46--ストレリチア、赤いヒーロー
「ちょっと、え、何」
俺は自分にしか聞こえないくらいの声で言った。
「あーもう、無理無理、止めてくれ──あー、自分しっかりしろ、あれはそんなんじゃない。ここがクソ古いせいだ……設備のせい、そうだよな、設備だ、誰か言ってくれ、誰か……」
次に頭をよぎったのは、さっきのはどこかから吹いてきた風なんじゃないかと、いうことだった──わからない、見当もつかない。ノーアイディアだ。いや、風なのかもしれない、きっとそうだ。
そう思った瞬間、また音が聞こえてきた。俺は首を振った。
「おいおい、ブレア、お前はこれまでにモンスターとかアボミネーションに会ってきただろ。しかもいっぺん死んでる身だ。俺がどこの誰よりも幽霊みたいなもんじゃないか……あーっ、もう!」
俺は壁に耳を近づけた。もしかしたら隠し扉があって、宝石を取ったから扉が開いてしまったのかもしれない。だが、もう何も聞こえてこなかった。俺はもっと壁に耳を近づけた。
(ん?)
音がはっきりと聞こえてくる──音がしたり止まったりがわかるくらいだ……俺は石の穴ギリギリまで耳を近づけた。穴から針が突き出してきて、俺の耳を貫通するのではないかという不安もあったため、穴に直接耳をくっつけるのは避けた。万が一も考え、頬のところに手も添えた。
(誰か泣いているのか?)
「も、もしもーし?」
俺は小さな声で言った。
返答はない。だが、奇妙な息遣いの音だけが聞こえてくる。
俺はもう一度尋ねた。
「誰かいますか?」
「ついて……来て──」
「でーきたっ!」
俺は飛び上がり尻もちをついた。壁から聞こえてきたか細い声のせいか、それともフローレンスのやけにでかい声のせいか──俺の心臓が爆発寸前だ、ってこと以外はわからなかった。
俺は素早く立ち上がり壁に近付いたが、耳を近づける寸前で気づいた──もう、呼吸の音は聞こえない。宝石の穴も、さっきほど暗くないように見えた。
俺は気を取り直し、フローレンスの元へと向かった。こっちはストレリチアと一緒に後で確認すればいい。
フローレンスはあごに手を添え、なんだか困惑しているような顔をしていた。
「これ……裏切りの印じゃないの?」
ぽつりと言った瞬間、フローレンスの頭上にあるライトが光ったのが視界の片隅に映った。心臓が全速力で走り始め、俺は叫んだ──
「フローレンス!」
俺とストレリチアの声に反応し、フローレンスは顔を上げた。その瞬間、俺は白蛇宇賀をムチのようにして、フローレンスを捕まえ俺の元へ引っ張った。
フローレンスが俺のとこに飛んできたのと同時に、さっきまで立っていた場所の上から大量のガレキが落下し、そのうちの一つはまさにフローレンスが座っていた床を貫いていた。
「い、命の恩人!」
フローレンスは俺に抱きついた。
「まだ来るぞ!」
ガレキのせいで立ち上る土煙が突風と共に俺たちを襲い、壁まで押し流した。
「うッ──」
背中が壁に激突し、俺は痛みを堪えた。
「ブレア!」
細かいことは気にしていられない。フローレンスのことをガッチリとつかみ、土煙が舞う中俺はただ正面だけを見ていた。俺の目に映るのは眼前にいる敵のみ──動き出してしまった鳥男だ。短剣を一刀振り下ろした鳥男の目は、真っ赤に光っていた。
すると、土煙の向こうにオレンジ色の光が見えた。ストレリチアの炎だ。ストレリチアが燃え盛る剣を一振りすると突風が吹き、視界が開かれると、次の一振りで鳥男に斬りかかった。斬りつけられた跡に残った炎は消えることなく、メラメラと燃え続けていた。
鳥男も残った短剣でストレリチアを斬りつけようとしたが、ストレリチアは素早く避け、自分の背後に黒い羊の精霊を出現させた。ストレリチアはフレマイェルダをすぐさま召喚し、空中高くから鳥男の目を斬りつけさせた。それでも鳥男はストレリチアに向かって短剣を振り回してきたが、ストレリチアはギリギリのところで攻撃をかわした。
「あーもう、石対火なんて──勝ち目はあんのかよ!」
俺はいら立ちを露わにした。
フローレンスは戦いを見つめながら、右手で俺のシャツを握りしめて言った。
「私の『調査』が使える!」
俺はフローレンスを抱きかかえ、しっかりと立てるようにと腰を手で支えた。
「あ、きゃあ」
フローレンスは精霊道具を顔の上に出現させながら言った。精霊道具を身につけると、フローレンスのきれいなピンク色をした頬が隠れてしまう。
「あ、ありがとう……こんなとんでもない目に遭ったことなくって」
「俺たちは仲間だろ」
俺はキッパリと言い放った。
「さぁ、俺たちを助けてくれ」
「フリンジワイルドは大好きよ、でも血の通った人たちとこうしている方がずーーーーーっと良いわね」
フローレンスはそう言うと、また俺にあのヤバそうな微笑みを見せた。そして顔を正面に向け、鳥男へと焦点を合わせた。
「さぁ、あなたの弱点をお見せなさい!」
「調査」はアンサイのスキルである「分析」と同じ系統に入るものだが、まったくの同じものではない。アンサイの「分析」のようなコンピューターさながらの正確な解析は、「調査」には不可能だ。軌道のリアルタイム計算もできなければ、目に見えて起きている現象が何をもたらすのかといった予測もできない。わかりやすい違いはと言うと、「調査」では隠れているものを見つけることが可能だ。例えば、どこかおかしな部分があったり、通常あるべきではないものがあったり、といったものを見つけることができる。さっきのような隠しワナを見つけるのは「調査」にとっては朝飯前で、ついでに弱点なんかも見つけ出すことができる。アンサイのスキルを使って弱点を特定することは不可能とは言えないだろうが、アンサイの場合は探しているものが何かをきちんと知っておく必要があるし、あれこれと錯綜する情報の切り分けができない時には、入手できる情報すべてを解析しなければならないだろう。
そして、「調査」はスキルの所有者に答えを教えてくれるが、「分析」はスキルの所有者自身が結論を導かねばならない。
「床が動いてる……」
フローレンスは小さな声で言った。
「ヤバそうなヒビが入ってきてるんだけど……」
フローレンスは俺を強くつかみながら大声で叫んだ。
「ストレリチア! 首よ、首! ぶった斬っちゃいなさい!」
ストレリチアはうなずくと、鳥男を真っ直ぐに見つめた。俺も加勢しなければと思い、ストレリチアが首に近づけるような階段を牙で作り上げた。
「ストレリチア!」
俺は大声で叫んだ。
「行け! 絶対にできる!」
フレマイェルダが鳥男の胸に斬りかかると、胸に傷が深く刻まれた。その間にストレリチアは鳥男の首に向かって攻撃を仕掛けられる高さまで、牙の階段を登っていった。
「行くわよ!」
ストレリチアの声が響いた。彼女の剣はけたたましい音を上げながら、持ち主よりも大きな炎をメラメラと燃やし始めた。燃え上がる炎と共に、ストレリチアは空中で一回転した──まるで炎に操られているのかのように──ストレリチアは燃え盛る車輪の中心にいるようにすら見えた。
「スーパーヒーローじゃないの」
フローレンスから感嘆の声が漏れた。
それを聞いた俺は思わずクスリと笑った。
「間違いないよ」
ストレリチアは気合いの雄叫びを上げながら、鳥男の首めがけて燃え盛る剣を真っ逆さまに振り下ろした。
鳥男の首には炎が燃える音に呼応するかのようにメキメキとヒビが入り、修復不可能なくらいまで折れ曲がってしまった。すると鳥男は動きを止め、首からは炎が上がると、ついに頭はものすごい音と共に床に落下し、ゴロゴロと部屋の真ん中へと転がっていった。
フローレンスと俺は、鳥男の首の火が消えるまで身を寄せ合っていた。俺たちがいるところからはストレリチアがよく見える──アンサイも肩に乗ったままだ──炎の中に見えるストレリチアは息を切らしていたが、顔には笑顔を浮かべ、俺たちを上から見下ろしていた。
「おーい」
俺はストレリチアを呼んだ。
「ヒーロー様、気分はどうだ?」
ストレリチアは少しジャンプし俺を見ると、さっきよりも大きなスマイルを見せた。
「ブレア! フローレンス! やったわよ!」
ガッツポーズをしながら大声で喜びを露わにすると、肩の上に乗っているアンサイもご満悦な表情をしているのが見えた──きっとストレリチアにどう攻め込んでいくのかをご指導していたのだろう。
最高の瞬間だった。ストレリチアがほとんど一人の力であの巨大な敵を倒したのだ。新旧二体の精霊、そして自分自身の武器を使って。ストレリチアにとったらすべてが一つになった時だった。
ストレリチア、君には本当に敵わないよ。
落ち着きを取り戻してほどなく、俺は祭壇に手をかけながら言った。
「ビクともしないでまだ建ってやがる。すごいな」
フローレンスはしゃがみながら祭壇の下を探っていた。
「本当にパズルがあの鳥男を動かしたの? 仕組みが謎ね……私にわからないってことは、よっぽど深い部分に何かあるのか……」
「ああそうだ、パズルが完成したんだもんな……」
パズルを見た俺の目に、真っ先に飛び込んできたものがあった。
(待て、何だこれは?)
間違いない、これは壁にあったのと同じ記号だ。
(壁画がヒントなのか? それでパズルの意味しているものがわかるんだとしたら……壁画にはヒントがもっと隠されてるってことか?)
「ブレア! フローレンス! 見て──」
ストレリチアは鳥男の前に立ち、光の渦巻く球を指差していた。
「──トレジャー・スフィアよ! 敵を倒したボーナスだと思うの!」
「おいおい、ちょっと待った! 触っちゃダメだ! 俺たちが行くまで待ってろ!」
俺は大声を上げながらストレリチアの方へと走り出した。
「フローレンス、行くぞ!」
「あ、は、はい! 後ろついてくから!」
鳥男のところにたどり着くや否や、俺たちはそこらじゅうをくまなく調べた。せっかくトレジャー・スフィアを手に入れたというのに、ここを去ろうとした瞬間に罠か何かが発動するのだけは避けたかったからだ。フローレンスがトレジャー・スフィアに手を突っ込んでいる間、俺とストレリチアはフローレンスの近くに立ち、あちらこちらを見ていた。
フローレンスはトレジャー・スフィアから手を引き抜いた。
「きゃ! 秘宝の石板見っけ!」
そう言う彼女の手には灰色の破片が握られていた。
「最初に見つけたやつと組み合わせてみると……ほらね、短剣みたいな形になってきた……」
「よし」
俺は息を吐きながら言った。
「終わりよければすべて良し、ってやつだな……」
フローレンスは満面の笑みを浮かべ、ストレリチアも喜びがほころんでいるのが見てわかる。俺はと言うと、ほっとした気分になっていた。今見つけるべきは、次に進む場所だ。
そんなことを考えた瞬間、子供の笑い声が聞こえた。背筋がゾッとしたその直後に、数々の石が動き出した。
これに反応しないわけがない──
「やだぁ。何かが動いてる」
フローレンスはそう言いながら精霊道具を装着した。
「ど、どこ?」
ストレリチアも剣を引き抜いた。
しかし、俺たちには気づく術もなく──俺たちの立っていた床がこつぜんと消え、暗闇へと真っ逆さまに落ちていった。