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第三話 反乱前夜(13)

気づくと、日はとっぷりと暮れている。

乾いたこの土地の、晩春の夜は冷え込みがはやい。

「寒くなってきやがった…」

さすがに汗と泥まみれになったアパサは、草の上に座り込んだまま澄んだ星空を見上げて呟いた。


それから、自分の横ですっかり地面の上に伸びてしまっている若僧の方を見やった。

アンドレスは、汗と泥にまみれた肌に、ところどころ血を滲ませたまま、意識を失っている。

アパサはピュッと口笛を吹いて、闇の中から部下の者を数名呼び寄せた。

「この手のかかるお坊ちゃんを、館に運んでやってくれ」

そして、自らも少々足をひきずりながら、館へと戻っていった。



それから2〜3時間が過ぎた頃だろうか。

アパサの館の中に彼のために用意された一室で、ベッドの上に身を横たえたまま、アンドレスの意識はゆっくりと戻りつつあった。

意識が戻っても、目を閉じたまま、身動き一つせずに横になっていた。

実際、ひどく全身が痛んで、動く気にすらならなかった。

しかし、そんな身体的な痛みなど、心の痛みに比べれば些細なことだった。


何という過信…――!!

アンドレスは、自らの内側に築き上げてきたものが、すべて音を立てて崩れていくのを感じていた。

自分はこれまで一体、何をしてきたのだろうか。

まるで井の中の蛙だったのだ。

なんという愚かさ…!

アンドレスの閉じた瞼が微かに震えている。


その時、ふと近くに人の気配を感じた。

アンドレスはゆっくりと重い瞼を上げていく。

すっかり夜も深まった薄暗い室内を、数本の蝋燭の光が音も無く浮き立たせている。

彼は痛みのために首を回せず、目だけ動かして、ぼんやりとした視界をたどっていった。

ベッドから2〜3メートル離れたドアの近くの椅子に、ひっそりと佇む人影が見える。

まだ霞んだ視界の中で、しかし、アンドレスは目をこらした。


その瞬間、彼は目を疑った。

長く編んだ黒髪を華奢な肩の前に垂らして、涼やかな瞳に優しい眼差しを宿し、息を詰めてこちらを見守る一人の少女の姿がそこにあった。

それは、コイユールの姿だった。


「コイユール…?!」

アンドレスは、擦れた声で呟いた。

すると、その人影はハッとして椅子から立ち上がると、ゆっくりと、慎重に近づいてきた。

アンドレスは痛みも忘れて、そちらを振り向き、釘付けられたようにその人を見た。


「気がつかれましたか、アンドレス様」

安堵したように人影が言う。

はっきりとしてきた視界の中で、彼をそっと見下ろす少女は…それは、全く知らない人だった。

(こんなところに、コイユールがいるわけがないのに…)

アンドレスは、心の中で寂しく苦笑した。


そして、改めて、目の前の少女に視線を向けた。

アンドレスは静かに話しかけた。

「介抱して…くださったのですか?」

先ほどアパサに何発も見舞われた拳のために、声が出にくくなっている。

少女は、息を詰めたまま、小さく頷いた。


自分よりも少し年下くらいの清楚な雰囲気のインカ族の少女で、控えめながらも、そこはかとなく漂う華やかな雰囲気がある。

その気配は、アンデスの地に原生する、小さく可憐な見かけにもかかわらず強い生命力を宿し、淡い桃色の優しい花を咲かせるアルストロメリア(インカのユリ)を思わせた。

確かに、雰囲気が、どこかコイユールに似ているのだ。


少女は、恥ずかしそうに、少し伏し目がちなまま、アンドレスをそっと見た。

「お加減は、いかがですか?」

「あなたは?」

「私は、アパサ様の姪、アンヘリーナと申します。

叔父様から、アンドレス様のご滞在中のお世話をするようにと…」

そして、静やかに頭を下げた。


「そうですか。

いや…まいったな」

アンドレスは苦笑した。

「あの荒々しいアパサ殿に、あなたのような姪御さんがいらしたとは」

それから「お世話になります」と、首を動かしてアンドレスも丁寧に礼をはらった。

それだけの動きでも、首から肩、そして背骨の方まで激痛が走る。


「あなたの叔父上は、お強いですね」

アンドレスは苦々しい思いを噛み締めつつも、一方で、いや、俺が弱すぎるのか…と、心の中で虚しく呟いた。

アンヘリーナと名乗ったその少女は、アンドレスの心の声を察するかのように、「叔父様は、武人としての腕だけは、このあたりでは右に出る者がないほどお強いのです」と慰めるように応える。

そして、優しく微笑みながら、控えめな声で続けた。

「叔父様に武術を学ばれたら、きっとアンドレス様は叔父様を凌ぐような立派な武将になられますわ」

アンドレスは自分の心を見透かされたような、どこか決まり悪い気持ちで、「そうだろうか…」と感情の無い声で応えた。

「だって、アンドレス様の叔父上様のトゥパク・アマル様は、叔父様よりも、もっとお強いではありませぬか」


アンドレスは、アンヘリーナに改めて視線を向けた。

「トゥパク・アマル様をご存知なのですか?」

「叔父様からお話を聞かせてもらっただけですけれど」

「なんと聞いている?」

アンドレスはやや身を乗り出すように、うつむきがちな少女の顔を覗き込んだ。

「トゥパク・アマル様は、はじめて叔父様に会われた時、斧で果し合いをして、叔父様を負かしてしまったそうですわ」

「トゥパク・アマル様が、アパサ殿を?!」


初耳だった。

トゥパク・アマルから、アパサの元で修行してくるようにとは言い渡されていたものの、詳しい経過は全く聞かされていなかったのだ。

思いに耽ったような目をしているアンドレスに、アンヘリーナは静かに礼をして「お食事をお持ちしますわ」と言うと、淑やかな物腰で部屋を出ていった。


アンドレスは蝋燭の影が揺れる天井を見つめた。

トゥパク・アマル様は、あのアパサ殿に勝った…――。

アンドレスの胸が熱くなった。


彼の脳裏に、トゥパク・アマルの姿が甦る。

最後に会った時、トゥパク・アマルはアンドレスを真っ直ぐに見つめて言った。

『アパサ殿は、わたしが見込んだ、なかなかの優れた武将だ。

そなたは、いずれ我々の反乱軍を率いる将となる運命にある者。

その身に、そして、その心に、武人として相応しい技量をしかと身につけてくるのだよ』


(トゥパク・アマル様…!)

アンドレスの天井を見つめる眼差しが鋭くなる。

その瞳には、再び強い光が甦りつつあった。


◆◇◆ご案内◆◇◆

当サイトでは、本館サイト(HP)で連載中の作品を、順次、掲載しております。

実際の物語は、既に反乱中期以降まで進んでおり、そちらの内容は本館サイトに掲載済みです。

こちらへの掲載よりも一足先に、物語の先をお読みになりたい方、ご興味のおありの方は、下記のサイトまでどうぞ!


『コンドルの系譜 〜インカの魂の物語〜』 (by 風とケーナ)

http://homepage2.nifty.com/taiyoutotsuki/nakabyoushi%201.htm (本館)

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