「お姉様の赤ちゃん、私にちょうだい?」
第1話
妹のジャネットが言った。
姉のイヴェットは聞き逃がした。
「え? 今、何て言ったの?」
ここはイヴェットと夫が暮らす新居である。
そこに妊娠の便りを受け取った両親と妹が遊びに来ていた。
両親との会話に夢中になっている間、妹が何かを言ったらしい。
姉が聞き返すと、妹は子供のように頬を膨らませて文句を言った。
「もううぅ! お姉様ったら、ちゃんと聞いて! 大事なことなのぉ!」
「ああ、はいはい、分かったわ。もう一度言って?」
そして妹はにっこり微笑むと言った。
それはまるで髪飾りをねだるような調子だった。
「あのね、お姉様が身籠っている赤ちゃんがほしいの。私にちょうだい?」
「――え? 赤ちゃん?」
「そう! 私、ずっとずっと大事にするわ! だから、赤ちゃんちょうだい!」
その言葉にイヴェットは凍り付いた。
まだ膨らんでもいないお腹を押さえ、黙り込む。
すると傍にいた両親が手を叩いて、妹に賛同したのだ。
「まあ! それは良いわ! そうしなさいな!」
「ああ、それがいいだろうな。そうするといい」
「は……? 何を言っているのお母様、お父様……?」
イヴェットは妹と両親の言葉が理解できないでいた。
いいや、言っている意味は分かるのだが、理解を示せない。
なぜ自分の子を妹に差し出さなければいけないのか、頭を悩ませる。
「お姉様、いいじゃない! ね? ね? くれるでしょう?」
「うふふ、くれるに決まってるわよ? ジャネット」
「そうだぞ、きっとお姉ちゃんは喜んで差し出すぞ」
三人の言葉にイヴェットは寒気がした。
このままでは自分の子供が奪われる――そう思った彼女は拒否する。
「ちょ、ちょっと! 赤ちゃんをあげるなんて、絶対に嫌よ! そんなに子供が欲しいなら、ジャネットは結婚でも何でもすればいいじゃない!」
そう言った途端、三人は冷たい視線を向けてきた。
それはまるで三匹の蛇に睨まれたようだった。
イヴェットは恐怖を感じ、息を飲み込む。
「お母様ぁ! お父様ぁ! お姉様が意地悪を言うわ!」
「イヴェット! どうしてそんなことを言うの!」
「そうだぞ! どうしてジャネットを非難する!」
イヴェットの額から冷や汗が流れ、目の前が歪んで見える。
ああ、この三人を新居へ招くんじゃなかった。
やはりこいつらはモンスターなのだ――
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第2話
姉の真似をしたがる妹がいると言うと、大抵の人は“可愛い”と言う。
もしかしたら最初は可愛かったのかもしれない。
親鳥の歩きを真似する雛鳥みたいな感じだろうか。
しかしそんな微笑ましい感情は幼い頃のイヴェットの中にすら、なかった。
物心付いた時から妹ジャネットはモンスターだった。
「お姉ちゃんの真似がしたいの!」という名目で、ひたすら姉の愛しいものを奪っていくのだ。
妹が奪っていったものは雑貨や小物から始まり、よそ行きの服にまで及ぶ。
さらには男友達を奪われることもよくあった。
一度、男友達のみならず女友達も奪われ、孤立したことがあった。
その時ひとりだけ味方になってくれた利発な少年とは長く文通を続けた。
これは幼い頃までの話しである。
そんな妹が年頃になってから、イヴェットは地獄を見た。
高価な宝石、時計、ドレス、魔法を込めた道具……それらが買ってすぐに奪われ、挙句の果てには初めての恋人までもが奪われたのだった。
そんな妹の行動を叱るはずべきはずの両親は全く役に立たない。
それどころか有害と言える。
“あらあら? またお姉ちゃんからもらったの?”
“良かったなぁ! お姉ちゃんよりも似合っているぞ!”
そんなことを言って、むしろ妹の悪癖を増長させるのだ。
イヴェットは我慢強い方だったが、恋人を奪われた時は流石に妹を怒鳴った。
するとすぐさま両親が駆けつけて、妹を庇った。
さらには“そんなのは取られた方が悪いんだ”と、姉を責めたのだ。
その時、ようやく分かったのだ。
妹だけでなく、両親もモンスターなのだと。
そしてイヴェットは学校卒業後、住み込みの仕事を始めた。
いつか結婚して幸せな家庭を築きたい。
それが彼女の願いだった。
しかしこの生活にもまた妹が忍び込んでくる。
一年後、妹もまた学校卒業後に姉と同じ職場に就職したのである。
そこでイヴェットはまた同じ生活を繰り返すはめになった。
給料で買った品は次々と奪われ、恋人は二度も奪われたのだった。
もう駄目だ。
この人生には妹が付き纏う。
諦めて生きるしかないのだろうか――
そう思った時、妹が入院した。
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第3話
妹の入院にイヴェットは首を捻った。
あんなに元気だったのに何があったのだろうか。
そこで両親に尋ねてみたのだが、きつく睨まれるばかりで教えてもらえない。
どうやら自分は家族の資格すら失っているようだ。
それならそれでいいと、イヴェットは妹と両親を無視して過ごすことにした。
そんなある日――
「イヴェット、俺と結婚してくれ!」
「え?」
突如、男性からプロポーズされたことにイヴェットは驚いた。
相手は職場の上司で、まじめに仕事に取り組む好青年だ。
恋心はないが、尊敬は抱いている。
それにしてもなぜ私を――?
「どうして私なんかと結婚したいのですか……?」
「君のその輝ける美貌、堅実な性格、何もかもが気に入った! どうか俺の妻として生きてくれないだろうか!?」
「ま、まあ……――」
イヴェットは胸が高鳴るのを感じた。
この人は外見だけでなく、性格も好いてくれている。
もしかしたら上手くいくかもしれない――何より今は#妹がいない__・__#。
彼女は希望に胸を膨らませ、彼の手を取ったのである。
そして半年後――
イヴェットは新居を守る主婦となっていた。
妹の入院中に結婚の許しをもらいに行くと、なぜか両親は快諾してくれた。
結婚式には退院後駆けつけた妹も参加し、何の問題もなく全てが終わった。
驚くことに、妹は夫に一切手を出していない。
そして今、自分は妊娠している。
こんなに幸せなことはない――イヴェットは幸福の溜息を吐いた。
もしかしたら両親と妹ともやり直せるかもしれない。
そう思った彼女は妊娠を告げる手紙を実家に送ったのだった。
それが間違いだと気付かないまま――
「お姉様の赤ちゃん、私にちょうだい?」
まさかそんなことを言われるとは思っていなかった。
妹が赤ちゃんまで欲しがるなんて、思わなかった。
甘かった自分がいけなかったのだろうか。
いいや、そんなことはないはずだ。
あの妹と両親は完全に狂っている。
そこで一切合切を夫に告げたが、彼は微笑んで言った。
「良かったね、イヴェット! 家族ぐるみで育ててもらえるんだね!」
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第4話
「え? 良かったねって、あなたの子供でもあるでしょう? それに今の説明でどうやって家族ぐるみの育児だと解釈できるの?」
そう問い詰めると、夫は嫌そうな顔をした。
「やだなぁ……。妊娠で気が立っているのかい……?」
「違うわよ。あなたがあまりにも見当違いのことを言うから――」
「はいはい、気が立っているんだね。兎に角、俺は賛成だよ」
「は? 賛成ですって?」
そこで夫は大きく息を吐いた。
「何なんだ、その態度! そんな君に赤ちゃんが育てられるとは思えないね! 妹さんの方がずっといい母親になりそうだ!」
「ちょっと……! 妹に私達の子供を取られてもいいの……!?」
「常識的に考えて、そんなことするはずないだろう! 手のかかる赤ちゃんの時だけ預かってくれて、その後は返してくれるんだろう? 普通、そうするはずだ!」
「あの妹がそんなことするはずないわ……! 私の家族は異常なのよ……!?」
「異常なのは君だッ! いい加減にしろッ!」
イヴェットが驚きの表情を向けると、夫は舌打ちして立ち去った。
それから二人の間には深刻な亀裂が入ってしまった。
夫は深夜まで遊び惚け、新妻を放置する。
やがて夫の浮気が判明すると、二人の溝は埋められないものとなった。
そしてイヴェットが妊娠七ヶ月の時、二人は離婚したのだった。
あまりの呆気なさに彼女は泣きもしなかった。
その一ヶ月後――
「お姉様! 開けて! お腹を見せてちょうだい!」
「そうよ、イヴェット! 早く開けなさい!」
「おい、イヴェット! これ以上は怒るぞ!」
イヴェットは実家と夫の家からほど遠い王都の隣町で家を借りた。
しかしどこから嗅ぎ付けたのか妹と両親はすぐにやって来た。
鍵をかけていても、もこうして叩いて開けろと迫る。
隣人には注意されるし、もううんざりだった。
「……お腹が、お腹が痛い……」
このままではお腹の子が危ない――イヴェットは焦った。
どこか治療院へかかりたいが、近所は危ない。
もしかしたら妹と両親が待ち構えているかもしれない。
そして考え抜いた末、イヴェットは手紙を出すことにした。
結婚してからはずっと控えていた文通、それを再開させたのだ。
そして彼女は返ってきた紹介状を握り締め、王都の治療院へ向かった。
そこに“医術と魔術の天才”と呼ばれる治療人がいるのだ――
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第5話
イヴェットの文通相手ジャックは大人になってから治療人となった。
今では田舎町に派遣されて働いているが、元々は王都の治療院に所属していた。
その彼が“医術と魔術の天才”と称される治療人を紹介してくれたのだ。
彼の名はアラン・リジェル――人気のあまり紹介状がないと診てもらえないという凄腕の治療人である。
しかしアランと親友だというジャックの紹介状は大きな効力を発揮した。
他の患者を押しのけて、イヴェットは一番乗りで診察室へ入った。
「初めまして、イヴェット・リエイド様。僕はアラン・リジェルと申します。親友ジャックの紹介ですね?」
「ええ……何だか無理を言ったみたいで、すみません……」
アランは驚くほど美しい青年だった。
漆黒の髪と瞳をしているが、右目の虹彩が少々赤い。
彼は端正な顔に笑みを浮かべ、魔力の所為で目が赤いのだと教えてくれた。
「魔力……? 治療に魔術を使うのですか……?」
「ええ、王都ではそうです。貴族の多いここでは高度な治療が必要となるのです」
「そうですか……。私なんかが貴族様を差し置いて……申し訳ないですわ……」
イヴェットががくりと首を垂れる。
彼女は精神的疲労から、かなり参っていた。
するとアランがその心労を察し、慌ててこう言った。
「いいえ、そんなことはありません! ジャックの手紙の内容からして、イヴェット様はかなり大変な状態にあるようですね? 僕としては強く入院をお勧めします」
「入院ですか……? しかしそんなお金は……――」
「大丈夫です。あなたのことは研究対象として無料で受け入れます。母体がストレスに晒された際の状態を把握したいのです。お不快でなければ、ですが」
「不快だなんて、そんな……」
そしてイヴェットの出産までの入院が決まった。
家に帰るのが恐ろしいという彼女のために、看護人が荷物を取りに行く。
やがて面会は完全謝絶となり、彼女の素性を語ることも禁じられた。
最初はかなり怯えていたイヴェットだったが、アランと看護人の優しさに触れ、正常な精神状態を取り戻していったのだった。
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第6話
「アラン様、今日はお腹も張っていなくて、とても具合がいいんですの」
「イヴェット様、それは良かった。一応、赤ちゃんの様子を診ましょう」
そしてイヴェットがお腹を出すと、アランはそっと手を乗せた。
それは魔力照射によって胎児の姿を把握する術である。
跳ね返ってきた魔力は間違いなく健康な胎児の姿を描いている。
アランは頷き、お腹から手を離した。
「赤ちゃんも元気なようです。このままなら、一週間後無事に産まれるでしょう」
「あぁ……良かった……! 全部アラン様のお陰ですわ……!」
「そんなことはありません。あなたの頑張りの賜物ですよ」
アランは恥ずかしそうに頬を掻く。
そんな態度にイヴェットは微笑ましくなった。
彼は年下だったが、噂に違わず頼りになる治療人である。
きっと多くの患者が彼を慕っているに違いない。
「それで……出産後のことなのですが……」
アランが声を潜めて言った。
イヴェットは現実に引き戻され、急に不安になった。
「このまま治療院に残り、しばらくは僕の研究対象を務めていただけますか?」
「そんな……! これ以上、世話になる訳にはいきません……!」
「しかしお話を聞く限り、あなたの状況は出産後こそ危険になりそうですよ」
「確かに、おっしゃる通りです……」
このまま出産を迎え、赤ん坊と共に家へ帰ったらお仕舞だ。
イヴェットはその状況を想像し、震えてしまう。
そんな彼女を見たアランはその肩に優しく手を置いた。
「心配はいりませんよ、イヴェット様。あなたはこのまま治療院へ残って下さい。全部僕達が何とかします。しばらくは安心してお過ごし下さい」
「アラン様……どうして……どうしてそんなにお優しいのですか……?」
イヴェットは返しきれないほどの恩を受け、恐縮していた。
するとアランはにっこりと微笑んで、彼女を元気付けたのだ。
「あなたが陥っている状況は、昔からジャックの話しで知っています。僕もひとりの人間として、全てを奪っていこうとする妹さんとご両親が許せないのです。僕もジャックもあなたの味方ですよ」
その言葉にイヴェットは大きく目を見開いた。
今までずっとひとり切りで耐えてきた――しかしここで味方が現れた。
「ありがとう……ありがとうございます……アラン様……」
彼女は次々と涙を零し、咽び泣いたのだった。
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第7話
イヴェット担当の看護人は三人を睨み、沈黙していた。
そこにいるのはリエイド夫妻と妹のジャネットである。
三人はこの治療院を突き止めるまで苦労したと延々と語り、その後、すぐにイヴェットの悪口を言い始めた。
「本当に姉のイヴェットは親不孝者ですよ……。家族に黙ってこんなお金のかかる治療院へ入院していたなんて信じられないわ……」
「その通りです。家族ぐるみで赤ん坊を育ててやると言っているのに、怯えて逃げ回る……いっそ癲狂院へ入れた方がいいんですよ」
「そうなんです! だから早く姉に会わせて下さい!」
看護人はそれを聞くと、溜息を吐いた。
彼女は治療人アランから事情を全て聞いていた。
このジャネットは姉に赤ん坊をよこせと迫り、両親もそれに賛同したという。
イヴェットの憔悴具合からして、それは余程のストレスだったのだろう。
なのにこの三人はのうのうと現れ、姉を出せと言っている。
「残念ですが、姉のイヴェットさんは面会謝絶です」
看護人がそう言うと、三人は立ち上がって文句を言った。
「どうして!? 私達は家族ですよ!?」
「そうですよ! 娘は病気じゃないぞ!」
「そうよ、そうよ! この治療院はおかしいんじゃないかしら!?」
しかし看護人は冷たく言い放つ。
「私は担当の治療人から全てを聞かされています。あなた方がイヴェットさんのお腹の子を狙っていることも、彼女を追い詰めたことも、全て知っているのです」
「はあっ……!? 何を言っているの……!? まさか気が触れている姉の言葉を信じたっていうの……!?」
「イヴェットさんは完全に正気です。治療人のお墨付きです」
「どこが正気なのよ……!? 私がお腹の子を狙うはずがないじゃない……!」
近寄ってくるジャネットを看護人は手で制した。
「それ以上近付かないで下さい。衛兵を呼びますよ?」
「くッ……何よ……!」
「兎に角、あなた達は今後一切この治療院への立ち入りは禁止です。もし次現れたら、すぐに衛兵に捕らえていただきますので、そのおつもりで」
「あーあー! こんな治療院、誰が来るもんですか! 帰りましょう!」
そして三人は苛々とした様子で帰っていった。
看護人はそれを最後まで見送り、溜息を吐いた。
もし自分にこんな両親と妹がいたら――そう考えて寒気がした。
それほどまでに三人は常軌を逸していたのだ。
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第8話
イヴェットは出産までの時間を幸せな気持ちで過ごしていた。
アランは心から信頼できるし、看護人達も優しくて頼りになる。
しかしその看護人エマがなぜか含み笑いをして、こちらを見ていた。
「エマさん、どうしたの……?」
イヴェットは堪らず声をかける。
するとエマは笑ってこう言った。
「実はね、アラン様が事あるごとにイヴェットさんの様子を見に行こうとするから、ついに看護長に怒られたのよ! あの方ったら、あなたのことが心配で心配でしょうがないみたい! もしかしたら気がおありなのかも?」
「まあ……そんなこと……」
その話を聞いて、イヴェットは顔を赤くした。
あんな凄腕治療人で、美形の男性が自分を好きだなんて――いいや、そんなことはないと彼女は首を振る。
アランはひとりの人として、自分に同情しているのだ。
それは恋心などではないはずだ。
「他にも“イヴェット様”って悩まし気に呟いていたとか、カルテをじっと見つめ続けていたとか、いっぱいあるのよ? やっぱり好きなのかしらね?」
「そんなこと……そんなことありませんよ!」
「うふふ、二人の恋の行方が楽しみだわ」
「こ、恋だなんて……!」
イヴェットは照れている自分をごまかすため、窓を開け放った。
外は晴天が続き、乾いた風が入ってきて心地が良い。
中庭では患者と面会人が楽し気に会話をしている。
ふとその中に見慣れた顔があった――
「え……? ジャネット……?」
面会人の中にジャネットがいた。
妹は姉と目が合うと、にっこり微笑んで立ち去った。
あまりの恐ろしさにイヴェットは硬直し、やがて震え始めた。
「あらあら、どうしたの? イヴェットさん?」
エマが声をかけても、イヴェットは蹲ったまま動けない。
やがてジャネットを見かけたと訴えた頃にはもう妹の姿はなかった。
その後、アランは面会人の確認を徹底させることを約束してくれたが、イヴェットの中には恐怖が残り続けたのだった。
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第9話
数日後、イヴェットは陣痛よりも破水が先に訪れた。
そして彼女は出産室へ移されたが、担当はアランではなかった。
彼は外せない用事があるらしく、信頼のおける治療人を彼女に付けた。
イヴェットは少し心配だったが、いざ陣痛が始まるとそれどころではなくなった。
激しい痛みの中で自分の子供が無事生まれることを切に祈る。
「がんばって! イヴェットさん! 私達が付いてるわ!」
「そう! 息を吸って吸って吐いて! 元気な子が産まれるわよ!」
エマともうひとりの看護人が必死に励ましてくれる。
やがてイヴェット長期間痛みと戦って、無事に娘を出産した。
元気に産声を上げる我が子を見たイヴェットは感動のあまり涙を零す。
その後、赤ん坊は看護人が見張る新生児室へ運ばれ、彼女は病室へ帰った。
「イヴェット様、この度は担当になれず、申し訳ありませんでした」
「アラン様、謝らないで下さい……。お陰様で、娘が無事に産まれました……」
ベッドに横になるイヴェットを見て、アランは申し訳なさそうに微笑んだ。
彼はせめてもと、出産後の母体を丁寧に診察する。
するとエマが焦った様子で駆け付けた。
「アラン様……ちょっと……――」
彼女はアランを外に連れ出すと、息せき切ってこう告げた。
「た、大変です……! イヴェットさんの赤ちゃんが攫われました……!」
「本当か……!? 見張りがいただろう……!? 犯人は見たのか……!?」
「見たそうです……! でも見張りに立っていた看護人がナイフで腕を切られて、怪我をしているんですよ……!」
「何だって!? それを早く言い給え!」
そしてアランとエマは現場の新生児室へ駆け付けた。
その床にはおびただしい血が滴り、傷の深さを物語っている。
怪我をした看護人は先ほど処置室へ運ばれ、治療を受けているという。
二人はすぐさま処置室へ移動した。
「あぁ……アラン様、エマ……」
「クレア、大丈夫!? 怪我はどの程度!?」
「かなり深く切られたわ……。今は縫合して、治癒をかけてもらったの……」
クレアの腕は大きく切り裂かれており、縫合箇所が痛々しい。
もしかしたらこれは傷跡として残るかもしれない。
「クレア君、抜糸後に僕のところへ来なさい。傷跡を消してあげよう」
「はい、アラン様。ありがとうございます」
「それと……犯人の顔は見たかい?」
そう問うと、クレアは目を伏せて答えた。
「犯人は看護人に扮した女でした。その顔は……イヴェットさんにそっくりでした」
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第10話
ジャネットは喜びの絶頂にいた。
やった、やったわ、ようやく赤ちゃんを手に入れたわ!
彼女は喜びのあまり、何度も赤ん坊をぎゅうと抱き締める。
「あらあら、ジャネット? そんなに抱き締めたら危ないわ?」
「はは、そうだよ。赤子は優しく扱わないと死んでしまうよ?」
「もうっ! 大丈夫よ、お母様、お父様! あのしぶといお姉様の子だもの!」
そう言うと、両親は顔を見合わせて笑った。
「何を言っているの? その子はもうあなたの子よ?」
「そうだね、その子はもう完全にジャネットのものだ」
「ああ、そうね! そうだったわね!」
両親の言葉にジャネットはにんまりする。
そう、この子は私のもの――絶対に誰にも渡さないわ。
そのためにこの家も新しく用意したし、きっと姉は追って来れない。
私はこの子の母親となって、いつか旦那様も捕まえて、幸せに暮らすのよ!
ジャネットはそう思い、愛おし気に赤ん坊を見詰める。
しかしその子の顔には血が付いていた。
「あっ、この子、血で汚れてるわ。お風呂に入れなきゃ」
きっと看護人を傷付けた時に返り血を浴びたのだ。
ジャネットは鼻歌を歌いながら、浴室へと向かっていく。
それにしても、姉を見つけるのに何人もの探偵を雇う羽目になった。
そしてようやく王都の治療院で見付た時、姉は面会謝絶で守られていた。
しかしそれが何だというのだろうか――そんなことでは自分は止められない。
面会人に紛れ、姉の前に姿を現したのはほんの挨拶代わりだ。
“お前の子供なんていつでも攫える”
そう教えてやるつもりだった。
その後、新人看護人に金を渡し、制服を借りて治療院へ侵入した。
しかし新生児室には見張りが多く、ナイフで看護人を傷付けることでしか、赤ん坊を攫う方法がなかった訳なのだが。
「ふんふんふん……さあ、裸になりましょうね!」
ジャネットは赤ん坊のおくるみを脱がせると、浴槽の底へ置いた。
そして蛇口をひねり、直接浴槽へとお湯を張り始めたのだ。
彼女はお湯が赤ん坊の体を浸したら、すぐに栓を締めるつもりだった。
しかしその時、呼び鈴が鳴った――
「誰かしら……まさかお姉様?」
彼女は浴室から出て、玄関へ走った。
赤ん坊はお湯が溜まり続ける浴槽へ置き去りである。
やがて両親と共に玄関の扉を開くと、そこにはひとりの美青年が立っていた。
「どちら様ですか……?」
母の問いかけに美青年はにっこりと微笑む。
その美しさにジャネットは思わず目を奪われた。
「僕はアラン・リジェルと申します。あなた達に赤ん坊の扱いを教えに来ました」
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第11話
ジャネットは腕組みをすると、アランを値踏みした。
「赤ん坊の扱い? 何よそれ? 押し売りみたいなもの?」
「いいえ、違いますよ。僕はその道のプロなのです」
「へえ、まあいいわ。上がってちょうだい」
心配する両親をよそにジャネットはアランを居間に通す。
そしてお茶の用意をしつつ彼の顔をちらちら覗き見た。
男に目のない彼女は彼の美貌に釘付けだった。
この男、かなりの美形ね……。
彼なら夫にしても構わないわ……。
そんなことを考えていると、アランが口を開いた。
「それで、赤ん坊はどこです?」
「赤ん坊ですって? あッ……――」
ジャネットはようやく浴槽に置き去りの赤ん坊を思い出した。
すぐさま浴室へ走り、浴槽を覗き込む。
その瞬間、ジャネットの全身に衝撃が走った。
浴槽からはお湯が溢れ出し、底には赤ん坊らしき物体が沈んでいたのだ。
彼女は大慌てでお湯の中に手を突っ込み、赤ん坊を助け出す。
しかしその子は動きもせず、呼吸もしていなかった――
「ああッ……そんな……そんな……――」
ジャネットは赤ん坊を揺さぶるが、息を吹き返すことはない。
そんな彼女の背後から、冷たい声が響き渡った。
「赤ん坊を、殺したんですか……?」
「殺したッ!? 人聞きの悪いことを言わないでッ! これは事故よッ!」
「事故? 一体どんな事故を起こしたと言うのです?」
「うるさいッ! アンタがタイミング悪く訪ねてきたからこうなったのよッ!」
鬼の形相でジャネットは振り返る。
そんな相手を見て、アランは口元を歪めた。
「お姉さんから赤ん坊を盗み、挙句の果てには殺してしまう……。なんて酷い妹なんでしょうね……」
彼の右目が赤く輝き、渦を巻いていた。
「な、何なの……アンタ、何者なの……?」
「僕は治療人ですよ。ただし魔術の腕だけは宮廷魔術師に選ばれるほどですがね」
「はあッ!? 治療人なら赤ちゃんをどうにかしてよッ!?」
「赤ちゃんね……。でもそれって――本当に赤ちゃんなんですか?」
次の瞬間、ジャネットが抱いていた赤ん坊が土人形に変わった。
その額には“emeth”の文字が浮かび、やがて“meth”となって崩れ落ちた。
「ああああああッ……赤ちゃんがッ……!?」
「それはゴーレムですよ。今、遠隔操作で文字を消して殺しました。本物の赤ん坊に見えるように幻術をかけ、居場所を教える探知魔法もかけていたのです」
その言葉にジャネットは青ざめた。
「まさか……アンタ、最初からずっと私を騙していたの……!?」
「ええ、その通りですよ。あなたなんかに赤ん坊を渡す訳がないでしょう?」
「くッ……!」
ジャネットはアランを押しのけると、玄関へ走る。
しかし途中の廊下で両親が倒れているのを発見し、立ち止まった。
「お父様……! お母様……!」
「その二人にはある魔法をかけさせていただきました」
後ろからアランの声が迫ってくる。
ジャネットは逃げようとしたが、その体が固まった。
彼が時間魔法をかけて、彼女の体の時を止めたのだ。
「やだ……どうして……どうしてなの……!?」
ジャネットは硬直したまま涙を零して訴える。
「酷い……酷過ぎるわ……! 私は前の入院で、子供を産めない体になったのに……! お姉様の子供をもらったっていいじゃない……!」
「あなたの不妊はお姉さんから奪った男と遊び、堕胎を繰り返した結果でしょう? あなたが入院した治療院に友人がいるのですが、その人から全て聞きましたよ。もう三回も無茶な堕胎したそうですね。どう考えても、自業自得というものではありませんか?」
「うっ……うぅ……――」
そしてアランはにっこりと微笑むと、ジャネットへ告げた。
「あなたにも魔法をかけさせていただきます。なぁに、大した魔法はかけません。ちょっと罪悪感を強烈にするだけですよ。え? そんなことしたらバレるって? いいえ、僕は宮廷魔術師のトップに選ばれる腕前ですよ? つまり僕の魔法を見破れる者はこの国にいないって意味です。ご理解いただけましたか、ジャネットさん?」
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第12話
イヴェットは我が子を抱いて泣いていた。
出産から一晩明けた今、妹が赤ん坊を攫いにきていたことを知った。
しかも看護人を切り付け、身代わりのゴーレムを連れ去ったという。
イヴェットの赤ん坊は別の部屋に隠され、無事だった。
全部アランが取り計らってくれたお陰らしい。
「イヴェット様、ご加減は如何です?」
「ア、アラン様……!?」
そこにアランが現れた。
彼はいつも通りの笑顔を浮かべ、病室へ入る。
「お陰様で娘は無事でした……! なんとお礼を言ったらいいのか……!」
「いえ、いいんですよ。それより妹さんとご両親が自首したらしいですね」
「そうなんですか……!? あの三人が……!?」
「ええ、どうやら酷く取り乱し、泣き叫んでいたといいますよ」
イヴェットは信じられなかった。
あの罪悪感の欠片も持ち合わせていない三人が自首だなんて。
さらには取り乱して泣いていただなんて、どういうことだろう。
しかしアランが言うなら、それは本当なのだろう。
彼女はほっと胸を撫で下ろした。
「あらあら、これでイヴェットさん退院しちゃいますね?」
「そのまま行かせちゃっていいんですか? アラン様?」
その場にいた二人の看護人がにやにやと笑っている。
するとアランは二人を部屋から追い払い、イヴェットに向かった。
「イヴェット様……赤ちゃんを抱かせて下さいますか……?」
「え、ええ、勿論です! 抱いてあげて下さい!」
イヴェットは頷いて、赤ん坊をそっと差し出す。
それを受け取ると、アランは我慢できないというように微笑んだ。
「ああ! 何て可愛いんだ! 君は皆に祝福されて産まれたんだよ!」
その言葉にイヴェットは泣き出しそうだった。
長い長い試練を経て、この子は幸せの世界に産まれた。
それは全てアランのお陰だ――心からの感謝と希望を述べる。
「ありがとうございます、アラン様。あなた様がいてくれたからこそ、この子は祝福されたのです。大きくなったら、必ずそのことを話して聞かせますわ。それで……もし良かったら、この子の名付け親になってくれませんか? きっと名をいただければ、この子は生涯守護されるでしょう」
微笑んで語るイヴェットに、アランは首を振った。
「それはできません。僕は名付け親にはなれない」
「ど、どうしてですか……?」
イヴェットは不安そうにアランを見詰める。
そんな彼女の耳元へ彼は顔を寄せた。
「名付け親じゃなく、本物の親になりたいのです。この子は僕がこの手で生涯守り抜きますよ。イヴェット様、僕と結婚して下さい」
「そ……そんな……アラン様……――」
震えるイヴェットにアランは優しく微笑みかける。
すると赤ん坊も嬉しそうな声を上げ――笑った。
イヴェットは目を見開き、我が子を見詰める。
「え……? 笑ったの……?」
「もしかして、賛成してくれたのかな?」
赤ん坊に顔を寄せるアランを見て、イヴェットは泣いていた。
「ア、アラン様……本当に私なんかでいいんですか……?」
「あなたじゃないと駄目なんです、愛しいイヴェット様。今まで奪われてきた全てを、今度は僕が何倍にもして与えますよ。覚悟していて下さいね?」
そして二人は赤ん坊を囲み、微笑み合ったのだった。
―END―




