『弟君の受難』20話 別ver
以前活動報告に上げた『弟君の受難』の20. 訪問 の別バージョンです。
イーノが隼じゃなかったら・・・? のif版としてお読みください。
線から上は本編と同じです。
食事の片づけを終え、テミスリートは読みかけの本を手に取り、応接間の椅子に腰掛けた。
「何だそれ?」
「(またか・・・)」
もう慣れてしまったイーノの質問に軽く溜息をつきながら、テミスリートはぱらりと本を開いた。
「本っていうんだよ。文字を使って書かれたもの、かな」
「文字ってこのうねうねしたやつか?」
「(うねうねって・・・)」
文字を見たことのないイーノには、ただの記号の羅列に見えるらしい。
「そうだよ。これを使って、言葉や知識、思考を伝えるんだ」
「ふーん・・・」
イーノはじーっと本の頁を凝視した。
「俺には、似たようなもんにしか見えないぞ」
不機嫌そうに言葉を漏らすイーノに、テミスリートはくすりと笑った。
「初めて見ると、そうかもしれないね」
「あんたには分かるのか?」
「分かるよ」
本に目を落とし、文字を目で追うテミスリートの横顔をイーノはじぃっと見つめた。再度頁を凝視し、テミスリートに視線を移す。それを何度か繰り返すと、イーノは不満そうな視線をテミスリートに向けた。
最初は気にしないようにしていたものの、あまりにも長いこと強い視線を向けられて、テミスリートは困ったように顔を歪めた。
「・・・読みたいの?」
「『読む』?」
「・・・・・・文字、使いたいの?」
溜息混じりに言い換えると、イーノは目を瞬かせた。
「俺にも、分かるのか?」
「使い方を覚えれば、誰にでも分かるよ」
テミスリートの言葉に、イーノの目が輝いた。興味深そうな目を頁に向けるイーノに、テミスリートは苦笑した。
「(面白いなぁ・・・)」
イーノだけかもしれないが、魔物がここまで色々なことに興味を持つとは思っていなかったため、テミスリートにとってイーノの様子はとても新鮮だった。
「(意外と仕込めそうかも)」
テミスリートの見立てでは、イーノは無知なだけでかなり賢い。教えたことは一度で覚えるし、細かい作業は慣れていないせいか下手だが、やっているうちに出来るようになる気がする。好奇心丸出しの様子からして、やる気も結構ありそうだ。
きちんと人として必要なことを教えれば、人に混じって生きることも出来るかもしれない。
「(色々なことを、教えてあげよう)」
魔女でないテミスリートの生は、魔物であるイーノよりずっと短い。
その間に、人として生活できるだけの知識と経験を積ませたい、とテミスリートは思った。
「それじゃあ ―――」
本を閉じ、席を立とうとしたその時、外から部屋の扉をノックする音が響いた。
「テミス殿、居るか?」
「(!)」
扉越しに聞こえた声に、イーノが眉をひそめる。
「(あの時の、女か)」
昨日中庭で対峙した女のことを思い浮かべ、イーノは顔を顰めた。剣を突きたてられて地味に痛かったのは記憶に新しい。
嫌そうな顔で扉を眺めていたイーノは、裾をくぃっと引かれ、そちらを向いた。
「ん?」
テミスリートを見下ろすと、耳を貸すように手で示される。良く分からないながらも、テミスリートの方へ耳を近づけると、テミスリートはそっと囁いた。
「男の人以外のものになって」
「何でだ?」
「ここ、男の人がいると大変なの。とりあえず何でもいいからっ」
少し切羽詰ったように言われ、イーノは首を傾げた。しかし、それも一瞬で、すぐにその姿が掻き消える。
『こんで、いいか?』
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頭の中に直接流れてきた声と、急に肩に感じた重みに、テミスリートは一瞬目を丸くした。
漆黒のスラリとした体躯の猫が肩に器用に座っていた。少し大きめの、それでいて吊り上ったルビーの瞳がこちらを覗き込んでいるのを見つけ、テミスリートは安堵の息を漏らした。
「うん。十分だよ」
軽く猫 ―- イーノに笑いかけて、テミスリートは扉に近づき、鍵を開けた。
扉を開けると、イオナが片腕に何かの包みを抱え、佇んでいるのが見えた。
「お待たせしました。少し取り込んでいまして・・・」
軽く笑みを浮かべるテミスリートに、イオナも釣られたように笑みを返す。
「いや、こちらこそ突然訪ねてきてしまって済まない。・・・お邪魔しても良いだろうか?」
「もちろんです。さ、どうぞ」
部屋に招き入れられ、イオナはテミスリートの後について部屋へと足を踏み入れた。
と、テミスリートの肩に乗っている黒猫と目が合い、イオナは目を瞬かせた。ぴたりと足が止まる。
強い視線を向けられ、イーノは身じろいだ。イオナから邪気のない、感動を前面に押し出した思考が耳(?)が痛いほど伝わってくる。
何となく、嫌な予感がする。
『(下がるか・・・)』
寝室にでも移動しようと、イーノはテミスリートの肩から降りようとする。
その途端、ガシッと音がしそうなほど強い力で掴みあげられた。
「なんて愛らしいのだ!」
『!?』
そのままきつく抱きしめられ、イーノは目を白黒させた。体を圧迫する、骨まで折られそうな抱擁にイーノは激しく暴れた。
「フギャァーーー!」 (『放せ、この馬鹿力!』)
「おお、元気がいいな!」
「シャギーーー!」 (『放せっつってんだろ! 痛ぇんだよ!』)
「んー、可愛らしい」
「ガーーー!」 (『顔をくっつけんな!』)
目の前で繰り広げられるイーノとイオナのじゃれ合い、否、攻防に、テミスリートは呆然とした目を向けている。
「(うわー・・・)」
イーノの声は自分にしか聞こえないらしく、イオナは全く頓着していない。逆に、イーノは必死だ。しかし、あの姿ではイオナの腕から逃げるのは難しい。
「あ、あの、イオナ様」
テミスリートから困惑したような声をかけられ、イオナは我に返った。イーノを抱えていた力が弱まる。
そのチャンスをイーノは逃さなかった。
「あっ」
イオナの腕を蹴り、イーノは床へと降り立った。そのまますごい勢いで部屋の端へと避難する。
部屋の端で体中の毛を逆立て、威嚇してくるイーノに、イオナは苦笑した。
「・・・・・・どうやら、嫌われてしまったようだな」
「・・・人見知りする子なので・・・」
「そうか・・・」
まだ触り足りなさそうにイーノを見つめるイオナに、テミスリートは乾いた笑いを漏らした。