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矜持

遅れました。すいません

 一人の男が教会総本山の7階の吹き抜けを足音を響かせ、ゆっくりとした歩調で歩いている。

 男の役職は特別聖職者と言われるもので、身に纏った法衣は質素でありながらも品があり、動きやすさを重視して作られているためか男の動きからは年齢の衰えを感じることはできない、壮年の整った風貌と彼の黒縁の眼鏡の奥から覗く知性の光が、彼に学者然とした雰囲気を与えており、周囲はそれをもって彼を理知的な人物として認識していたが、決してそれだけが男の本質ではなく、数々の調査で鍛えられた強い意志と諦めない強靭な精神力が男の根幹を成していた


「おお、ガスト君ではないか。どうかな。そちらの実験の様子は?」


 力強い歩調の男に、剃髪した頭を光らせ、表面上はにこやかに聞いてくるのは、男―――ガストの属する組織、教会における最高権力を保持した一人でもあり、彼の雲の上の上司にあたる大司祭グレゴリー。60を過ぎてブクブクとした体に纏う服装は彼と比べ物にならないほど豪奢であり、金の刺繍を嫌味なほどに縫い付けてある。そこからも読み取れるような醜い性根と成金趣味に、彼は常々辟易していたが、逆らっても百害あって一利なし。

そう考えて、いつものように、今回も余計な事に触れず、あたりさわりの良い言葉と笑顔で返答しておくに留めた。

 ところが、早くどこかへ行ってほしいという心の奥底に隠した切なる願いは、どうやら天に届かなかったようで、グレゴリーは勢い込んで話をつなげてくる。


「いやなに、聞いた話では今度行う実験は教会の始原に関わると聞いてね。そんな重要な実験を行う前途有望な若者を激励したく思ったのだよ」


 含むものを全く悟らせない好々爺然とした笑顔とともに、聞こえはいい言葉を言われた彼はその裏の意図を読んで、げんなりと憔悴し、心の中で顔を顰めた。

 偶々今回、運が良かっただけの若造が図に乗ればわかっているな。という牽制。

 仮に成功したらこの手柄は私の者だ。そんな副音声も聞こえてきそうだ。

 ガストももう若者と言われるような若さからは抜け出して、そろそろ、「おじさん」の呼び声がかかるというのに、若者呼ばわりは絶対に皮肉だ。


「それは光栄です。今回のような大役が私に務まるかどうか実を申しますと、朝からひやひやしていたのですよ。お言葉を糧に精一杯役目を果たさせていただきたいと考えています」


 本当にさっさと終わらせようと、礼を述べて、腰を折る。

 年取った老害なんぞこうすれば、すぐに機嫌を直す。


「うむ。今日はぜひ頑張って気張ってもらわなくてはな。なんといってもかつての勇者召喚の再現だ。期待しているぞ。」


 案の定の反応と、ハッハッハという妙に作られたような笑い声とともに、グレゴリーはドスドスと去っていく。歩く音で、彼の体の贅肉の多さが知れようというものだ。揺れる贅肉はきっと数々の憐れな子羊たちから搾り取った寄付金の無駄遣い。


「ありゃ絶対できないと思って馬鹿にしてきたやつだったか・・。研究畑の俺にはこういうやり取りは辛いな・・この状況。お偉方が静かにしててくれるわけねえけどさ・・」


 ため息を一つ吐いて、ガストもその場から離れる。この後もまた誰かに絡まれて、実験の準備ができなかったら目も当てられない結果になることが容易に想像できたし、何よりこんな風に止まっている時間も彼には残されていなかったのだから。












 この国には、いや、この世界では一つの空想ともいえるおとぎ話が長年多くの民衆に語り継がれてきた。

 曰く、かつて魔王と戦った勇者は異世界から召喚された超人的存在であったというものだ。

 この出来事の真偽は長い間議論されており、教会のトップである聖女を信奉する聖女派はこれを事実とし、一方の教皇派はこれを虚構であるとして激しい対立を繰り広げてきた。お互いの主張はそもそもの勇者自体の存在の立証ができずに、水掛け論としかならなかったが、対立して権力が欲しい教皇派にとってはそんなことは問題ではなく、ただ、間違っていると非難したかっただけだ。

 そんな考えがまかり通っても問題ないほどに、かつて千年前にあったといわれる戦争の資料は恐ろしいほどに少ない。

 さらに言えば、何者かが勇者の存在を覆い隠したのではないかと言えるほどに勇者の言動も行動も、記録がない。

 そんなわけで、一方は存在するといい、もう一方は存在しないという妙な議論がおこってしまった。まさか信仰のありどころであり、見えないやさしさを信じましょうと謳う教会が、資料がないからいなかったというような、目に見えないものを信じるとなってしまうことは言えず、また片方の派閥が聖女であったことも問題の長期化の原因に問題になってしまった。

 そこでおよそ500年前、当時の教会は「特別聖職者」なるものを設立。その主な目的は、異世界の存在の立証、御伽噺の実現であり、毎年教会から少なくない金額が研究資金として出され、その方法の調査と開発をすることになった。

 もうすでに、最初に難癖つけた教皇はいないのだが、権力欲しさの何人かの高位聖職者がその議題を続け、今でも特別聖職者を維持している。

 今まで副次的に、様々な魔術の新たな発見の実績もある機関で、歴史的にも長く、信頼も大きい。そんな機関の木端職員の一人としてガストは活動してきた。

 古代の竜の巣へ彼らの記録を探した探検、永久氷河に包まれた雪原へ、歴史の生き証人を探した調査。

数え上げればきりのないほどのひどい目に遭遇した。

彼が鍛えられたのは故無いことではない。

 特別聖職者は払われる給金に反して、命の危険は当たり前なブラック企業であったが、それでも研究はやめなかった。

 やめなかった理由は、本来、魔術研究者は、軍事目的、国家防衛の観点などから国家や権力に忠誠を誓わないといけないのだが、それを誓わずとも教会では、ただ平和利用を確約するだけで最先端の研究ができること。資金がどこよりも豊富に使えたなどいろいろあるかもしれないが、結局は自分の性にこれ以上ないほど合致したからだろう。

 今でも、自分が新しい発見をした時の喜びは彼の半生に刻み込まれている。


「先生、ここの機材はどちら向きですか?」「あ、ああ、北に37度にしてくれ。」


 実験の最中に何を考えているのか、首を振って思考をリセットし、研究の最終段階として設定されている公開実験の準備をひとつひとつ消化していく。

 時に職員や自らの教え子に的確な指示を告げ、一番の根幹である魔術陣を自分の魔力で描いていく。


「成功の暁には、ぜひとも新たな勇者どのには教会への入信をお願いしたいですな」

「まったくですな」「いやいや、気がはやりすぎですぞ。まだ成功と決まったわけではないのですから」


 そんな感じの外野の下衆な声を極力聞き流し、高尚な実験に集中する。

 そして遂に、自分の十年をかけた実験の準備を完了した。

 後は、魔力を流すだけだ。

 研究が報われるのか、先ほどから指のふるえと気分の高揚が止まらない。


 研究は成功しているはず、問題は無い、と自分を励まし、努めて平静な声で、実験の開始をその場の司教たちと職員に伝える。


「第一魔力回路魔力供給開始。完了」


「第二魔力回路解放。供給開始。80%充填。第三魔力回路の供給を待ちます」


「第三魔力回路基幹部に魔力集中」


「第四魔力回路は・・・・」


 自分の弟子たちが屈指の難易度を誇る新たな魔術陣へと魔力を注いでいく。数十人がかりですでに竜種や精霊種の王たちに匹敵する魔力を、人が百人は入れる陣にこめて、なお魔術陣はその魔力容量に半分にも満たない上、起動する術式が思ったよりも伸びない。

 前々からの必要魔力の多さと、術式の複雑化による術式効果の阻害という懸念が頭をよぎるが、ことここに至ってはその思いは不要。

 ガストは諦めそうになるも、自身をそう叱咤し、実験を途中でやめることはしない。

 今の彼には、この術式がここ三十年の全てだった。諦めるわけにはいかない。

 鋼の意思を魔力にこめ、最後の第二十二層目の魔力回路に魔力に込める。

 その直後、魔法陣は発光し、その場にいた全員が思わず目を細め、魔術陣の中心を直視することができなくなる。

光が収まり、ガストが実験の成功を一刻も早く確かめるために、まだ癒えない目を開き、魔術陣を確認する。


「やあ、こんにちは。人と会うのは千年ぶりだけどまだこれであってるかな?」


彼の見た先にさきほどまではいなかった、黒装束の不審な人物が魔術陣の中心に立っていた。


次は5日くらいになるかもしれません

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