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愛しき白の翼の娘  作者: 森陰 五十鈴
『愛しき白の翼の娘』
7/8

白い翼は墜ちていく

 どうしてこんなことになったのだろう。

 変わり果てたマヤの姿を見て、イールは嘆いた。


 マヤに届け物を頼んで、帰ってこないのを不審に思い、イールは持ち前の情報収集力を利用して彼女の行方を捜した。手掛かりはすぐに見つかったほうだと思う。まさか最近拾った噂がらみだとは思っても見なかったけれど。

 行方を掴んだイールは、直ちに行動を開始した。鍛冶屋に戻って剣を掴み、遺跡の多い森の中へ入っていった。そこで道を踏み外した魔術師を追ってきたという男に出会い、共に秘密の研究所となっていた古い城塞に入った。

 城塞の中には所々に魔術が掛けられていたが、幸いにして同行者も魔術師だった。中にいた魔術師は2人して斬り払った。いくら細身であるとはいえ、経理しかしていないとはいえ、イールは鍛冶屋で働く男だ。商品について知っているのは当たり前。だから、剣の扱いは心得ていた。


 そうしてようやく見つけ出した幼馴染みは、異形と成り果てていた。

 見た目はほとんど人間。マヤの姿をそのままに、背には6枚の白く大きな翼。簡素な白いローブを纏っていて、床に転がる本の挿し絵とそっくりだった。

 ああ、人を拐う理由はこれだったのか、と場違いな感想を持った。それだけ、頭が目の前の光景を拒否していた。


 衝撃から立ち直り、語りかけてみれば無反応。あれだけ溌剌としていたの嘘のように、顔から表情が消えていた。


「どうしてこんなことに……」


 お転婆で、でも真面目に働いて。戦争が終わったら王子を相手に物語のような結婚ができただろうに、どうしてこんなところで終わってしまったのか。


 異形は他にもたくさんいた。動物と組み合わされた女たちだった。それらは全て、連れの男が殺してしまった。

 マヤもまた、そうするべきだろうか。この姿ではなにも望めない。それなら、今ここで楽にしてしまったほうが――。


 ……いや。


 イールはマヤを外へ連れていった。逃がしてしまうことに決めたのだ。すぐに死ぬだろうとは予想していた。化物として狩られるか、食事をできずに餓死するか。それでも、どんな結末が待ち受けていたとしても、せめて一瞬でも自由で在れるなら。


「行きなさい」


 イールの言葉を理解してか、マヤは空へと飛び立った。イールはそれをただ見守る。連れの男が何故逃がした、と責め立てたが、意に介さず見送り続けた。

 彼女が向かったのはここから北西、戦場とかしているだろう国境の方角。




 自分を助けた女のその姿に、エインハルトは驚愕するしかなかった。

 姿はよく知った愛しい娘のものであるのに、浮かぶ表情は今までに見たことのないほど感情に欠落したものだった。身に纏う夜着のような簡素な白いローブは彼女の好みではないし、なにより背中に翼など存在するはずがなかった。

 けれど、エインハルトは確信する。これはマヤだ。


 愛しき娘に抱えられ、宙に浮かびながら困惑した。どうしてこんなことになっているのか。連想するのは戦場で爪や牙を振るっていた合成獣たち。

 嫌な想像が頭の中で描き出される。誰かの手によって全てを変えられようとしているマヤの姿を。彼女は彼女であって、彼女ではない。それがどういうことなのかを悟ると、地面に落ちていく気分だった。

 絶望の次に湧き上がってくるのは、憤りだった。彼女を実験台にした魔術師に対して。魔術師たちをどうにかすることを考えなかった城に対して。それを促さず、彼女が酷い目にあっても助けることのできなかった自分自身に対して。


 歯を食いしばり、拳を握りしめていく間に、2人は少しずつ戦場であった森を遠ざかっていた。男1人抱えた飛行は不思議なほどに安定していて、魔の力を感じさせる。


 そのうち、飛び疲れたのか、開けた場所に下ろされる。

 地面の上に立ったマヤは、ぼうっとした表情で何処かあらぬほうを向いていた。


「マヤ……」


 すっかり変わってしまった彼女を抱き締めると涙が浮かんできた。温もりがいつもと変わらないのが、ますます辛い。腕にさらに力が篭る。

 どうすればいいだろう。どうすれば、あのときに戻れる。為す術もないことがとても受け入れられない。


 抱き締められたマヤは、不思議そうな顔でエインハルトを見上げていた。感情が欠落したことで、無垢な子供のようになってしまったようだ。

 胸が締め付けられる。とても手放すことなどできない。手放してなるものか。

 エインハルトは覚悟を決めた。抱き寄せた恋人に、涙声で耳元に囁く。


「行こう、あの庭へ。私たちが出逢った、あの花が咲く庭へ。そこで約束を果たそう」


 抱き締められたまま、マヤはふわりと飛び立った。向かうのは、2人の故郷のある方角。


「……覚えているのか?」


 不思議に思って問いかけて見るが、返事もなければこちらを見ることもなかった。一心に飛び続けている。

 それでも、彼女の気持ちが流れ込んでくるようにわかった。解っていなくとも、そうしたいと彼女は想ってくれているのだ。


「大丈夫だ。たとえどんな姿でも私は君を離さない。共に最期まで生きよう――」


 果たして、覚えていたのだろうか。エインハルトの言葉を聞いた彼女の頬に、一筋の涙が流れた。表情は相変わらずないまま、眦から透明な雫を溢れさせている。

 届いている。それだけで絶望も怒りも全て消え失せた。


 世間はおそらく彼女を受け入れない。だから、遠く離れた場所で生きよう。人里離れた森の奥。山の中。砂漠の真ん中でもいい。そこで2人だけで生きるのだ。

 その前にまず、約束を果たそう。花は咲いていないけれど、あの場所で一生を誓い合うのだ。


 ようやく見えた故郷の姿に、エインハルトは終わりと始まりを感じた。




 気付いたときには、宙に放り出されていた。

 自らも墜落していくなかで、エインハルトは目撃する。

 撃ち落とされた鳥と同じように墜ちていく、愛しい娘の姿を。


 首都を囲む城壁から放たれた無数の矢が飛んでくるのを見て、エインハルトは小さな約束に拘ったことを激しく後悔した。

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