プロローグ
「すぅ……すぅ……」
静まり返った部屋の中に、規則正しい小さな寝息が響いている。
僕の隣では、ルトが安心しきった顔でスヤスヤと眠っていた。小さな手で僕のパジャマの裾をギュッと握りしめている姿は、見ているだけで胸が温かくなる。
(……可愛いなぁ)
ルトの柔らかい髪をそっと撫でながら、僕は暗い天井を見つめて一つ息を吐いた。
僕、空ちゃん、雛、凛の4人がかりで、ギリギリまで千香に試験勉強の最後の追い込みをさせるという名の『お泊まり&勉強会』を開催していたのだ。
その賑やかだったリビングの片付けを済ませ、順番にお風呂に入り、ようやく布団に潜り込んだのは日付が変わる頃だった。
ソファーで順番待ちをしている時はあんなに限界ギリギリの眠気と戦っていたというのに、いざ布団に入ると、パッチリと目が冴えてしまって全く眠れない。
――明日はついに、冒険者学校の入学試験の当日だ。
(思えば、本当に怒涛の日々だったな……)
目を閉じると、この数週間の出来事が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
ほんの少し前まで、僕はレベル9から成長できない『万年落ちこぼれ』として、幼馴染の玲次にバカにされるだけの日々を送っていた。
まさかあいつに経験値を吸い取られていたなんて思いもしなかったし、その呪縛から解放された僕が、あろうことか『男の娘』という謎の称号を得て覚醒するなんて、夢にも思わなかった。
しかも、その称号のおかげで女性専用の職業『女騎士』の力が使えるようになったのだ。
さらには、魔物を倒したり、自身のレベルを上げたりして獲得したポイントを消費すれば、他の女性専用職まで習得できるようになるというから驚きだ。
極めつけは『魔物女王』なんていう謎の職業を手に入れたこと。
魔石を集めれば僕自身が魔物に変身できるし、魔石を使って僕そっくりの魔物の眷属まで作れてしまうのだ。
でも、そのおかげでルトっていう可愛い家族に出会えたのだから、今はこの謎の職業に感謝している。
ただ、少しだけ不満があるとするならば――。
僕は男らしくありたいと願っているのに、気のせいかレベルが上がるたびに、自分の姿がどんどん女の子みたいに可愛くなっている気がすること。肌つやが良くなったり、腰まで伸びた銀色の長髪も覚醒した直後よりさらに綺麗になっていたりして、理想の『男らしさ』から遠ざかっていくことだろうか……。
色々なことがありすぎて、気苦労が絶えない毎日だけど。それでも、決して悪いことばかりじゃなかった。
空ちゃんと再会できたり、詠美さんの治療をしたり。
それに、ダンジョンで雛たちを救出して、病院で寝たきりの翼ちゃんを助けることができた……。
(それにしても、僕がネットニュースの話題になったのは、今でも嘘だと思いたいけど)
街に現れたゴブリンの群れやホブゴブリンとの死闘は、ネットやニュースで大きく取り上げられてしまった。おかげで買い物をするために街に出れば、アニメ『吸血騎士リリー』の主人公本人だと思われて、行く先々で子供たちに囲まれてしまうのだから。
「……ふふっ。なんだか、別の人の人生みたいだ」
暗闇の中で、僕は小さく自嘲気味に笑った。
本当に目まぐるしくて、ため息をつきたくなる時もあるけれど。それでも、空ちゃんと再会する前の、あのどん底だった毎日に比べたら、今の賑やかな日々は信じられないくらい幸せだ。
「むにゃ……おかあちゃん……えへへ……」
ふいに、ルトが幸せそうな寝言を漏らしながら、僕の腕の中にすり寄ってきた。
その温かくて小さな重みを感じながら、僕はルトの背中を優しくトントンと叩く。
そんな風にこれまでのことを思い返して、心がすっかり満たされたからだろうか。
ルトの背中を一定のリズムで叩いているうちに、さっきまであんなに冴えきっていたはずの頭へ、嘘のように心地よい微睡みが降りてきた。
じんわりと伝わってくるルトの温かい体温と、安心しきった規則正しい寝息。
それに誘われるようにして、僕の重くなったまぶたはゆっくりと閉じていき、意識があたたかな眠りの底へと沈んでいく。
「……むにゃ……明日は、がんばるぞ……」
半分夢の中に片足を突っ込みながら小さく呟いた決意は、夜の静寂の中に溶けて消えた。
こうして、僕の長く短かった決戦前夜は終わりを告げる。
――そして、運命の入学試験の朝がやってくる。




