入学試験10
窓辺から風に揺れて木々の葉の擦れる音だけの沈黙が続き、佳代子おばあちゃんの気迫ある表情に、僕は息をのみながらどのような内容が飛び出すか想像できず緊張しながら話を待っていた。
沈黙が破れ、佳代子おばあちゃんの話す内容は下世話な話だった。
「詠美ちゃんとはどこまで進んだんじゃ、もう接吻は済ませたのかの、もう子作りはしたのかの?」
僕は佳代子おばあちゃんから話してきた内容にソファーからずり落ちそうになるのを何とか耐える。
「……詠美さんとはまだ付き合ってませんよ、告白はされましたがって、なんでそんな事聞いてくるんですか」
かなり真剣な表情をして出てきた話は、詠美さんの関係についてだった。
「あの、一応まだ僕は受験生なんですけど、今ここで話す内容じゃないでしょうに終わった後、改めて時間を取って話しませんか?」
僕は、手で頬を掻きながら遠慮がちに佳代子おばあちゃんに尋ねる。
「いや、今じゃなきゃダメなんじゃ。おぬしと真剣に2人で話す時間は今を逃したらないかもしれんでのう。おぬし、最近1人でいる時間なんてトイレか、風呂くらいじゃないのかい?」
僕は最近のことを思い返してみると、たしかにその時ぐらいにしか1人になったことはない。
「たしかにその時ぐらいしかないですね、でも何で知ってるんですか?」
当然のように佳代子おばあちゃんが僕の行動を知っているか疑問に思う僕に、しまったという表情をして両手で口を隠して僕にわざとらしく演技をしながら一冊の本を僕の目の前に置いて、また、わざとらしい喋る佳代子おばあちゃん。
「あ~、しまった~。詠美ちゃんの日記を落としてしもうた~」
目で僕にその日記を読めと佳代子おばあちゃんが圧をかけてくる。
僕はダメだとわかっていてもその日記を取って適当なページを開いて読んでみる。
『今日は碧君はカレーを作るみたいだ、早く私も碧君と料理をしてみたいな』
これは3日前の日記のようだ、たしか、詠美さんと偶然夕飯の買い物で会ってルトと3人で買い物をした時だ。続きを読んでみる。
『買い物してる最中に、間にルトちゃんを入れて3人で手をつないで並んで歩く私たちは、もう立派な家族に見えるだろうか、私もいつか碧君と結婚してルトちゃんのような子供が欲しいな』
詠美さんの本音が書かれている日記を勝手に読んでいる罪悪感に蝕まれた僕は。
「……あの、やっぱり詠美さんの日記を勝手に読むのはやめませんか?。僕は心が痛むのですが」
「いいから読むのじゃ、そのベージの最後まで」
後悔しながら続きを読む僕だが、続きを読んでいくと段々と恐怖に変わる。
『碧君はカレーを作るみたいだけど、炊飯器のスイッチを入れ忘れているけど大丈夫かしら、それと、空さんが家に向かってるのに材料はこれで足りるのでしょうか、心配だわ』
たしかにその日は、空ちゃんが夕飯をいきなり食べにきたし、炊飯器のスイッチも入れ忘れていた、何で知ってるんだ。
『今日は、空ちゃんは家に泊まっていくようだ。……羨ましい、私も碧君の家に泊まりたい』
ここから詠美さんの字が少し荒っぽくなっている。
『どうやら碧君と空ちゃんは別々の部屋で寝る様だ。よかった、まだそういうことをしてなくて安心、……でも羨ましい、私も碧君の幼馴染だったらよかったのに、ちょっと空ちゃんが妬ましい』
(あれ?雲行きが怪しくなってきたぞ)
『深夜、碧君とルトちゃんが寝入ったのを見計らって、空ちゃんが脱衣所で碧君の使用したバスタオルと新品の物に交換している。欲しい!どうしたら譲っていただけるでしょうか今度、空ちゃんに交渉してみましょう何としても手に入れなくては』
その後の内容は僕の寝返りの回数だとか、どんな姿勢で寝ていたとか、僕の行動記録が事細かに書いてあることに恐怖を覚える。
「……その様子、どうやら最後まで読んだんじゃな、そのベージはまだましな部類じゃ、他のベージはもっと細かく書いてあるぞ。どうやら詠美ちゃんは深くおぬしを愛しておるようじゃ。行動記録をつけるくらいに。よかったの~詠美ちゃんに愛せれて、この幸せものめ。じゃがこれでわかったじゃろう?この日記を読む限り、もう、お主以外に詠美ちゃんは任せられぬことを。ちょっと、いや、かなり病んでしまったが、うん……愛していることにはかわりあるまい」
うんうんと1人でうなずく佳代子おばあちゃんに僕はツッコム。
「そりゃ当事者じゃないからいい話みたいにまとめましたが。僕は当事者なんですけど!」
「ほら、それはおぬしが詠美ちゃんとさっさと子供を作れば落ち着くじゃろう。わしはひ孫が出来てハッピー、おぬしは嫁が出来てハッピー。ほら、お互い得じゃろ」
「なんで、そんなに僕を急かすんですか?僕はまだ責任を取れる年齢や養える資産を持ってませんよ」
「お金の心配はせんでよい、なぜ急がせるかと言うと、おぬしも見たんじゃろ、長男の権蔵の姿を」
先程あったお兄さんを思い出し、僕は苦笑いをしながらうなずく。
「あやつ、もうすぐ結婚の所までいってたんじゃが、しばらく見ないうちに帰って来たと思えば、わしになんて言ってたと思う、『あたし、女として生きるわ、ルーチェってこれからは呼んでね』って、それを聞いたわしの気持ちがおぬしにわかるか、結婚は無くなって、ひ孫が出来ると楽しみしておったわしの気持ちが!」
両手で机をバンッと大きな音を立てて叩き、鬼気迫った佳代子おばあちゃんの表情に、僕はたじろぐ。
「もう森崎家はお終いじゃと思っておった矢先、詠美ちゃんが長年の悩ませておった傷が治ったといういうではないか、しかも治してくれた相手に好意を持っていると、恥ずかしそうにわしに報告してくる詠美ちゃんにわしは心が躍ったわい。だからおぬしには期待しておる。詠美ちゃんをくれぐれも頼むぞ。そして、早くひ孫の顔を見せてくれ、じゃないとわしは……わしの夢が」
「夢?何ですか佳代子おばあちゃんの夢って」
「よくぞ聞いてくれた。そう、わしの夢は多くのひ孫に囲まれて、ちやほやされることじゃ」
「ちやほやって、……そんなことで」
「そんなこととはなんじゃ、こっちは真剣なんじゃ!わしは若返ったことで大好きなお酒もろくに買いに行けなくなったんじゃ。詠美ちゃんたちにも『これを機会に禁酒してください』なんて言われて、お店に買いに行っても、『お使い偉いね、でもお嬢さんには売ることができないのごめんなさい』って言うんじゃ、わしはスマホが操作苦手でネット注文もできんし、あとは夢に掛けるしかないんじゃ!」
佳代子おばあちゃんは座ってる僕に近づいて膝を掴み身体を揺すり、すがってくる。
「おねがいじゃ、森崎家の未来の為にも、わしの夢の為にも、いたいけな年寄りの夢を叶えてくれ~」
僕は佳代子おばあちゃんの心から出る魂の叫びに困っていると、扉の向こうからノックが聞こえる。
『どうしましたか?騒々しいですが、失礼しますよ』
部屋に入って来たのは僕を案内していた人ではなく別人で、どことなく詠美さんに似ている女性だった。
入って来た女性を目にした佳代子おばあちゃんは焦りだす。
「げっ!?夏美、何でお前がここに、まだ、先程の後始末が残っていたはず」
「あの件なら権蔵に押し付けてきました。……それにしてもお母さん何をしてるんですか、みっとない」
どうやら夏美さんと呼ばれた女性は詠美さんのお母さんのようだ。
夏美さんは僕から佳代子おばあちゃんの着物の後ろ襟を掴んで引き剝がし向かい側に座らせると僕の方に向いて謝罪する。
「ごめんなさいね、碧君。それと初めまして、詠美の母親の夏美です。お話したいことは山のようにありますが今日はもう帰りなさい、試験終了お疲れさまでした。私は、まだこの人にお話がありますので」
「お前さん、助けてくれ!1人にしないで!」
夏美さんに僕の背中を押されて、部屋を追い出されてしまう。
「また今度ゆっくりと話しましょうね、……では」
ゆっくりと扉が閉まっていく中で、夏美さんの後ろで僕に必死に助けを呼ぶ佳代子おばあちゃんの声が聞こえるが、夏美さんの冷酷な笑顔に逆らえるはずもなく、聞こえないふりその場を後にした。
こうして、僕の慌ただしい、入学試験は幕を閉じたのであった。