獅子蕪木結奈の訪問
「灰城さん、突然来てすいません。近くを通りかかったんで寄らせてもらいました」
手を後ろで組みながら少し照れくさそうに僕に話しかけてくる獅子蕪木結菜さん。
吸血毒ダニの事件からまだ数日しか経っていないのに、もう外に出て動き回れるなんてすごい回復力だ。
空ちゃんと自宅でステータスを確認した翌日の日曜日の午後。僕は空ちゃんたちと皆で街に買い物に行こうと自宅の玄関を出たちょうどその時、獅子蕪木結奈さんが僕の家に訪ねて来たのだが、その服装がおかしかった。
「……獅子蕪木さん、どうしたのその恰好? まさか、その恰好でここまで来たの?」
「……ん? そうですが、何か問題でも?」
獅子蕪木さんが着ている服が所々ボロボロで、僕は獅子蕪木さんが何かの事件に巻き込まれたんじゃないかと不安になるし、何より今の獅子蕪木さんの服装を見て、僕は目のやり場に困り視線を逸らす。
獅子蕪木さんの上着は辛うじて服の原型は保っているが、特に胸の辺りの部分が獣のかぎ爪で切られたように三本線の穴が開いていて、黄色いセクシーな下着が露わになっている。
本人は気がついていないようで、僕はそのことについて指摘した方がいいか悩んでいると、ルトとイクスが服の空いた箇所を指さして指摘する。
「お姉さん、黄色い下着が見えてるよ、いいの?」
「ほんとだ、おしゃれ~」
獅子蕪木さんは自分の服装を確認するため視線を下に向けると、ようやく上着が破れていた事実に気付き悲鳴を上げながら慌てて胸を隠して蹲る。
「……え? きゃっ! え、嫌だ。それじゃあ、あたしこの格好で街中を……超恥ずかしい」
ルトとイクスが僕の代わりに指摘してくれたことに、ほっと息を撫で下ろす僕。
「よ、良かった、ルトたちが指摘してくれて。獅子蕪木さん、あまりにも堂々としてたから一瞬、最先端のファッションだと思ったよ。それにそのことを指摘したらセクハラになりそうだし」
「……碧君、あれがファッションな訳ないでしょ。それに、見た目が少女の格好の碧君が注意しても違和感ないわよ……ほら、これ着て。うちの服貸してあげる」
「……あ、ありがとう。そ、その~、灰城さん、後ろ向いてくれると……」
「ご、ごめん」
雛が直ぐに家に戻って自分の服を取りに行ってくれたようで、獅子蕪木さんに自分の服を渡していた。受け取った獅子蕪木さんは恥ずかしそうに僕に視線を送っていたので、僕はすぐに後ろを向いて獅子蕪木さんが着替え終わるのを待っていた。
改めて着替え終わった獅子蕪木さんが僕たちの前に向かい合って立ち、雛に向かって頭を下げてお礼をしていた。
「……服を貸してくれて、ありがとうございます。あたしは獅子蕪木結奈って言います」
「古土雛よ……それでこの子が妹の翼で、こっちが三島千香」
紹介された翼ちゃんが獅子蕪木さんに手を振って元気よく答え、千香は軽く手を上げて答える。
「翼だよ。お姉ちゃん、よろしくね」
「三島千香っす、よろしくっす。それで、獅子蕪木さん? どうして服があんなにボロボロに心当たりあるっすか?」
「……あるんですけど。あたし事で恥ずかしいんですけど……。まずはこれを見てください」
千香が尋ねると、獅子蕪木さんは自分のポケットからスマホを取り出し、素早い動きで画面を操作した後に僕たちに画面を見せると、猫が映っていて、画面の背景を見ると僕がよく行く公園だということがわかるが……。
「……あれ? 撮った場所はすぐ近くの公園だよね。……でも、かなり威嚇されてるね。この猫は僕も知ってるけど、この子は普段のんびりとした大人しい子なんだけどな」
「あ、ミャーさんだ。けど、こんなに怒っているミャーさんは見たことないよ」
僕が獅子蕪木さんのスマホの画面を見て指摘していると、ルトも一緒になってスマホの画面を見て、普段と違う猫の様子に驚いている。
それもそのはず、この猫は家の後ろの裏山に住んでいて、ルトがミャーさんと名前を付けて呼んでいる子で、たまに家に来てルトと一緒に家の縁側でお昼寝をしたりしている大人しい猫だ。でも、画面に映っているミャーさんは毛を逆なでて凄い形相で威嚇している様子が映っていた。
「……そうなんですよ。あたし猫が大好きで、いつも猫が集まりそうないろんな場所を巡って猫を探し出して写真を撮ろうと頑張っているんですけど、あたしが近づくと猫はみんなすぐこうなっちゃうんですよ。だから、もうこうなったらヤケだーって、あたしは我慢できずに猫に一気に近づいて抱きしめたんですけど激しく抵抗されちゃって。はぁ~~「これのせいじゃないかな?」えっ!? ちょっと」
獅子蕪木さんが深いため息をついて落ち込んで話しているところに、突然空ちゃんが獅子蕪木さんの腕を掴み、ブレスレットを見つめながら話す。
「やっぱりそうだ。このブレスレットは確か猫アレルギーの人が猫除けに使っているやつだよ。ここに嵌め込んである球があるよね。この球が猫が嫌いな匂いを出して猫が近づかないようにするの。誰か猫アレルギーだった?」
「……死んだお袋が猫アレルギーだった。このブレスレットは元々、死んだお袋が身に着けていた物だったんだ。あたしが死んだお袋の形見として身に着けていた物なんだけど……そうか、このブレスレットが原因か。ちょっと複雑」
そう言って、獅子蕪木さんがブレスレットを見つめて僕たちに話していると、先程画面に映っていたミャーさんが庭に遊びにやってきていた。すると、ミャーさんを見つけた獅子蕪木さんがブレスレットを外して僕に預けると、息を呑んでミャーさんに恐る恐る近づいて行く。すると……。
「や、やった~。見て見て! あたし、普通に猫に威嚇されないし触ることができた! 嬉しい~!」
猫を抱きしめて喜ぶ獅子蕪木さんに、僕たちは喜んでいると、獅子蕪木さんはミャーさんを離して空ちゃんに近づき、両手を掴んで嬉しそうにブンブンと力いっぱい上下に振って感謝している。
「ありがとう、最上さん。これで、あたしも猫に触ることができるよ」
「よ、喜んでくれて何よりです。で、でも、ちょっと手を放して、痛いですから」
「あ、ごめん」
空ちゃんは両手に息を吹きながら獅子蕪木さんに尋ねる。
「ふぅー、ふぅー。い、痛かった。手が千切れるかと思った。ひょっとして獅子蕪木お姉さんはかなりレベル高い?」
空ちゃんは両手に息を吹きかけながら獅子蕪木さんに尋ねると、獅子蕪木さんが僕たちには聞こえないように空ちゃんとこっそり何かを話している。
僕は小さな声で話し合っている獅子蕪木さんと空ちゃんが何を話しているかわからなかったが、そろそろ街に行かないと目的の物が買えなくなってしまうと思い、二人の話を遮って、獅子蕪木さんも一緒に街に買い物に行かないかと誘うことにした。空ちゃんが僕たち以外の人とこんなに親しそうに話しているのは珍しいからだ。
「ごめん、二人とも。そろそろ行かないと目的の物が買えなくなっちゃうから……。もし良かったら獅子蕪木さんも僕たちと一緒に買い物に行く?」
「いいんですか! ぜひお供させていただきます。アニキ」
「アニキ?」
突然の兄貴分呼ばわりに僕は困惑していると、畳みかけるように獅子蕪木さんが話す。
「灰城さんには二度もあたしの命を救ってもらい、組の家族も助けてもらって、あたし自身、いや、獅子蕪木組全体に返しきれない大恩が出来ました。それに、ヤクザの娘であるあたしがこうして突然家に押しかけても嫌な顔せずに接してくれてあたしは嬉しいんです。だから、そんな尊敬できる灰城さんにあたしはアニキと呼びたいんです。いや、あたしが勝手に呼びます。ちなみにあたしのことは獅子蕪木さんではなく『結奈』と呼び捨てで呼んでください。アニキの彼女さんたちも是非」
その話を聞いた凛が、獅子蕪木さんに近づいて握手を求めながら話す。
「そうなの~。じゃあ親しみを込めて結奈ちんって呼ぶね」
「あ! あだ名ですね。あたし初めてあだ名を呼ばれました。嬉しい」
獅子蕪木さんは凛の握手に応じながら、指で鼻の下を擦って照れくさそうに話すと、次々と僕を除いた皆が握手を交わしていく。そして空ちゃんたちが獅子蕪木さんの背中を僕の方に押し出して、僕の目の前にやって来る。
「へへっ、これからよろしくお願いします。アニキ」
「ちょ、ちょっと……し、獅子蕪木さん? アニキって呼ばれるのはちょっと……」
「…………」
僕はジ~っと無言の圧力をかけてくる獅子蕪木さんに観念して、獅子蕪木さんを下の名前で呼ぶことにした。
「……結奈」
「はい! アニキ!」
僕は観念して獅子蕪木さんを名前で呼ぶと、笑顔で返事を返してくる彼女にドキッとした。
「……じゃあ、みんな行こうか」
僕は皆に顔を見られないように、少しだけ前を歩き、早歩きで街の方へ向かった。