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誓約の部屋で

 厨房の人たちがこんな気遣いを見せるとは思わないし、たぶん、というか恐らく、というかきっと、秩序様が用意してくれたに違いない。そう考えただけで、今日という日を幸せに過ごせそうな予感がするのだ。

 手前にある秩序の部屋を通り過ぎ、至るのは誓約の部屋。

 一応、礼儀としてノックをして、そっと扉を引いてみる。待っていろといわれたくらいだから、鍵はかかっていなかった。驚いたのは机と椅子が用意されていたことだ。

 誓約の執務机は黒檀の重々しいものだけれど、部屋の隅の窓際の日当たりがいい所に、小さな木製の机と椅子がある。随分と安っぽい造りだ。

 朝食を食べるのに座るところが欲しいマヌにはおあつらえ向きだ。二つの机を見比べてどちらを取るかなんて質問にならない。迷わずに、マヌにお似合いの安っぽい机を取った。

 籠を置いて椅子に座って、中のものを机の上に並べる。形式だけとなった祈りの言葉を捧げて、まずはバケッドに手を伸ばす。が、遠くから聞こえてきた誓約の怒声に冷や汗が滴った。

 いつもの立ち振る舞いに似つかわしくない大声だ。騒がしくするのは彼の好みではない筈なのに。何を言っているのかわからなくて、怒りに満ちた声の振動だけが伝わってきたから余計にそわそわと落ち着かない。

 秩序と誓約の言葉を思い出して、自分ではないと言い聞かせる。

 そっと窓から顔を出して、どこからか誓約がこちらを睨んでいないか、勝手な振る舞いを見咎められていないか、しっかりと確認した。  今、優先すべきは心穏やかな食事だ。

 半ば開き直り気味に自分に言い聞かせて、マヌは気を取り直して固いパンを頬張った。

 厚めに切ったバケッドは更に横に切れ込みが入っていて、具がはさんである。周りを海に囲まれているだけあって、海産物を煮込んだものが多い。朝一番で運ばれてくる生野菜は荒く引いた黒胡椒と岩塩そしてオリーブオイルがかかっていて、ちりばめられた削ったチーズと砕いたナッツが香り高い。

 窓の下では、浅葱色の集団が食堂へ流れていく。マヌがここから見下ろしていることに気づく人は誰もいなかった。自分もいつもこうして誓約に監視されているのかと思うとぞっとするが、誓約や秩序が素行の悪い人間を見つけることが出来る理由もこういったところにあるような気がした。

 二枚目のパンに手を伸ばしたとき、ドアがノックされた。マヌが返事をするべきかどうか迷うより前に、扉が開いて秩序が顔を出した。窓際にマヌの姿を確認すると、遠慮なく室内に入ってくる。最高位の部屋なのに、流石に唯一誓約に口出しできる立場のことはある。どこぞの小心者と違ってその行動には微塵の迷いもない。

 秩序の手のお盆には、ティーセットがのったお盆がある。

「そんなに驚いた顔をしないでください。約束したでしょう?」

 くすくすと笑って、秩序はカップにお茶を注いで机の上に置いた。パンに口の中の水分をもっていかれていたマヌは、ありがたく紅茶を口に運ぶ。秩序も、マヌの使っている机を借りてお茶を飲み始める。

「あ、あの! 美味しかったです。ありがとうございました」

 籠を受け取ったときにいい忘れたお礼を、ようやく言うことができた。秩序は微笑みでそれに答えてから、暇を玩ぶように部屋を一巡りして、誓約の執務机に座った。ふと目に止まった紙切れを手にとって、興味深そうに読みはじめる。

 誓約の前でまともに話すことすら出来ないマヌは、秩序の行動に肝を冷やす。少しして秩序がいきなり笑い始めたので、マヌはその中身が気になった。見せてくださいともいえないので、少しずつ体をそらして、それを覗き込む。

 途中で秩序に気づかれて、伸びをする振りをしようとしたが、それもはしたないような気がして中途半端な視線で固まってしまった。  秩序は困った顔をして、マヌに歩み寄る。

「そんなに硬くならないでください」

 そういってマヌにその紙を差し出した。見覚えがない名前と汚い字でなにか書き付けてある。字が汚くて読めなかったけれど、その形式には見覚えがあった。

 マヌは順調に進級したからもう縁がないけれど、下の子たちの雑用の一つに誓約と秩序の食事を作る役目がある。二人の食事は専用の厨房があり特別に作られるのだ。その当番を誓約に知らせる紙だけどそれが一体どうしたというんだろう。

「今日は朝食抜きだったようですね。どうりであの鉄仮面が声を荒げた筈です」

 再び笑いがこみ上げてきたのか、秩序は口元を覆って笑いを堪えていた。

「て、鉄仮面って秩序様」

 流石に失言だ。例え陰口でも誓約を鉄仮面だなんて、怖くて呼べないのに、あろうことかここは誓約の部屋だ。もっともその鉄仮面が誓約のことだとすぐにわかったあたり、マヌも同感だった。みんなに言いふらしたら、きっと流行るだろう。

「私が言ったのは、秘密ですよ。・・・こう見えて、私と誓約は子供の頃からの友なんですよ」

 それにしても、あの問題児は。と秩序は笑いが止まらないようだった。声を上げて笑う姿なんて想像したこともなかったけれど、ラクのような嫌味のない笑いだった。誓約と秩序の友情を心の中で思い浮かべてみるととても羨ましいことのような気がした。マヌとラクみたいな関係だったのだろうか。でも二人はきっと自由に会えて自由に遊べたから、もっと仲が良かったに違いない。

 秩序が笑うように鉄仮面も笑うのだろうか。

 だけど、誓約の笑顔というのはどうしても引きつった笑い以外に頭に浮かばなかった。笑うのがへたくそなら、誓約はマヌで秩序はラクかと当てはめてみたが、あまりに図々しい妄想であることに気がついて恥かしくなった。

「そういえば、もうすぐ開門ですね」

 何気なく窓の外を眺めていた秩序は思い出したように言った。自分の意思で島を出ることが出来るのは、開門の日を除いて他にない。

 だけど、ラクを置いて島をでるのは友達に対する裏切りだし、なによりこうして秩序と話していると、ここも悪くない場所だと思えてくる。

 マヌにとってラクは、嫌なことも嬉しいことも新しい発見も日常の愚痴も、みんな一緒に話して一緒に笑える大切な友達だ。

 秩序なら、他の人が所詮は労働階級と見下すラクのことも、わかってくれるような気がした。

 しかし口を開く前に、ふと視線を落とした秩序が、そろそろ誓約が帰ってきますよ。と耳打ちをした。

 思わず背筋を伸ばしたのを秩序に笑われたしばらく後、お茶を飲み終わる頃に誓約は帰ってきた。

「ここはお前らの休憩室か?」

 開口一番にそういった。機嫌が悪いのはまだ治っていないらしい。

 誓約の皮肉になれないマヌは、落ち着かない気持ちをベルトを弄ることで紛らわせた。秩序に背中を突かれて、慌てて机の上を片付けて、誓約からの指示を待つ。

 それを待っていたように、机の上に見慣れた本がたっぷりと乗せられた。見慣れている筈である。毎日講義で使っている本ばかりだ。

「いくらこちらが呼び出したとはいえ、カトル・ウィン・サクレにいるものとしての義務は果たしてもらいますよ」

「休んでいた講義の分を補うだけでは足りん。覚悟しろよ」

 申し合わせたように微笑む二人をみて、背中を嫌な汗が流れた。

 補講、なんて嫌な言葉だろう。

 ラク、ラク、今日は君に話すことがいっぱいあるよ。

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