やがて年月を重ね
「また来たの」
庭での出会いから6年。マヤは美しい娘に成長していた。幼い頃から自慢だった絹糸のような亜麻の髪も琥珀の瞳も艶やかになり、周囲の男たちを魅了するようになった。だが、一番の魅力は、年月を経ても衰えることのなかった活発さ。
そんな彼女は自宅でもある鍛冶屋の入口で、来客を前につれない言葉を口にした。
「我が愛しの君を戴きたく存ずる」
さらりと歯の浮くような甘い言葉を吐くのは、見る目にも輝かしい金髪の男。翠玉の埋まった貌は完璧なほどに整い、纏う衣服はさりげなくも高価で、何処の王子が忍んできたのかと思うことだろう。
最も、それは外れていない。彼こそ、ウィトリスの第三王子エインハルトであるのだから。
「剣を取りに来ただけで大げさな。……待ってて、今取りに言ってくるから」
夢見る乙女なら卒倒するであろう台詞をマヤは真顔で一蹴し、店の奥へと消えていく。その姿に苦笑して、手持無沙汰になったエインハルトは、店に飾られている武器の数々を眺めることにした。
「さすが王子と褒めるべきでしょうか。物語のような台詞が実に板についておられます」
敬いながらも気安い調子で話し掛けるのは、ある意味マヤ以上に鍛冶屋という場所にそぐわぬ細身の青年。
「久しいな、イール」
「それほどでもございません。二週間前にはお会いしたはずですよ」
そうだったろうか、とエインハルトは首を傾げる。その様子に、イールはただ微笑みを浮かべるだけだった。
「相変わらず、マヤしか目に入らないようですね」
マヤと共に城の庭に忍び込んだのを見つかってからの6年間。彼女の父が王にも憶えのなる鍛冶職人であることも相まって、エインハルトとマヤの交流は多かった。はじめはいがみ合っていた2人だが、それ故に次第に気の置けない仲となった。
はじめは友人関係でも、異性同士の交流であれば、時が経て芽生えるものがあるのもまた道理。
エインハルトは王子ではあったが、王子の血のにじむ努力による功績によって周囲を黙らせた。もちろん、マヤの身元も確かであることもあっただろう。
「そうなのだが、彼女にはそれを分かって貰えていないらしい。何度口説いても躱される」
「昔からああやってマヤをからかっておいででしたから、彼女もその手の言い回しに慣れてしまっただけですよ。最も、通じたところで今は貴方に渡すつもりなどありませんけれど」
訝しげに眉を寄せれば、
「すぐに水が差されると分かっていて、結婚を許せるはずがない」
王子は口を噤んだまま、それでも納得したように頷いた。
「聞いていたか」
「王室の話は国民の関心事の一つですから。王子の出兵などという話題は、特に広まるのが早いので」
半年ほど前より、この国は戦乱に見舞われている。相手は北の隣国マルディン。原因はちょっとした貿易での不祥事。しかし、長い年月をかけて降り積もった互いの不満が爆発するきっかけとなってしまった。そして、普段は小競り合いで済む程度の争いが、瞬く間に戦へと発展してしまったのだ。
そして先月、エインハルトは自身の出兵を決意した。民を率いる王族としての義務を果たそうというのである。仮にも王族、前線に立つ兵に比べれば死に曝されることは少ないだろうが、それでも皆無ではない。イールの言葉には、妹のように思ってきた幼馴染を結婚早々未亡人にさせるようなことはしたくない、という意味が含まれている。
当然だ。エインハルトもまた事実を手に入れるだけの自己満足の為に彼女と婚姻を結ぶ気はない。
「それはそうと、最近魔術師たちが妖しい研究に手を出しているとか」
突然切り出された新しい話題にエインハルトは虚を付かれた。そしてそれがあまり一般的に出回っている話題でないことに気付くと、苦笑を浮かべる。
「相変わらず耳の早い」
鍛冶場に似合わぬこの男。逞しい男たちの中で1人頼りなく見えるこのイールは、情報収集に長けていた。町、国、ありとあらゆる噂を何処からか仕入れてくる。それはすべて、この男の好奇心によるものだろう。この6年、マヤの活発さが収まらなかったように、彼の好奇心もまた留まるところを知らなかった。
「多種多様の動物たちを集めているばかりか、人の誘拐にも手を染めている一派があると聞きました」
エインハルトは舌を巻いた。そこまで知っているとは思わなかった。何分遠く離れた街のことである。城内でもようやくその話を掴んだところで、詳細は知れ渡ってはいないというのに。
この国には、多くの魔術師がいる街がある。何やら組織を作って研究活動をしているらしいが、その内情は計り知れなかった。イールの言う怪しい研究も人拐いの件も、全てその街の出来事である。
城のほうで何かしらの対応は取るつもりだった。だが、戦争という現状が行動を遅らせてしまっている。
「まだこちらではなにもないと思うが、警戒はしておいてくれ」
「はい」
エインハルトには、警告することしかできなかった。増して、近々出立する身とあってはなにをしようと中途半端になってしまう。だが、城にいる者たちは優秀だからなにか策を講じるだろう。
そうこうしている間に、マヤが戻ってきた。
「はいこれ」
マヤは鞘に収められた剣を差し出す。エインハルトはそれを受け取ると、ゆっくりと刃を引き抜いた。顔の前に翳し、角度を変えながら刃を観察すると、満足げに頷いた。
「相変わらずいい仕事だ。礼を言っておいてくれ」
何故か、マヤは微妙な表情を作った。エインハルトは、訝しんで彼女を見る。それを笑いながら、イールは口を開く。
「その剣はマヤが鍛えたのですよ」
「イール!!」
羞恥を顔に浮かべてマヤは制止するが、イールは聞き入れなかった。
「一から十まで自分でやったため、不安なのでしょう」
顔を背けたマヤは耳まで真っ赤になっていた。
「そのままでいい」
「でも!」
「お前が鍛えた剣だ。光神の加護を得た剣よりも好ましい。きっと私に勝利をもたらしてくれるだろう」
王子を見上げる潤んだ琥珀の瞳。エイン、と小さな囁きを呑み込むように、エインハルトはその唇に口付けた。一通り堪能すると顔を離す。娘の顔は羞恥とは別のもので紅潮していた。
「それに、剣はこれ1つではないからな」
「もうっ!」
マヤの拳がエインハルトの胸板を叩く。その頬をいとおしそうにエインハルトは撫でていた。
砂糖を溶かしたような甘い雰囲気を壊さぬよう、イールはそっとその場を後にした。