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遺愛

クラウスの指示で運ばれてきた衣装の数々に、エリスは思わず息を呑んだ。

次々と侍女たちの手で並べられていくドレスは、どれも丁寧に仕立てられ、時を経ても色褪せぬ輝きを放っている。


「……こんなに……」


視線を向ければ、艶やかな布地、繊細な刺繍、上品な色合い。

一着一着に“見栄え”ではなく“愛情”が縫い込まれているのが伝わってくる。


「驚かれましたか?」

クラウスの声は、いつになく柔らかく響いた。

「これでもまだ一部にすぎません。奥様がお仕立てになられた品は、別室にも数多く残されておりますゆえ……」


「……別室に、まだ……」


エリスの胸がきゅう、と締め付けられる。

自分のために、母がどれほどの想いを費やしていたのか。

その重みに、足元が揺れるような感覚を覚えた。


深く澄んだ瑠璃色のドレスに手を伸ばした瞬間、頬を熱いものがつたった。

母が残してくれたもの。自分の存在を慈しんでくれていた証。


(……でも……お母様は、私を産んでから弱って……そのまま……)


ずっとそう思ってきた。

自分が母の命を奪ったのだと。

その罪悪感は、胸の奥で澱のように溜まり続けていた。


けれど――今、目の前にある数えきれないほどの愛情が、静かに否定する。

「あなたを愛していたのだ」と。

「生まれてきてよかったのだ」と。


(……お母様……私は……生まれてきてもよかったの……?)


胸に巣食っていた罪悪感が、ほんの少しずつ溶けていく。

エリスは堪えきれず、声もなく泣き崩れた。


「お嬢様……!」

サラが慌てて駆け寄る。驚きと戸惑い、そして胸を打たれたような眼差し。

クラウスもまた、静かに見守っていた。


(……泣いておられる……)

奥様が亡くなられた折でさえ涙を見せなかった少女が、ようやく心を解き放ち始めている。

もしかすれば――


ほどなくして、エリスは袖で涙を拭った。

先ほどまで泣き崩れていた少女の面影はなく、代わりに浮かんだのは凛とした気品を帯びた表情だった。

それは――亡き奥様を思わせる、落ち着きと強さを秘めた顔立ち。


クラウスは思わず息を呑む。

(……奥様……)

かつて仕えてきた主君の面影が、幼い令嬢の姿に重なった。


「クラウス」

エリスは静かに口を開く。

「お父様を……呼んできてちょうだい」


その声音もまた、今は亡き奥様を彷彿とさせる気品に満ちていた。

クラウスは一礼し、深い敬意を込めて応じる。

「かしこまりました」


執事が部屋を去ると、エリスは大きく息を吸い、サラへと視線を向けた。


「準備を整えましょう」


サラはこくりと頷き、手際よく支度を始める。


衣桁(いこう)にかけられた瑠璃色のドレスは、同世代の少女たちよりも大人びたしなやかな肢体を際立たせるシルエット。子供っぽい大げさなフリルはなく、布地そのものの美しさと、纏う者の素材の良さを引き立てていた。


装飾品はエリスの手持ちの中で最もシンプルな、やや大ぶりの真珠のネックレス。

一粒一粒が気品ある輝きを放ち、上品な華やかさを添えている。


髪は下ろして、エリス本来の自然なストレートに。艶のある絹のような漆黒の髪は、清楚さと大人びた雰囲気を同時に漂わせた。

厚めのメイクはすべて落とし、ほんのりと唇に紅を差すのみ。陶器のような肌に、淡い色彩が可憐に映える。


「お嬢様……」

サラの瞳が潤み、震える声が洩れる。

「……大変お美しいです……」


「ありがとう、サラ」

その言葉にエリスは微笑んだ。その笑みには、これまでの傲慢さも気まぐれさもなく、ただ柔らかな光が宿っていた。


その瞬間、扉を叩くノックの音が響く。


「エリス? クラウスより呼ばれてきたのだが、何かあったのか?」


心配と慈愛に満ちた声音。

それは――エリスの父、エドムンド・フォン・リュミエールその人であった。


エリスは父を室内へと招き入れ、ゆるやかに裾を揺らして淑女の礼を取った。

静かに顔を上げ、澄んだ声音で口を開く。


「お父様……お願いがございますの」


その声は可憐でありながら、どこか控えめな響きを帯び、部屋の空気にやわらかく溶けていった。


エリスがまっすぐ父を見上げると、エドムンドは言葉を失ったようにその場に立ち尽くす。

驚愕と戸惑いが入り混じった表情のまま、頬を一筋の雫が伝い落ちた。


「…マリアンヌ」


父の震える声が、静かな室内に深く響き渡った。

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