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第三話 反乱前夜(12)

トゥパク・アマルが副王宛ての嘆願書をしたため、首府リマへ持参する準備を整えていた頃、この物語のもう一人の要となる人物、そう、かのトゥパク・アマルの甥、アンドレスは16歳になっていた。

そして、その後、間もなくアンドレスはクスコの神学校を卒業し、そのまま故郷には戻らず、あのフリアン・アパサの元へと向かった。


アパサは、トゥパク・アマルらのいる「ペルー副王領」に隣接する「ラ・プラタ副王領」の豪族で、その勇猛ぶりを広く知れらた武人である。

もちろん、スペイン人の役人たちの目を逃れるために、彼もまたトゥパク・アマル同様、外面的には単なる豪商を装っていた。

かつて、反乱の同盟を結ぶため、トゥパク・アマルが彼の元を訪れた時のことをご記憶の読者もおられるかもしれない。

その時、トゥパク・アマルはアパサの武将としての腕を高く買い、自分の甥であるアンドレスの武術修行の師となることを依頼した。


その後も、トゥパク・アマルとアパサは、反乱計画を秘密裏に進めるために、役人の目を逃れて数回の会合を行い、徐々に互いの絆を深めていった。

アパサは清廉高潔なトゥパク・アマルとは性格がかなり異なり、良くも悪くも、豪放磊落で人間臭く打算的な人間であったが、その違いが陰陽のごとく、互いへの関心をいっそう惹きつけ合っていた。


最初はアンドレスの受け入れなど、まともに考えてはいなかったアパサだったが、トゥパク・アマルという人物を知るにつれ、そして、命を半ば捨てたその覚悟を知るにつれ、その甥なる若者を武将として一人前に育てる、ということの意味を次第に認識するようになっていた。

トゥパク・アマルにも息子はいるものの、まだ幼く、また、彼自身がかつて語ったように、息子ではスペインの役人の目にもつきやすいのは確かにその通りに違いなかった。

アパサの目から見ると、トゥパク・アマルは命をいつ落としても不思議ではないような、際どい綱渡りを続けているように見えてならなかった。

トゥパク・アマルは、この先どのようなことになるかわからぬ…――アパサの脳裏には、そんな不吉な予感が常にこびりついて拭えなかった。

そして、結局、アパサは、アンドレスを自分の元に引き受けることを承諾したのだった。


晩春の柔らかい午後の陽光の中、数名の護衛の者に伴われてアパサの館に到着したアンドレスを出迎えて、まだ20代半ばのアパサの妻バルトリーナは、すっかり舞い上がってしまった。

彼女はいかにもインカ族の女性らしい風貌で、年齢にしては既にやや恰幅のよい体型に、つぶらで明るい瞳をした、なかなか気丈そうな女性であった。

館に通すのも忘れて見惚れているバルトリーナに、アンドレスは「これからお世話になります」と丁寧に礼をした。

まるで神話の中から出てきたような麗しくも凛々しい美男子の来訪に、「どっ、どうぞ中にお入りくださいませ!」と素っ頓狂な声を出し、バルトリーナは有頂天で夫の部屋に素っ飛んでいった。


「あんた!

すっごいハンサムな若様ですよ!

アンドレス様って!」

すっかり舞い上がっている妻の様子に、「おまえは人を外見で判断するのか」と言いながら、アパサはジトッと恨めしげな眼差しを向けた。

「そんなこともないけど、でもね〜!アンドレス様は、ちょっと尋常じゃないくらい、美しいお人なんだよ!」と、もともとテンションの高い妻のいっそうのハイテンションぶりに、アパサは辟易した様子で立ち上がった。


アパサ自身はと言えば、身長は中位で筋骨逞しく、その相貌も、その目は小さいながらも深く窪み、活動性と意志の強さが漲っていたし、まもなく30歳に手の届こうという割には若々しく、それなりに人目を惹く雰囲気をもっていた。

ただ、服装や髪型など外面的なことには全く頓着せず、豪族のくせに薄汚れた極めてシンプルな貫頭衣を着て、その上、妻がうるさく言わない限り、何日でも同じものを着ていた。

妻の異常な舞い上がりように、既にかなり旋毛つむじを曲げながら、アパサは広間で待つアンドレスのところに出向いていった。


アンドレスはこれから師となるアパサとの対面に、大いなる期待と緊張で、その瞳を輝かせながら待っている。

一方、アパサはと言えば、そのアンドレスを一目見ると冷ややかに目を細めた。

(とんでもない、ぼんぼんが来たもんだ…)

アパサの第一印象は、そんなところだったろうか。


「これからお世話になります!」

アンドレスは、師となる眼前の人物に対して、丁寧に深く頭を下げた。


実際、今回のアンドレスの来訪は、そう短期間の予定ではなかった。

トゥパク・アマルの反乱準備の進み具合にもよるが、反乱決行までの期間、ほぼ無期限でアンドレスを預かり、武将としての力をつけること、それがトゥパク・アマルとアパサとの間の言い交わしだったのだ。

もちろん、トゥパク・アマルからはそのアパサの労に報いるための、数々の珍重な品々が貢物として届けられていた。


アパサは返事のかわりに、「外に出ろ。お前の腕がどのくらいか知りたい」と無愛想に呟いた。

いきなりの腕試しに若干とまどいの色を見せるアンドレスを再び冷ややかに一瞥し、アパサは「はやくしろ!」と冷たく言い放った。

すかさず、バルトリーナが鬼のような表情で割って入る。

「あんた!

アンドレス様はクスコからの長旅でお疲れなんだよ!!

いい加減におしよ!」

「うるせえ!!」

アパサは妻の態度にいっそうふてくされた表情をして、妻を乱暴にどけると、ドカドカと外に出ていってしまった。

アンドレスもすぐにその後を追う。


アパサは広大な館の裏にある広々とした空き地にアンドレスを連れていくと、少し離れた場所に仁王立ちで腕組みしたまま、無言で目の前の若僧をジロリと眺めた。

それから、空き地の一角にある倉庫にアンドレスを連れて行き、その中に入れさせた。

倉庫の中は武器庫のようになっており、様々な武具がギッシリと並んでいる。

オンダ(投石器)や戦斧はもちろん、棍棒、そして、どこから手に入れたのか、スペイン人しか持てぬはずのサーベルなどもあった。

しかし、さすがに銃などの火器は見当たらない。


それにしても、いずれの武具も、その大きさにしろ種類にしろ、実に多彩に取り揃えられており、アパサの外面的な粗雑な風貌からは想像できぬほど、整然と美しく並べられている。

しかも、どれも新品のように、よく手入れされているのだった。

それは、あたかも武器の「博物館」さながらであった。

アンドレスは、見事に手入れされ陳列されたその様子に、まだ全く読めぬこの師となる人物の人柄の一端を、微かに垣間見た気がした。


「好きな武器を選べ」

アパサが感情の無い声で言う。

「はい!」と、いつもの堂々とした落ち着きを取り戻しつつある声でアンドレスは返事をして、それから、鋭い眼差しでそれぞれの武器を吟味するように見渡した。

アパサは、アンドレスの横顔をじっと観察している。

アンドレスはアパサの視線を感じながらも、意識を武具に集中し、一本のサーベルを慎重に選び取った。

「これにいたします」

「サーベルが使えるのか?」

アパサが相変わらず情を交えぬ声で尋ねる。

「はい。

クスコの神学校で、競技の学科の中で学びました」

「なるほどね…」

アパサの声は相変わらず冷ややかだった。


そして、再び、二人は空き地の中央で向かい合った。

夕刻が近づき、空は茜色に染まりつつある。

ひっそりとしたこの集落では周囲に人の気配もなく、ただ空き地を取り囲むように植わっている新緑の木々が夕刻の涼やかな風にそよぐ音が聞こえるのみである。


「どこからでも、かかってこい」

アパサは淡々とした声で言った。

「しかし…!」

サーベルを手にしたまま、アンドレスはとまどった。

アパサは武具を何も手にしていなかったのだ。


アンドレスは、これでもクスコの神学校では、そのサーベルの腕は学内でトップレベルだった。

というか、運動競技全般において、――唯一、かの親友ロレンソを除いては――他の学科同様に他者の追従を許さなかった。

しかも、今、長身のアンドレスからは、アパサを見下ろすような形になっている。

年齢を考慮しても、30歳にさしかかるアパサと、16歳という若さのアンドレスとでは、体力的な差も大きいはずである。

いくら猛将と謳われるこのアパサでも丸腰では、自分が本気でかかっていけばいかなる目に合わせてしまうかわからぬ、と、この時はまだアンドレスは思っていた。


「つべこべ考えずに、さっさと来い!!」

アパサが叱責するように、がなり立てる。

アンドレスは、サーベルの柄を握り締めた。

師を危険に晒さずに勝つにはどうしたらいい…?

アンドレスの瞳の色に迷いが生じている。


アパサはその色を見透かし、射抜くような険しい表情で、氷のように冷たく言った。

「己の力を過信するな。

お前の思案など、全く無用なこと」

そして、不遜に笑う。


アンドレスは改めてサーベルを構え直した。

アパサは構えさえも、とろうとしない。

その目は不気味な笑みを湛えてさえいる。

アンドレスは唾を呑んだ。

足で地を踏みしめるが、何か、いつものような安定感を得られない。

アンドレスの額には既に汗が滲んでいた。

身構えたまま動かぬアンドレスを挑発するように、アパサはゆっくりと前に出て、その間合い詰めてくる。


無構えのままジワリジワリと近づいてくるだけだとういのに、しかも、特別な威圧感を発しているわけでもないのに、まるで全てを吸い込んでいくかのような不気味なオーラを発している。

アンドレスの横顔を一筋の汗が伝った。

彼は、にじりよってくる眼前の「師」を見据えた。

(この男には手加減不要!

いつものように切り込んでいくのみ!)

心の中でアンドレスは自らを奮い立たせるように叫んだが、既に、アパサの気に呑まれ、その地底から湧き出すようなモヤリとしたオーラの中に、すべての力を吸い取られていくような錯覚に襲われていた。

体が、動かない…――!?

アンドレスの額から、さらに油汗が流れた。


「どうした、はやく来いよ」

アパサはさらに間合いを詰めながら、まるで侮蔑するかのような眼差しでアンドレスの方を眺めている。


アンドレスの鼓動が速くなる。

どう動こうとも、もはや全てアパサの読み筋にはまっている!…――アンドレスはそんな念に憑かれた。

しかし、このまま何もせずには終われぬ!とばかりに、アンドレスは、突如、矢のように鋭く切り込んだ。

それは、もはや素手の相手に向かう攻撃ではなかった。


しかし、アパサはあっさりと刃を交わし、「おまえ、目をつぶっているのか?」と、馬鹿にしたように鼻で笑った。

まだ殆ど動いていないというのに、アンドレスの息は既に上がっている。


再び身構えるアンドレスの前に、愚鈍にさえ見える動きで、アパサはさらに間合いを詰めてくる。

アンドレスの目が険しくなり、鋭い光を放った。

その目の色の変化に、アパサもこれまでとは少し違う色で見返して言った。

「そうだ。

来いっ!!」

その言葉が終わるか否かの瞬間に、アンドレスの放った剣は、確かに電光石火のように、宙に火花を散らすかのごとくの勢いでアパサの急所に襲いかかった。

その瞬間、アンドレスは、アパサがそこに止まったまま動かずにいるかのような錯覚に襲われた。

(しまった!!)と、瞬時にアンドレスは我に返った。

自らの理性の箍を外して、武器も持たぬ師に、真剣で襲いかかるとは…――!


が、アパサは、まるでスローモーションのように、ゆっくりとアンドレスの剣先を軽くかわすと、アンドレスの右手首をぐいと捕らえ、左手でサーベルの柄のあたりをトンッと叩いた。

すると、そのままアンドレスの手から、あっさりとサーベルが地にこぼれ落ちた。


辺りは水を打ったように静まり返った。

既に、茜色の空は、夜の群青色に変わりつつある。

一陣の渇いた冷たい風が、二人の間を吹きぬけていく。


肩で息をしながら呆然と地に落ちたサーベルを見下ろすアンドレスの額からは、玉のように汗が流れ落ちていた。

一方、アパサはいっこうに息も上がっておらず、汗一つかいてはいない。

アンドレスは混乱した頭で、アパサを見やった。


そのアパサは、非情なまでに冷ややかな視線で、アンドレスを見下ろしていた。

「スペイン人の神学校では、剣さばきの一つもまともに教えられていなかったようだな。

それもそうだろう。

スペイン人にしてみりゃ、インカの皇族に剣の技など覚えられては、己の首を絞めることになるだろうからな」

そう言って、鼻で笑った。

アンドレスの耳がカッと高潮する。

そのアパサの言葉は、アンドレスの腕がいかにひどいものであるかを露骨に皮肉ったものだった。


だが、冷静に考えれば、アパサの言葉にも、実際、一理あった。

しかし、常に類いまれな優秀さと言われ続け、学業面でも運動面でも、何事においてもトップを走ってきたアンドレスにとって、このような屈辱は、全くもって初めての体験だった。

半ば理性を失って、アンドレスは血走った目でアパサを睨んだ。


アパサは面白そうに、「ほお、やるなら相手になるぞ!」と、両手をバンバンッと叩いてわざとらしく挑発してくる。

「言わせておけば!!」

ついに、さすがのアンドレスも、箍が切れたように素手のままアパサに襲いかかった。


アンドレスに押し倒される形で、アパサはそのまま勢いよく仰向けに地にひっくり返った。

殴りかかってくるアンドレスの手首を捕えながら、アパサはニヤリと笑う。

「見かけよりは、力は、少しはあるようだな」

しかし、その次の瞬間にはアンドレスの腕を引くと、あまりにもあっさりと十字に固めてしまった。

腕を十字に固められて、アンドレスは痛みに歯をくいしばったまま、しかし、決して降参の合図を発しない。


しまいにはアパサの方が呆れて、アンドレスの腕を放した。

「こんなところで腕を折られたら、世話をするこっちが厄介だ」

アパサが吐き捨てるように言い終わるか否かという間に、再び、アンドレスが素手のまま飛びかかる。

そのまま、そんな取っ組み合いが幾度繰り返されただろうか。


◆◇◆ご案内◆◇◆

当サイトでは、本館サイト(HP)で連載中の作品を、順次、掲載しております。

実際の物語は、既に反乱中期以降まで進んでおり、そちらの内容は本館サイトに掲載済みです。

こちらへの掲載よりも一足先に、物語の先をお読みになりたい方、ご興味のおありの方は、下記のサイトまでどうぞ!


『コンドルの系譜 〜インカの魂の物語〜』 (by 風とケーナ)

http://homepage2.nifty.com/taiyoutotsuki/nakabyoushi%201.htm (本館)

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