背中で眠るシホと僕の苦労
僕たちが学校に着き、蓮華先生にシホを背負ったまま授業を受ける許可をもらい、三時間目の冒険科の授業中。僕はとある問題に悩まされていた。
「きゅ~……すぴ~……」
それは、未だにシホが僕の背中で眠ったままということだ。
シホは僕の背中で、鼻から小さな泡を出して寝息を漏らしている。その表情はとろけたように幸せそうで、まるで世界中の悩みから解放されたかのようだ。見ていると、少し羨ましくすら思えてしまう。
しかし、こうも長く眠り続けていると、さすがに心配になってくる。
(……まだ成長途中の段階なのかな。寝ながら僕の魔力を定期的に吸収してるみたいだし)
毎回三十分くらい経つと、シホが僕の後ろ髪をそっと口に咥え、まるでストローで飲み物を吸うように、無意識に魔力を吸い取っていく。
魔力を吸われる分には別にいい。だけど、その度に背中を指でなぞられているような感覚が起きて、思わず体がビクッと震え、恥ずかしい声が漏れてしまうのが困る。
そんなことを考えていると、いつの間にかシホに魔力を吸われてから再び三十分が経過し、また彼女に魔力を吸われることになる。
「……んっ、あっ」
僕は手で口を塞ぎ、声を出さないように我慢しても、どうしても声が漏れ出てしまった。
最初に声を漏らしてしまったとき、教室中に変な空気が流れて死ぬほど恥ずかしかった。だけど、クラスメイト全員に事情を話したら、顔を赤くしながらも「魔物を育てるのって大変なんだね」と苦笑いしつつ理解してくれた。そして、なぜか一部の男子のクラスメイトから「ありがとうごさいます!」と聞こえたような気がする。
だが、僕の声に過剰反応する人物が二人いた。蓮華先生と空ちゃんだ。
蓮華先生は黒板に書く手を止めてこちらを振り向き、鼻息を荒くしながら体をくねらせて言った。
「……あ、碧きゅん。やっぱり先生のこと誘ってるよね? ちょっと生活指導室に行こうか?」
「碧きゅんって何ですか! 碧きゅんって! それに誘ってません! いや、この声については本当に申し訳ないんですけど、授業を続けてください!」
「ちぇっ、碧きゅんのいけず。先生はこんなにも君を愛してるっていうのに……」
そして、空ちゃんは悔しそうに僕を睨みながら、拳を握り締めていた。
「くぅぅ……! こんな碧お兄ちゃんのレアボイスを聞けるイベントが発生してるのに、携帯を家に忘れてくるなんて……自分が悔しい!」
……どうして僕の人生は、こうも苦労が絶えないんだろう。
「ちょっと蓮華先生。そろそろ授業を再開してほしいんですが……、それに空もいい加減に諦めなさい。例え今携帯を持っていたとしても、授業中に携帯なんて使っちゃいけないでしょうが」
「それはそうだけど~」
雛に指摘された空ちゃんは机に顔を伏せて、ごねるように頭を左右に振った。
「空っち、雛っちの言うとおりッスよ。先生はともかく、空っちは前に碧っちのこんな似たような声を聞いたじゃないッスか。ほら、あの首輪から電気が流れるやつを試してた時」
「たしかに~、その時はにやけながら携帯で碧君の動画を撮ってた気がするの~」
千香と凛に指摘されると、空ちゃんは顔を伏せていたのをバッと上げ、大声で堂々と宣言した。
「それはそれ、これはこれですよ千香お姉様、凛お姉様! 碧お兄ちゃんが授業中の教室で顔を赤くして恥ずかしくしてるシチュエーションが最高にいいんじゃないですか!」
「僕はちっともよくないよ! 今日ほど空ちゃんが携帯を家に忘れてくれてよかったと思ったよ!」
僕は即座に反論したが、空ちゃんのキラキラした目を見て、ため息しか出なかった。
そんな僕たちを見て、蓮華先生がパチンと手を叩き、話を遮った。
「はい! 静かに! 碧きゅんが先生と生活指導室に行かないなら授業を再開します!」
「いや、そこは普通に『授業を再開します』でいいんじゃないですか……」
僕は疲れ切った声でぼやいたが、もはや蓮華先生に突っ込む元気もなかった。
定期的にシホに魔力を吸われ、蓮華先生と空ちゃんに振り回され、僕は完全に消耗していた。ただ少しでもぼーっとして疲れを癒したかったのに、その願いすら叶えられなかった。
「さて、じゃあ、話を戻して……」と、蓮華先生が明るく手を叩いて仕切り直す。
「今度のクラス合同ダンジョン探索について説明するからな。集中して聞けよ!」




