであり、そこにどんな意味があるのかをリルは詳しく知ることは無い。
今まで、地獄の修業期間の間に自分の師匠がかつて異世界から召喚されたり、勇者として千年前に魔王と戦ったり、その後突然に封印されたりしたという彼の半生は聞いたことがある。
しかしそれは彼にとってとんでもなくどうでもいいことであって、リルに教えてくれたのはその当時の封印してきた存在がそろそろ結界からの脱出に気付いて追いかけてくるかもしれないからという必要最小限の理由からである。
その証拠としてなぜ千秋が戦うことを決意したのか、召喚される以前の生活はどのように過ごしていたのかをさりげなく聞いてみても、一度としてまともに答えてくれたことはなかった。
恐らくこっちの方、と千秋の気配が漂ってくる方向を辿って小屋の中から外へ出る。
するとそこでは、千秋がそこらへんの木を適当に木って作った木の切り株に腰かけ、ぼうっとした表情のまま月を見上げていた。
目は虚空を見据えていて、彼の意識が現実の中にないことをその姿から悟る。
今しがた何故千秋が自分の部屋で眠っていないのかを聞こうと思って、かけようとしていた言葉がでてこない。足も止まってしまった。
それはリルが今の千秋は何となく、いつもの精神の壁の無い、心のむき出しのままの脆い状態に見えて、近づくのをためらったからだ。
もしかしたら四年間で築いた千秋との師弟関係が崩れてしまうことを恐れて。
「んあ? リルか?」
完全に呆けたような声でこちらを確認してくる様子にはいつものからかったりするような気配がまったくない。
やっぱりいつもと違う、そんなことを感じてすぐに小屋の中に戻っておきたくなったが、見つかった以上はここで戻るのも不自然に感じるし、どうしようもない。諦めて千秋の方に近づいていく。
「師匠の後ろに座っていい?」
多分千秋の様子が変なせいだろう。それに影響された自分が照れもなくそんなことを言えたのは。
いつもは踏み入れない千秋に近づいていくのは不安もあったが、今の彼ならばいつもは感じられない本音に少しは近づける気がしたのだ。
まるで火の明かりに吸い寄せられる蛾のようだ、と思ったが不吉な連想だったのでやめた。
「よっこいしょっと」
そう声に出して千秋と背中合わせに座るリル。栄養失調の体はこの森の中で成長したことで身長も百六十センチほどになり、百七十センチほどの千秋と体重をかけあってももう潰れることはない。
ゆっくりとした時間の中、二人して夜空を見上げる時間は静かに過ぎていく。後ろの千秋が何を思っているのかは知らないが、リルには千秋の背中が結構あったかいということくらいにしか思ったりすることはなかった。
「ねえ、師匠」 「うん?」
このままの勢いで彼の内面に入っていくには何かを話した方がいいような気がしたリルは、なんとなくという曖昧さで自分の身の上話をしていた。
「私さあ。母親に七歳くらいまで面倒見てもらったけど、それってあの人の私っていう子どもに対する純粋な想いの結果とかじゃなかったんだよね。単純に父親の忘れ形見で、父親を心酔してた母親が私が忌み子だったとしても育てようとしただけ。それを確信したのは母親が死ぬとき、「あなた、私は娘を立派に育てました」って言ったとき。まあ、兆候は何度かあったしそもそもあまりまともに育ててもらった覚えもないからそんなもんじゃないかなとか思ってたし、あまり傷ついたりしたわけじゃないけど、なんかその時から意地でも死にたくなくなったんだよね。私の人生は貴方の物じゃないってことを言いたくなって」
結局自分も身勝手な母親と同じということなんだろう。自分の人生を自分で決めている姿を母親に見せて、自分はあんたの人形じゃないと言いたかっただけ。
身勝手に押し付けてきた人に、あんたの身勝手なんか知るかと伝えてみたかっただけ。
だから形見に固執して、千秋についてきた。
「そんなもんだぞ人間は。大抵というかすべての行動が自分のためにしか行動できない。たまに結果的に相手のことを思いやれたりするけど俺は意識してやれたことないな」
千秋のどこか達観したような軽い言葉にリルも少々抗議する。
「師匠、私の一大事だったんだよ? 一応。軽すぎない?」
「誰だってまともに生きてりゃ一大事くらいあるだろ。特にお前や俺みたいに周りには敵しかいなくて、自分だけが味方っていうようなまともじゃない生き方になった奴等は」
彼の言葉は最もらしく聞こえたがすぐに「間違ってる」と訂正する。
「今は私には師匠がいるじゃん。味方は自分だけじゃないよ」
しかし、彼女の師匠はそれを即座に否定した。
まるでそうであってはいけないと思っているかのように。
「アホ言え、俺がお前を拾ったのはお前の境遇が俺に似てたからだ。理不尽に虐げられ、周りは誰も助けない。そんな状況が被って見えたんだよ。別にお前の特別な味方というわけにはならんだろ」
そうやって話していく内容は忘れもしない。かつてリルを強くしてやるといったときの理由そのままだったが、別にそれだけしか理由がないわけじゃないことくらい成長したリルにはお見通しだ。
心底助けたくないと思っている人が日頃あそこまで甘いわけがない。
訓練は別にして。
「私にはこの目があったからだけど、師匠の迫害の理由は何? 見たところ何も迫害の理由はないと思うんだけど」
境遇が被って見えたという一言に疑問を感じて千秋に質問すると返ってきた言葉は端的で、意味が分からなかった。
「俺が男だったからな」
「え?」
リルは困惑した。そんなものが迫害の理由になるのかと。
「まあ……そうだな……俺だけがお前のことを知っているというのもなんか不自然だしな。別に話してもいいか。俺が勇者としてこの世界に召喚されたのは前言ったよな?」
「うん。異世界から来たって」
「俺はな、そんな異世界の中でも結構特殊なトコに生まれてな……。簡単に言えば男を排斥する一族で、その中の直系の長女がとある男に強引に犯されて出来た子供が俺でな。生まれてから女児だったら育てようと思ってたみたいだけど俺が男だったから母親は当然生まれたばかりの俺を無視したし、親族も俺のことを顧みることは無かった」
「それは……」
全く千秋には関係ないではないか。そう言おうとしたがそんな理屈が感情論の前に通じないことくらいリルの少ない人生経験でも理解はできる。
納得はしないが。
「まあその頃、本家に遊びに来てた分家の遠縁の七歳の女の子がしばらく俺を育ててくれたお蔭で、今の俺がいるんだけどな。一年ほど育てられてから、他の親族に見つかって問答無用で俺は誰もいない山へ捨てられたよ。あの時からだな、生きたいと思ってから手段を選ばなくなったのは。虫とか草とか木の皮とかなんでも食ったな……。それから四年ほどして、その育ててくれた女の子が他の親族からの軟禁からも解放されてやってきたな。俺に墓をつくってやるために」
「……」
あまりに壮絶な話にリルは絶句する。
「そこでまあ俺としては迷惑もかけたくなかったし、見つからないようにこっそりとしていたんだが……少女についていた凄腕の執事に見つかって、その女の子にも俺が生きてることがバレて、問答無用で連れていかれたな……。あんときは確か二秒もかからず気絶させられたな」
「師匠が!?」
リルは最強だと思っていた師匠の敗北に驚く。
「おいおい。俺その頃五歳の栄養失調児だぞ。普通に負けるよ。まあ、二秒持たせたことで、執事の人からは見込まれて、いろいろ鍛えてもらえたけど」
才能はそこまでなかったが、本当に死に物狂いで型を反復し、身体を鍛えた。そのおかげで今も生きていられる。そうつづけた千秋の口調には自分の出生に対する周りへの怨みは感じることはできなかったがどうなのだろうか? 怨みがないというよりは至極、どうでもいいと思っているように感じられた。
「そのあともいろいろあって……いろんな人脈を作ったり、関係を持ったりして、生きるための基盤を作るのに必死だったな……」
なにせ相手は財力、権力、家柄の三つを備えていた。油断したら、少しでも相手が本気になったら、自分は殺されていたはずだ。
本家の恥として。
「その後は、就職とかして仕事に行こうと思ったときにこっちに強制召喚された感じだな」
「……それなのに戻るために魔王と戦ったんですか?」
「当たり前だろ? まだ俺はあの人に、月夜に恩を返していない。まあ、それも今じゃ無理だけどな」
――――――――――――――――別のいい女性をあたった方がいいと思うわ
――――――――――――――――あなたのそれは愛じゃない
――――――――――――――――でもそれしか知らない、それしかないのなら
――――――――――――――――しばらくの代用品くらいにはなってあげてもいいわ
十八になって彼女がなんでもくれるといったから、初めて欲を出して彼女を欲したとき、彼女は俺の”これ”は愛じゃないと告げた。
そう告げて俺と結婚の手続きをした彼女の想いは一体どんなものだったのか。いまだに千秋にはわからない。
一人は不安で、自分は吹けば飛ぶような軽い存在で、そんなだから縛ってしまったことに気付いても知らないふりをして、どうにか変えようと思ったときに、こちらへ来させられた。
いまだに彼は彼女を縛っていることに恐怖しか覚えない。
「でも師匠……師匠は魔法を使えるんじゃ……」
万物の法則をただ自分の想念の形に歪めてしまう最終手段。世界を新たに創造することも世界のバランスも崩すことも容易に可能とする万能能力を確かに彼も使うことができたが、千秋は「いや」と首を振る。
「方法だけではだめなんだよリル。俺はもうどんなに望んでも、どんなに悔やんでも、どんなに謝りたくても、時間以上の障害がある限り、あの世界の中には入れない」
「それって―――――――――」
「まあこれ以上は気にするな。お前はそんな後悔はするなよ。始まりはどうだろうと俺にとっちゃお前はもう娘みたいなもんだし」
そういって先ほどまでは確かになかったはずの壁を戻し、小屋の中へ戻る千秋。
「師匠……」
数十歩もない距離でも、彼の張った壁と、娘と言われたショックは彼に近づこうとしたリルを立ち止まらせてしまうのに十分であった
リルさんが恋愛感情に近いものを持っているのに疑問を持つ方もいるかもしれませんが、逆に助けてもらってから、思春期の多感な時期にあった一人の異性ってことで逆に好意を持たないのは不自然でもある気がしたので。ちなみにリルさんはこの後メインヒロインになるとは思います。作者はバッドエンドは好きではないので。