幕間4 黒竜王と天空王と海王
シリアス回
夜。満天の星空の下、海の上を一匹の竜がその翼をはばたかせて飛んでいる。全長は二十メートルほど、翼を広げれば幅五十メートルに届きそうな体躯が夜の闇を切り裂いていく。その翼の一羽ばたきごとに海面ははじけ、風が悲鳴を上げる。竜の瞳はどこを見ているかはっきりとはしないが、遠く、彼方を見つめて飛んでいることだけはみて取れる。
不意に、竜は首を曲げて旋回し、海上から距離をとった。
その瞬間、空から雷光もかくや、といった速度で巨大な何かが駆けてくる。
それは海上に落ち、大きな水しぶきを上げると見えた刹那、海面から百メートルほどのところで静止して、滞空し、先にいた竜と同じ高さになる。
それは巨大な蛇の胴体と、猛禽類の頭、鷲の鉤爪を無数にもち数多の翼を空に載せていた。
「久しいな。黒竜。いや、今は黒竜王だったか」
「そちらもな、天空王」
言葉は少なく、されど彼らにとっては長い言葉を交わす。彼らは何度か争ったこともあれど、互いに互いを親友とみなしていた。
「それで今日はどういった要件なのだ黒竜王。まさか汝のこと、つまらんことで呼ぶわけではあるまい」
「私としてはつまらないことの方がよかったのだが……。もうすぐ海王もここに来る。その時に一緒に話そう」
天空王はその黒龍王の言葉を聞いて、しばし瞠目する。
なぜなら黒竜王と呼ばれる目の前の竜は、現在の世界でも一、二を争う実力者だ。その竜が「つまらないことの方がよかった」などと言うということは、よほどのことがあったということだ。
一体何が、と考えている内に、だんだんと空気が震えているのを天空王は自身の特有の力”空力”で感知した。
「来たな」「ああ」
互いに言葉を交わし、海面を見ると大きな泡がいくつもできてから、だんだんと海面が盛り上がっていく。
「があっはっはっはー。どうれ、久しぶりの海上じゃな」
百メートル上空の大気を振るわせる陽気で馬鹿でかい笑い声とともに、体をうろこで覆った魚人が姿を現した。
その堂々たる体躯は、他の二匹をはるかに上回り、体中に恐ろしいまでの筋肉がついているのがよく見える。まさに圧倒的強者の姿であったが、
「五月蠅い」
「静かにしろ」
という二匹の冷たい声にあえなく撃沈し、肩を丸めてちょっと小さくなった。
「わ、わしこれでも海王なんじゃが・・・」
「ならば尚更、見本となるべくおとなしくするべきだな」
「わし呼ばれてきただけじゃのに」
天空王の一言でさらに追い打ちをかけられ、海王はもっと沈んだ。
「で、我々を呼んだ用件を聞かせてもらいたい」
そんな様子を全く気にせず、天空王は黒竜王に話しかける。
「いいだろう。二方とも気を引き締めて聞いていただきたい」
厳かな始まりに三者に緊張が走る。
「信じられないだろうが……私も信じたくないのだが……勇者が結界の外に出ているようだ」
「なっ……」「なんと……」
天空王も海王もその事実の衝撃に言葉を失う。
「だ、だが結界はどうしたのだ!? あれは壊さずして出られるようなつくりではないぞ!」
いち早く体勢を整えた海王が発言する。黒竜王はそれに首を振った。
「わからん……いかなる手段を用いたのか、およそ我われの知るあらゆる方法で
はあの場所から出られなかったはず……だが私はつい先日勇者の”黒”を感じたのだ……あの禍々しく貪欲でありながら、一つにまとまった色は勇者以外にありえん」
「何! 色だと!!」
天空王は動揺する。竜という種族は体色が七色あり、それぞれの竜が自身の色と同じ色に対し、絶対的な支配権を持つ。それは”竜言語”と呼ばれる竜の技法で操られ、ブレスや飛翔の力としても使われている。
今、目の前にいるのは、七竜王の中でも最強の黒竜王。黒という色の支配に対して間違うことは、魚が溺れるようなもの。つまり、絶対にない。
「ということは、勇者はすでに外界にいると?」
「恐らくは」
「場所は?」
「分からない。阻害されていた」
「ゆゆしき事態じゃな。わしの方は今すぐ対策を取りに戻りたい。倒すにしても、再び封印するにしても、あ奴は規格外すぎる器じゃったからな」
「そうか」
海王は黒竜王の返事があるや否や、一瞬で姿を消した。その体躯が消えたというのに現れた時と違って、音はまったく立たなかった。
そんな静けさの中、黒竜王と天空王は、何を言うでもなく、その場に留まっていた。
「空族の下へ、行かずともよいのか」
黒竜王が天空王へ尋ねる。
「まあ、今急いだところで事実は変わらん。それにどうせあの勇者のことだ。ずいぶん前から外にはいたのだろう」
「だろうな」
「そっちはいいのか?」
「ああ。補佐の黒竜に任せてきた」
そこで、会話は途切れる。
埒が明かない。そう思い天空王は質問を変えた。
「迷っているのか?」
「何?」
「勇者と再び敵対することを」
黒竜王は沈黙する。
「私はかつて魔王に従った。それは多様な種族のいる大陸。その中の空族の王としてだ。戦争においては勇者とも戦い、何度も傷つけあった。何度も敗北した敵同士。だが、お前は違う」
静かに、力強く問いかける天空王。その瞳を見て、やがて、黒竜王も口を開く。
「確かに私は勇者のーあの人の味方だった。卵であったときに戦禍の及ぶ場所から
救われ”くろすけ”の名前をもらい、彼の黒から色をもらうことで成長できた。今の私の力の根幹も、在り様もあの人の作ったものだ。だが――――――」
私はあの人を裏切らなくてはいけなかった。界の色彩の守護者であり、支配者の竜として。
「黒竜王・・・」
「今更何と言える。あの時も心の折れるような、捻じ切れるような気分でやった。
再びやりたくはない。かといってあの人に何を言えと。何と言って許しを請えばいいのだ。あの人の帰る理由も、戻る必要も、せがんで聞いていた私が! 自身の不安を埋めたいがために縋り、自分に流れる血のために最後に裏切った。決して彼は私を許さないだろう。あまつさえ、帰れなくするだけでなく、あんな呪いのような封印をかけたのだ。人の身で千年間死ねなかったのはいかほどの苦痛なのか……」
「黒竜王」
天空王の呼びかけに黒竜王は我に返る。
「私は彼と戦うよ。勇者と。今でも彼は彼なのか。それともあの種に飲み込まれたのかを見るためにも」
それに、と続ける
「私は君と違って彼とは戦いしかしていない。私には迷う余地はないよ」
黒竜王はそれを聞いて、少し羨ましそうにした。
「私には君の方がうらやましいけれどね。君にはまだ選択肢がある。私と違って。
君が君にとって正しいと信じる選択をできることを祈ってる」
では、また。そう告げて、天空王は去って行った。
あとに残された黒竜王は一つ呟く。
「私が竜でなければ・・」
意味のないことと知りながら、それでも黒竜王は考えざるを得なかった。
次は3年後のリルと千秋