黒薔薇の目覚め
まぶたを開けた瞬間、エリスは息を呑んだ。
そこに広がっていたのは、懐かしい天蓋付きのベッド。幼い頃から慣れ親しんだはずの、自室だった。
(……ここは……?)
けれど、その答えを探すよりも先に――あの記憶が胸を締めつける。
冷酷に婚約破棄を告げるセドリック。
涙を浮かべ、同情を誘うように見上げるフィオナ。
群衆の嘲笑と、聖女の嗤い。
そして――その直後に待っていた、牢獄での地獄のような日々。
冷たい石床に滲む湿気、鉄錆と腐臭のこびりついた空気。
与えられる粗末な食事は生存を許すだけで煌びやかなドレスはただの重荷と化した。
「婚約破棄を告げられたあとのわたくしは……まるで生きる屍のようだったわね」
フッと、自嘲を込めて笑う。
あの牢獄の中では、時間の感覚すら失われていた。
一日なのか、一週間なのか、一ヶ月なのか。
ただ永遠にも思える苦痛の中で、痩せ細り、朽ち果てるのを待つばかりだった。
心も尊厳も踏みにじられ、残ったのは「処刑を待つ人形」のような自分だけ。
「……夢?」
縋るように呟く。
けれど次の瞬間、エリスは唇を噛み、確信したように首を振った。
「……いいえ、夢ではないわ」
地獄のような生々しい記憶が、夢ではないとエリスに確信させた。
そう呟いたとき、ふと自分の手に目を落とす。
白く小さな指。腕も細く、幼さを残している。
「……っ!? な、なにこれ……!」
思わず声が漏れる。
信じられない思いで、エリスは鏡の前へ駆け寄った。
そこに映っていたのは――間違いなく自分。
けれど、かつて処刑を待った衰弱した女ではない。
あまりにも幼い顔立ちの、自分自身だった。
「……わたくし……幼くなっている……」
呆然と呟いた瞬間、理解が追いつかず胸がざわめいた。
なぜなのか、どうしてなのか。答えは出ない。
けれど――あの断罪も、牢獄も、処刑を待つ日々も確かに現実だった。
ならば今ここは……夢ではない。
「……過去に……戻ったとでもいうの……?」
普通に考えたらありえないこと。
けれど、そうとしか思えなかった。
何にせよ、わたくしは今生きている。
「……もう、二度とあんな死に方は嫌」
この身を守るためなら、何だってする。
王子の婚約者でなくてもよい。
悪女と嘲られても、貴族社会から追われても。
たとえ孤独でも――生き抜く。
そうしてエリスの“死に物狂いの第二の人生”が幕を開けた。