愛してると言わないで
幼馴染と言うものは嫌なものだ。
カネズア侯爵の三女、ユエアは父から自分の婚姻相手を聞いてつくづくそう思った。
アザルカス公爵の長男、ラハーム。年が近い事もあり、良く遊んでいたので幼少の頃より仲がいい。だから、彼が誰を愛しており誰と結婚したかったか良く分かっていた。
彼は、十六歳の頃から第二皇女に求婚し続け、彼の親友と第二皇女が婚約してもなお諦めきれず、皇女を誘拐した。誘拐した第二皇女を親友の元に返す様に説得したのはユエアだ。傍で、三人が繰り広げる泥沼の様な三角関係を他人事のように見ていた。ラハームは藍色の髪に翠の瞳で整った顔をしている。性格も真面目で一途だ。友人としては、良い奴だ。第二皇女を愛し、年中彼女の一挙一動に振り回されていたけど、傍に居られるだけで幸せそうな顔をしていた。
だから実らない恋だと分かっていても、好きなようにやらせておいた。第二皇女と結婚できなかった時は一生独身を貫く。そういっていたのに、何故自分との結婚話が持ち上がっているのだ。
分かっている、彼の実家が独身を許さなかったのだろう。公爵家の一人息子だ。だから、仲が良く状況を理解しているユエアに話がまわって来たのだ。ユエアなら、友人として支えて愛が無くても信頼関係で、公爵家を守っていけると思ったのだ。
最悪だ。
ユエアの両親は政略結婚だったけれども、本当に愛し合い温かな家庭を築いた尊敬できる人たちだ。その二人を傍で見ていたから自分も愛のある家庭を築きたいと思っていた。なのに、相手は最初から別の人の事を一途に思い、自分は二の次の人と結婚しなければいけない。
父親から結婚相手を告げられれば、否応なく娘は結婚を了承するものだ。
ラハームはこの話をどう思ったのだろう。友人だと思っていたのに、自分の家の都合にユエアを巻き込む気なのか。
父の話が終わると、ユエアはラハーム宛てに怒りの手紙を送った。どういう真意で結婚話が出たのか、自分を巻き込むな、ラハーム側から断りを入れるようにと書く。
返答はその日のうちに花束と共にやって来た。
ラハームの訪問を苛立ちながら受け入れて部屋に通す。花束を渡されたけれど、花束をテーブルの上に乱暴に置く。こんな花束今まで友人として付き合ってきて渡された事が無い。
ユエアの苛立ちを受け、藍色の髪を困ったように触る。
「私は君と結婚したいと思っている」
唐突にそう告げるラハームの腹に一発拳を入れる。顔を殴りつけたかったけれど、ユエアが暴力を振るったと、周囲に知られたくない。だから服で隠れた場所を、渾身の力を込めて殴る。
鳩尾に拳を食らい、ラハームは痛みでよろめく。
「痛みで少しは正気になったかしら? さあ、もう一度言ってごらんなさい」
「……ユエアが何故怒っているのか私には分からない」
「本気で言っているなら、今度は花瓶を投げつけるわよ」
「君はもう二十二歳だ。結婚適齢期を過ぎている」
「過ぎているから、結婚してくれるって言う訳?」
「今まで何人もの求婚を断って、独身でいたのは私を好いているからだと、分かったのだ。ならば責任をとって結婚をしようと」
今度は足払いして転ばせる。不意打ちを食らったラハームは床に倒れた。
「誰が、いつ貴方の事を好きだなんて言ったの!? 勘違いもいい加減にしなさいよ! 今まで求婚を断っていたのは、ラハームを好きだからじゃなく求婚相手に問題があったからよ! 貴方が好きだからではけしてないわ!」
「だが、セェリア皇女を解放するように説得しに来た時、君は私の事を思い親身になって説得してくれた。あの時、私の事を好きなのだと気が付いた」
「ふ・ざ・け・る・な! 貴方が、皇女を誘拐なんてするから、必死で説得したのじゃない。皇女様を誘拐するなんて、お家が取り潰されるかも知れないし、貴方だけじゃなく領民や家臣に迷惑がかかるって分かるから止めたのじゃない! もちろん、貴方が処刑される可能性だってある。それを友人である私なら止められるって分かったから、止めたのよ! 間違っても貴方みたいな、皇女様一途で暴走するような人を好きになったりしないわ!」
ラハームは衝撃を受けた顔をして、ユエアを見上げる。
「だ、だが」
「もし、万が一、私が貴方の事を好きだったら、自分の方を見るように何かしら行動を起こすでしょ。それをした事があった?」
「……い、いや」
「でしょうね。私。貴方の事を大切に思っているわよ。でもそれは友人としてよ。恋心は全くないわ」
「……そうか……」
「なにショック受けているのよ。大体そんな結婚話を進める前になんで私に相談しないの。そうやって突っ走るのいい加減やめなさいよ。誤解が解けたのだから、貴方が話から結婚話断ってよ」
「無理だ」
「何言っているの。私と貴方が結婚しようとしいていた、なんて笑い話でおわれるでしょ」
「皇帝の結婚許可書も結婚証明書も揃っている。いまさら取り消せない」
「な、なんてことしてくれたのよ!!!!」
皇帝の結婚許可書は絶対だ。取り消すなんて出来ない。それに勝手に結婚証明書が揃っているなんて聞いていない。自分が書く署名欄に父がかわりに書いたのだ。
信じられない。全部自分を除者にして勝手に話を勧めたのだ。
「こ。こんなことして、ただで済むと思っているの!」
「責任は取る」
「責任って、責任って何よ! 私の生涯、貴方と一緒に過ごす事になるのよ! 終わったも同然じゃない!」
「そこまで言う事無いだろ」
「ラハーム。右にセェリア皇女が悪人に捕まっていて、左に私が悪人に捕まっていた、どちらを先に助ける?」
「そんなのは決まっている。セェリア皇女だ」
「でしょうね」
「君なら悪人が何人に居ようと勝てるだろ。セェリア皇女は淑やかな方だ。そのような恐ろしい目に遭われているなら直ちにお助けするべきだろ」
ユエアからすればセェリア皇女は強かな嫌な女だ。ラハームと彼の親友とを天秤にかけ、どちらが自分に合っているか観察していた。彼の親友と上手くいかなくなると、ラハームに気があるそぶりを見せ優しく慰められる事を期待していた。
「こんなことなら、あの時結婚しておくのだったわ。ちょっと浪費家で、ちょっとギャンブル狂で、ちょっと優柔不断で、ちょっと常識外れで、ちょっと変な薬を遣っていたけれど。女性には誠実な人だったわ」
「それはラゼス卿の事か。あれと比べられるとは少し傷つくぞ」
「私はもっと傷ついているわよ!」
「そんなに嫌がる事は無いだろ。お互い知った仲なのだから、生活も変わらないし、君となら上手くやっていける気がする」
「それは友人としてでしょ。私は、燃える様な恋がしたかったのよ! 言っとくけど、貴方みたいな泥沼は嫌よ。愛し愛され幸せになりたかったの!」
「私はユエアなら愛せると、思う」
「なにそれ。何なの。それ。愛せると思う? はっ。二番目に愛してくださるのって事かしら? 全く、光栄だわ」
「……前に全く知らない相手との政略結婚でも良いと言っていただろ。なのに私では駄目なのか」
「全く知らない相手なら、私の事を好いてくれるように努力できるわ。でも、貴方の心の中には既に一人いるじゃない。それも一番大事な場所に。そこに私を入れる気が無いのに、結婚しようとするなんて、最低よ」
ラハームは何も言わない。ただ、言葉を受け止めて考えているようだ。
「ねぇ、貴方の事、嫌いになりたくない。だから、この結婚は無効になるよう、手をつくして。一生のお願いよ」
「……分かった。無効にできるよう手をつくそう」
「ありがとう、ラハーム」
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生まれて初め人を好きになったのは十歳の時だ。
父親同士が友人と言う事で遊びに来ていたカネズア侯爵の三女。愛くるしい藍色の瞳に、絹の糸の様な細くしなやかなピンクブロンド。カネズア家の特有の色合いに誰もが可愛いともてはやしていた。ラハームもその愛くるしい笑顔に一目で好きになった。
話していると明るく、物事をはっきりと言う子で、外見は愛らしい天使だけど少し乱暴だった。でも、裏表のない性格ですぐに仲良くなれた。良く二人で庭を冒険して、外で遊んだ。幼いながら彼女の隣は自分だけの物だと言う強い独占欲があった。
でも、ユエアは活発な性格だから他にも多くの友人がいた。ラハームは自分以外と遊ぶ事が許せなくいつも他の友人に嫉妬していた。自分以外と遊ぶなと言うとユエアはハッキリ、『そんな事ラハームに言われる筋合いはない。そういう鬱陶しい事言うならもう遊ばない』と言い有言実行で半年全く会ってはくれなくなり、手紙も開封しないで送り返してきた。
ユエアの傍に居る為には、嫉妬する姿を見せてはいけないと学んだのはその時だ。日に日に美しく成長していくユエアに、悪い男が付かないように暗躍する毎日だった。
ラハームの転機は城務めするようになった十四歳の時に訪れた。第二皇女が親友の事を好きだと知った日だ。でも親友は十五歳の遊びたい盛り、色々な女と遊んでいた。誰か一人に縛られる気がまだ全く無かった。第二皇女と仲良くなるにつれ、二人で協力する事なる。第二皇女が親友と上手くいくように仕向ける、その代わりラハームがユエアと一緒になれるよう協力してくれると言う。
親友の性格上ライバルがいれば燃えると思った。だから、第二皇女に求婚しライバル関係を演じた。作戦は成功し、二人は結婚の約束をした。ここまで来るのに六年掛った。色々な策を講じ親友が第二皇女に真剣になるよう仕向けるのは本当に大変だった。
次は自分の番だ。ラハームのために第二皇女は約束を果たし皇帝の結婚許可書の手配をしてくれ、ユエアが頷けば自分の者になるはずだった。
なのに、こんな事になるとは思わなかった。
ユエアはラハームを全く恋愛対象にしていなかった。長年隣に居たのに、友愛の方が強くなってしまっている。
一途にユエアだけを思い。ユエアだけを大事にしてきたのに、はっきりふられた。
一生のお願いだから結婚を破棄できるようにしてくれと頼まれた。
一体どこで道を間違えたのだ。
「ラハームしっかりなさいな」
第二皇女のサロンでお茶会という名の反省会だ。テーブルには参考書の恋愛小説がいくつもおかれている。
「はい……」
「友愛があるならば、あなたがしっかりと男を見せれば、ころっと落とせますでしょう。あなたの腕の見せ所ですわ」
「そうでしょうか」
「もちろんそうです。愛とは与えられるものでも、与えるものでもなく、策略し奪い取り、勝ち得るものです」
第二皇女の自信の溢れる笑みを浮かべる。六年間、愛する人を振り向かせるために様々な計画を考え実行し、見事親友の愛を手に入れた彼女らしい言葉だ。
「わかりました。あなたがユエア様を落とせるように、作戦を立てて差し上げましょう」
第二皇女が開催した舞踏会にユエアをパートナーとして出席することになった。昔から、ユエアはラハームのパートナーとして出席することが多かった。家柄的に釣り合いが取れ、第二皇女に恋心を抱いていると、周りからも思われていたラハームのパートナーに特定の婚約者のいないユエアは適任者だった。
最初は、余計に婚約者扱いされると嫌がったが頼むと仕方なしに出席してくれることになった。
今日のユエアは一段と美しかった。淡い桃色のドレスに、おろしている事の多い髪は結い上げられ色気のあるうなじが見えている。男たちは隙があれば近づこうと狙っているが、公爵家のラハームに張り合おうとする人間はいない。
舞踏会の中盤になり、第二皇女の侍女がラハームにハンカチを渡した。このハンカチは第二皇女の物だ。こういう場面で身の回りの物を渡すのはこっそり会いましょうという合図でもある。
それを見たユエアは眉間にしわを寄せる。侍女が去ってから、ユエアは小さく低い声で私を見た。
「かの高貴で優柔不断の渡り鳥は、またふらふらするおつもりなのかしら」
「ユエア」
「どうぞ、お行になって。私の事はお気になさらずに。まぁ、気にするとも思いませんが」
ユエアの手がラハームの腕から抜かれる。いってらっしゃいとほほ笑むユエアの手をラハームは掴んだ。
「私は、もう、君以外に見ない」
「そういう、心にもない口先だけの言葉はいりません」
「では、君はどうしたら信じてくれるのだ」
「ラハーム、私は会ったとき言ったわよね。無効にしてくださいと。あなたは了承してくださったわ」
「それは……。できない。君の、ことが」
「やめて」
ユエアがうつむく。
「心にもないことを言わないで。私はあなたの事をそばでずっと見てきたのよ。あなたが誰を一番に思っているのか分かっているわ」
「違う」
「違わない。結婚許可証があるのですもの、もう断ることはできないのでしょう。父からもあなたと結婚するように言われました。わかりました。あなたと結婚を致します」
思わぬ言葉に目を見開く。でも、どう見ても人生をあきらめたような顔のユエアを見て喜べるはずもない。
「ユエア」
「それよりも、行かなくてよろしいの?」
ラハームの手を振りほどき、第二皇女に会いに行けと言っているユエアをまともに見ることができなかった。
「ラハームあなたにぴったりの言葉が思い浮かびましたわ。ヘタレよ」
第二皇女のいるバルコニーでラハームは肩を落とす。
「俗語をお使いにならないでください……」
「あら、侍女が言っていましたのよ。あなたにぴったりでしょう。あそこで熱く抱きしめて口づけの一つでもしておけばよかったのです」
「できるはずがありません」
「わたくしを取り合っている時の演技の時のラハームは、とっても素敵でしたのに素のあなたはダメね」
言葉が出ない。
「いいですわ。これから、帰り道でユエアさまの馬車をわたくしの騎士に覆面をかぶってもらい襲わせます。一晩、塔に閉じ込めますのであなたが助けるのです」
「危険はないのですか?」
「わたくしの騎士は紳士なのよ。女性に怪我などさせませんわ」
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あぁ、この世がすべて灰色に見える。
帰りの馬車でユエアは大きく憂鬱な息を吐く。
父から結婚話が出た時点で断れるものではないと思っていた。皇帝の結婚許可証まであるのならば、もう断れるはずがないと分かっていた。
でも、最後の抵抗をしてみたかったのだ。第二皇女の第一のラハームとの結婚。
さっきも、結婚を了承した後すぐに、第二皇女に会いに行っていた。自分だけを見てくれる人との結婚はもう無理なのだ。ラハームがユエアを好きになるように仕向けることなんて無理だろう。世界を敵に回しても、第二皇女を愛すると彼の親友と第二皇女を奪い合っていた時に宣言していた。
未来の主人の気持ちは永遠に得られないのだ。
馬車が大きく揺れた。
外で男の太い声が響いている。乱暴にあけられたドアの前には覆面をかぶった男が居た。抵抗する間もなく腕を掴まれて外に引きずり出された。
「なんなのです!」
「大人しくしろ。抵抗すれば痛い目を見るぞ」
荒々しい男だが、あれっと思う。御者の無事を見るが地面に倒れて動いていない。血が流れている様子はないので、気を失っているだけのようだ。周りを見ると盗賊らしき男は四人いる。
「こっちにこい!」
盗賊が用意していた馬車に連れて行かれそうになる。
「ロースビル様ですよね?」
びくっと、ユエアの腕を掴んでいる男が揺れる。
「それに、ラウス様に、マーティン様、ガバスリア様。皆様、セェリア皇女の第四騎士団の方ですよね」
「し、知らない。そんな人物ではない」
「何度もお会いしておりますし、舞踏会でもご一緒したことありますよね」
四人の男たちの動きが止まる。声や姿で人は見分けることができる。仮面舞踏会とかある貴族令嬢はそのくらいの判断能力が普通はある。
「ロースビル様、手をお放ししただけますか」
ロースビルが手を離して覆面の隙間からうろたえている瞳が見える。
「さて、皆様、どういうおつもりでこのような事を、されたのかお話頂けますわね」
「いや、その。撤退だ!」
第二皇女の第四騎士団の四人は蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。今のは何だったのだろう。ああ、考えるまでなく、第二皇女が策略を立ててやらせたのだろう。
馬がかける蹄の音が聞こえた。御者の様子を窺っていたが、やってきた人を見てユエアはなんとなく納得した。
「ラハーム」
「ユエア、大丈夫か」
「ずいぶんと、良いタイミングでいらっしゃいましたね」
にこやかに微笑みかけると、ラハームは気まずそうに顔をそらした。
わかった。すべてこれは、第二皇女がユエアを吊り橋効果でラハームを好きになるように仕組んだのだ。つまり、用済みの男をユエアに押し付けたのだ。
「すまない」
「こんなところではお話になりません。御者の様子も気になりますから、一度侯爵邸に向かいましょう。それまで私にどう言い訳するのか考えておくとよろしいわ!」
侯爵邸にやってきたラハームに紅茶の一杯も用意せず、座らせてどうしてそうなったのか話を聞き出した。
やはり、第二皇女が立てた計画だった。それも自分の第四騎士団の人を使うなんて頭が悪い。あんなに目立つ人たちを知らない令嬢なんてこの帝国にいない。
「私は結婚すると言ったでしょう。それでは満足できないの?」
「それは、嬉しく思う。だが、君が勘違いをしているようだ」
「何?」
「私は、君を、愛している」
ユエアは自分用の紅茶のカップを取ると、ラハームにぶちまけた。
「目は覚めたかしら?」
濡れた藍色の髪をかき上げてユエアを睨んでくるラハーム。
「酷いな」
「酷いのはどちらなのかしら? 誘拐して助け出して惚れさせる作戦に乗った男に言われたくない言葉ね」
「すまないと思っている」
「謝ればいいと思っているの?」
「…………すまない」
なんども謝るラハームを見てユエアは大きく息を吐いた。
「もう妙な作戦を立てるのはやめて頂戴。私、あなたと結婚するし、公爵家に恥じるような行動はしないわ。愛人も作らない」
貴族間の政略結婚ではよくある話で、後継ぎを作れば他に男を持つ女性も多い。でも、ユエアの両親はお互いを大切にしているその姿を見ているので、愛人を作るつもりはなかった。
「その代り約束して。私に愛をささやかないで」
ラハームが愛しているのは第二皇女だとユエアはわかっている。あれだけ激しい三角関係を見せられて、その気持ちが自分に移るとは全く思っていない。だから、自分に偽りの言葉を言う姿を見たくない。勘違いさせられるのは嫌だ。
「…………わかった」
ラハームは険しい顔でうなずいた。
***********************
結婚式は滞りなく終った。愛を囁くなとユエアに言われた以上何も言えなかった。
それでも、幼いころから好きだったユエアが自分のものになったことが嬉しくて、幸せだった。
なんども、心の中で愛しているといいながらユエアに触れた。
「そんな顔で私を見ないで」
ユエアがなぜか苦しそうな顔で視線を逸らす。
「なぜ」
「私を誰かと重ねてみるのはやめて。それがどんなに私を傷つけているかわからないの?」
そばにいられて本当に幸せだと思っていたことが顔に出ていたらしい。幼いころからユエアだけを想っていた。それなのに、ユエアは第二皇女の身代わりだといまだに思っているようだ。
「ユエアを他の人と重ねて見られるわけがないだろう。君のように乱暴な女性は他にはいない」
「どういう意味よ」
ユエアはそういいながら、ラハームの足を踏みつけた。
「そういうところを言っているのだが。もし仮に重ねてみたとしても、すぐに現実に引き戻されそうだ」
ラハームの言葉にユエアは踏んでいる足に体重を乗せる。
「では、あなたが、先ほどのような目で私を見るたびに、こうして差し上げましょうか?」
ヒールが足に突き刺さっている。さすがに痛いが、こうして乱暴に扱うのも親しい人間だけだと思うとそれすら愛おしく思えてくる。
「ユエアがそれで気が済むのなら」
ユエアは、何かに気が付いたように焦ったように足をどけて、ラハームから距離を取った。
「あ、あなた。もしかして、あぁ。なんてこと、今まで気が付かなかったけれど、そう、そうなの?」
「どうした?」
ユエアは周りを見渡し、人が居ないのを確認してから、ラハームに近づきそっと告げる。
「自虐趣味があるのね。だから、第二皇女になんど振られても、食い下がり、愛し続けているのね。私、今までなんで気が付けなかったのかしら。私が幼いころ、あなたの事を喧嘩で殴ったり、遊んで転ばせたり、間違って池に落としたりしても非難はしても、怒ることをしなかったのはそう言う事なのね」
「いや、そんな趣味はないが」
「主人になった人の趣味を把握するのも、妻の務めと母から言われていたけれど、どうしたらいいかしら」
「ユエア」
「そういう趣味の方って、夜の生活がすごいと噂で聞いているけれど、私も鞭を買った方がいいのかしら……」
「ユエア、やめてくれ、違う」
変な方向に走り出そうとしたユエアを止めるため、ラハームは弁解する。だがユエアは不憫そうにラハームを見つめる。
「第二皇女に何度も振られて目覚めてしまったのね。公爵家の恥ならないように隠していたのでしょう。私、上手くできるかわかりませんが、未来の公爵夫人として、主人の名誉を汚す噂を立てられることのないように、ラハームが色町で解消する前に勉強いたします」
侯爵家の令嬢として、未来の夫を立てるように厳しくしつけられたユエアは覚悟を決めた時から、ラハームと公爵家に尽くすと決めている。
「違う。本当にそんな趣味はない」
ユエアはそっと手を差し伸べて、うろたえるラハームの手に添える。
「もう、夫婦なのですから無理はしなくていいのよ。お互いで乗り越えていきましょう」
ユエアの言葉は嬉しかったが、意味するところがおかしい。ラハームが何度違うと言ってもユエアは聞く耳を持たなかった。
後日寝室に、鞭が置かれていた。