第1話 月下の再会と、覚醒の刻
夜の公園は、静寂に包まれていた。
僕は家に帰る気になれず、池のほとりにある平らな石に座り込んでいた。
水面に映る月は綺麗なのに、そこに映り込む僕の姿は、ボロボロで、薄汚くて、見るに堪えない。
「……もう、ダメなのかな」
玲次の言葉が、呪いのように頭を回る。
『ゴミクズ』『生きる価値がない』。
否定したいのに、レベル9のままの現実が、それを肯定していた。
その時だった。
背後から、衣擦れの音と共に、何かが「シュバッ!」と素早く忍び寄る気配がした。
「……んっ!?」
振り返る暇もなかった。背後からガバッと抱きしめられ、首筋に熱い吐息が吹きかけられる。
「すぅぅぅ~~~~~~……はぁぁぁ……ッ♡」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
「たまりませんわ……。この少し汗ばんだ、哀愁漂うお兄ちゃんの香り……。脳髄が痺れます……っ!」
「だ、誰!?」
パニックになる僕を他所に、背中の人物は僕の首筋に顔を埋め、さらに深く深呼吸を繰り返す。
「くんか、くんか、すぅぅぅ……。お久しぶりです、碧お兄ちゃん。成分分析完了、間違いなく私の愛しの碧お兄ちゃんです」
「……え、その声、空ちゃん?」
拘束を解いてもらい、恐る恐る振り返る。
そこにいたのは、栗色の髪を揺らす美少女――幼馴染の最上空だった。
3年前、ステータスカードの開発者として抜擢され、両親と共に東京へ引っ越してしまった彼女。
最後に会った時より大人びて可愛らしくなっている。
でも、その呼吸は「ゼェ、ゼェ」と荒く、額には汗が滲み、栗色の髪も少し乱れていた。
ただならぬ様子に、僕は思わず尋ねる。
「空ちゃん、その恰好……走ってきたの? それに、どうして僕がここにいるって……」
「はぁ、はぁ……。家に帰ったら、ちょうどあのクソ兄貴がいたんですの」
空は乱れた呼吸を整えながら、憎々しげに吐き捨てた。
「あいつ、私が帰るなり『今頃、灰城のゴミなら公園で泣いてるんじゃないか、ギャハハ!』って、面白おかしく自慢話をしてきて……。それを聞いたら、私、居ても立っても居られず……家からここまで全力疾走してきましたのよ!」
「僕のために、家から走って……?」
「当たり前です! お兄ちゃんが傷ついていると思ったら、いてもたってもいられなくて……!」
空の瞳から、今にも溢れそうな大粒の涙が浮かぶ。
「……っ、うぅ……。あ、会いたかったですわ……! 碧お兄ちゃん……ッ!」
空は再び僕に抱きつくと、子供のように声を震わせた。
さっきまでの変態的な勢いはどこへやら、今の彼女は、ただの寂しがり屋の少女だった。
「ごめんなさい……。私がステータスカードなんて開発したせいで……東京なんて遠い場所に連れていかれて……。3年も……3年も、お兄ちゃん成分を摂取できないなんて……地獄でしたのよ……ッ!」
「空ちゃん……」
そうか、彼女はずっと研究で缶詰にされていたんだ。
僕がレベルが上がらず苦しんでいた間、彼女もまた、孤独と戦っていたのかもしれない。
「それに……守ってあげられなくて、ごめんなさい……ッ」
空は僕の背中に顔を埋めたまま、嗚咽交じりに謝罪した。
「あの馬鹿兄貴が……お兄ちゃんに酷いことをしているのは知っていました。それなのに、お兄ちゃんが一番苦しんでいた時に、そばにいてあげられなくて……本当に、ごめんなさい……!」
「ううん、いいんだよ。空ちゃんが悪いわけじゃない。むしろ、こうして駆けつけてくれただけで、僕は……」
僕が慰めようと背中を撫でると、空は「ズズッ」と鼻をすすり、顔を上げた。
涙で濡れた瞳には、決意の光――いや、もっとどす黒い何かが宿っていた。
「……ええ、私が泣いている場合ではありませんわね。泣くべきなのは、お兄ちゃんを食い物にしたあの兄貴の方ですわ」
空はわざとらしい咳払いを一つすると、キリッとした「真面目モード」の表情を一瞬だけ作った。
……が、すぐにデレデレとした顔に戻り、僕の手を両手で包み込んでくる。
「だ、ダメだよ空ちゃん! 離れて! 今の僕は汗臭いし、体だって爛れてて汚いんだ!」
僕は慌てて手を引っ込めようとした。 けれど、空の握力は万力のように強かった。
「汚い? 何を仰いますの? お兄ちゃんの全ては、私にとっての聖遺物ですのに」
「せ、聖遺物……?」
「それに、お兄ちゃんがレベルが上がらない件。……少し、気になるデータがあるんですの」
空の声色が、スッと低くなった。
さっきまでの涙声が嘘のように引いていく。
その瞳には、絶対零度の冷徹な光が宿っていた。
「ステータスカード、貸していただけますか?」
彼女の迫力に押され、カードを渡す。
空は懐から小型端末を取り出し、猛烈な速度でキーを叩き始めた。
「……チッ。やはりそうですのね。あのクソ兄貴、私が作ったステータスカードのプロトタイプを悪用して……」
空は舌打ちをすると、どす黒いオーラを立ち昇らせた。
「やっぱり……これ、経験値を盗んでやがりましたわ」
「え……? 経験値を、盗む?」
「はい。碧お兄ちゃんの神聖な経験値をチュウチュウと……。万死に値しますわね。いえ、死では生温い。社会的に抹殺して、一生下水道で暮らすレベルまで叩き落として差し上げませんと気が済みませんわ」
「そ、空ちゃん? 顔が怖いよ……? それに経験値を盗んでたってどういうこと?」
「説明は後です。まずは『害虫駆除』を行います」
空はにっこりと微笑むと(その目は笑っていない)、端末のエンターキーを強く叩いた。
「接続解除。ついでに、兄貴のカードには特大の『お仕置きウイルス』をプレゼントしておきましたわ。……さあ、ここからが本番です」
空がそう言った瞬間、僕の体が光に包まれた。




