31--心が暖かい……
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「はぁ……」
日が明け、時間はお昼を回った頃だろうか。俺は剣を手に、たった今倒したばかりの巨大なゾンビの腹の上に立っていた。俺は剣に「白蛇宇賀」と命名した。あのアンサイにもその名の意味はわからなかったらしい。意味を問われ、俺はかつて見た神社とそこにあった神像を思い出し、敬意を込めてそこから名前を取ったと教えた。
そんな神々しい剣を持ち、ゾンビの異様なほどに膨れ上がった腹の上に立っている──膿がそこに溜まっているのだ。
巨人の体からヴィタイがふわりと浮かび上がり、白蛇宇賀へと吸収されていくと、雨がポツポツと降り始めた。俺は空を見上げ、ため息をついた。
「死の領域でも雨は降るんだな」
「隣のゾーンでは降っとらんけどな」
アンサイはそう言うと、俺のジャケットの中へスルスルと潜り込んでいった。
フリンジワイルドの空は奇妙だ。ゾーンごとに空の様子が違う。これまでのゾーンでは様々な夜空の顔を拝めたが、今俺がいるゾーンの空には明るさはほとんどない。それでもこれまでで一番晴天に近かっただろう。アンサイが言うには、太陽の光が輝くゾーンもあるらしい。
俺は手の平を空に向かって差し出した。手の平には雨が溜まっていく。すると、俺の足元から一筋のヴィタイが森の方へ流れ込んでいっていることに気づいた。ヴィタイが流れていく方向を目で追うと、木の間から赤い頭がちらりと見えた。
「まだ俺についてきてるのか?」
ゾンビの腹からヒョイと降り、森に向かい歩き出した。
「好きにしな」
俺はボソリとつぶやいた。
「アンサイ、ヴィタイを吸収してきてるけど、俺のレベルはまだ5だよね? 溜まってきてるヴィタイはどうなるんだ?」
「今は言えん、秘密じゃ、秘密……」
「あのさ、サプライズもいいけど、別に詳しく教えてくれって言ってるんじゃないよ。無駄にならないかどうか知りたいんだ」
「次に迎え入れる精霊次第じゃ。我らの印縛処にふさわしければ、やってきたことは無駄になりゃせん」
「わかったよ」
俺は腕を伸ばして印縛処の様子をホログラム化した。俺の印縛処のシンボルの周りにはゴブラの星が回っている。少し離れたところでは、他の印縛処のシンボルが小さく浮かんでいた。これは赤い彼女のか──俺は首を振り、ホログラムを消した。
ジャケットの隙間からアンサイが顔をのぞかせた。
「お前さんもわかっとるじゃろうが、あの娘はまだついて来とる」
「ああ……彼女のしたいようにさせてあげよう」
「念のために言っておくが、あの娘のレベルは3じゃ」
「それ、低すぎるってこと?」
「今のところ、能力をうまく発揮できているとは言えんじゃろう」
そう言うとアンサイはまたジャケットの下に引っ込んだ。肩に巻き付き、俺の脇の下に顔を埋めている──アンサイには寒すぎるのだろう。とは言え、あんまりそこを気にしちゃいられない。
肩越しに向こう側を見ると、彼女が木の影に隠れているのが見えた。バレないようにと隠れているつもりらしい。俺は首を振った。
(長い一日になりそうだ)
もう随分と暗くなっていたので、俺はここで野宿することにした。焚き火を起こし、火に当たりながら木の下に腰を落とした。
「ヴィタイが温め機能を持ってなくて残念だな」
「もし火の属性を持つ精霊がいれば、暖かくはなる……マーセイドの件が終わったら、火の属性を持つ精霊を仲間にした方がいいじゃろう。この先のことも見据えて、多くの属性が揃っていた方が良い」
「そうだな……なぁ、果物を作ってくれるような精霊はいるのかな?」
「そういう精霊は多くいるが、死の領域の今の段階では無理じゃろう……」
焚き火の先を見ると、赤い彼女がいるのが見えた。雨の中、ゴツゴツと座り心地の悪そうな岩の上に座っている。
「俺たちに一日中ついて来てたね」
俺は、彼女がなんだかかわいそうな気になっていた。
「我らの後を追いかけていた精霊を倒しておったぞ」
アンサイが答えた。
「彼女、レベルアップしたのか?」
「いいや、残念ながらしとらん。ヴィタイの昇華がうまくできんようじゃ──成長のスピードに関わるというのにのう」
「人間界から離れれば離れるほど、ゾーンはキツくなっていくんだよね?」
「その通り。しかし、この者は力の消耗が最小限になるようルートを選択しておるぞ。レベル5を超えるまでは軽率な行動を取ってはならんからな」
「了解……つまり彼女は成長に手こずってて、俺たちもそれをどうにかできるようなヴィタイをすぐには手に入れられないってことか……彼女は俺が倒した精霊のヴィタイを吸収していたよね?」
「そうじゃ。お前さんが望むんじゃったら吸収できんようにすることもできるぞ。もしくは、あの娘が殺した精霊のヴィタイすら、金輪際一切手に入らんようにすることもできる。お前さんは印縛処の長じゃからな」
「だめだよ、そんな。もういろんな制限がかかってるんだから。これ以上悲惨な目に遭わせたくないだろ」
「前例なき者、わかっておいて欲しいのじゃが、お前さんとあの娘はまったくの別ものじゃ。なんたって、お前さんは異常なくらいの体力を持っとる。お前さんが湖だったら、あの娘はそこの数滴の水ってとこじゃ。お前さんぐらいに戦い、勝利の数を収めるなんてこと、彼女にはできっこないぞ」
アンサイはあれこれとしゃべっていたが、俺の頭には一言も入ってこなかった。俺はモヤモヤとした気持ちをどうにか収めようとしていたが、苛立ちが募るばかりだった。
「なんで彼女はここに来たんだ──」
そう言いかけ、俺は言葉を止めた。なんで彼女がここに来たのか──答えは彼女の目にあったじゃないか。
「前例なき者、説明が必要か?」
「いや、いい。大丈夫だ」
自暴自棄、絶望、憤り。
彼女の心を支配しているのはこんなことばかりだ。生きたいと必死になっている姿は死に物狂いそのものだった。彼女は何かを欲している──だけど、彼女の手で簡単にどうにかできることじゃない。
今日の雨はひどい。彼女の精霊にザアザアと雨が降りかかり、その姿は惨めそのものだ。俺との戦いで経験したような挫折を、彼女はこれまでどれくらい味わってきたのだろう? とんでもない決心をしていろんなものに立ち向かってきたのだろうが、彼女には越えられない壁がある──それが俺か……少しだけ、彼女に申し訳ない気がした。希望を失ってしまった人を見て楽しむ奴がいるだろうか、例えそれが彼女自身の落ち度によるものだったとしても。
俺は立ち上がり、彼女の元へと近づいた。
「何?」
彼女はそう言いながら、俺を見上げた。
「やほ。俺のとこ来て座んなよ。ここよりはマシだろ」
「遠慮して──」
「いいから来なよ」
彼女は文句ひとつ言わずに立ち上がり、俺の焚き火へと向かって走って行った。しかし、火を前にして気まずそうに立っている。それを見て俺はまた首を振り、彼女へ向かって座るようにと言った。
「この者もここに座っていいかな?」
アンサイが尋ねた。
「好きにしなよ、降ろしてあげるから」
アンサイを俺の肩から降ろし、赤い彼女を見ると、その目はまるで火の向こう側を見つめているようだった。
「そうだ」
俺はウェストポーチの中をかき回し、スマートフォンを一台取り出した。電源を入れ、彼女の顔の前に突き出した。
「あのさ、この画面に書いてある文字が読める?」
彼女は目を丸くさせた。
「何、その機械!」
「書いてることわかる?」
「わかるわよ! 人間の言葉で書いてあるもの」
「言葉の壁がなくて良かったよ。スマホ様様だな」
画面を確認しながら俺は話を続け、その後彼女に手渡した。
「ここに何冊かの本が保存してある。読みたくなったら、一時間くらい読書したらいい。良い気分転換になるよ」
アンサイもスマホをチラチラと見ていた──知識欲の塊だ、そりゃ興味津々なんだろう。俺はジャケットを脱ぎ、ぐるりと巻いて小さな巣のような形を作り、アンサイをそこに座らせた。
「なんじゃこれは?」
「寒くないように、だよ」
そう言って、俺は脇の方に座った。少し距離はあるけど、まだ木に覆われている。
彼女に渡したスマホには、地球でのあの恐ろしい生活が始まった時にダウンロードした電子書籍がたくさん入っていた。小説から取説まで──まるで小さな図書館だ。もう一つのスマホは緊急用として、役に立ちそうなアプリを入れている。とは言え、大きさや長さを測ったりするものや、サバイバル用がほとんどだけど。
彼女は困った顔で俺を見た。
「あのう……」
「タイトルをスクロールさせて、読みたいものをタップするだけだよ」
俺は答えた。
「わ、わかった……」
本当にわかったのかどうかわからなかったけど、これ以上俺にできることはない。俺は焚き火の方へ目を向けた。目を閉じると、頭を撃ち抜いたあの男の顔が浮かんでくる。
(もうやめてくれ、俺がしたことはまだマシだろ……もっとひどくて恐ろしいことが世の中には溢れていたじゃないか)
男の顔が脳裏から離れなかったので、俺は寝て忘れようとした。もしも俺に好きな時に眠れる能力があったなら、今こそが使い時だったろう。悪に手を染めたような気分が亡霊のように付きまとってきて収まらない。一睡したら忘れられるだろうか……
.....
....
...
(なんだ……やけに暖かいな)
眠りから覚めると、俺の右側に何か暖かいものが感じた……これはなんだ?
目をどうにかこじ開け、横を見ると──赤い彼女が俺の横に座っていた。アンサイはスカーフのようになり彼女の首に巻きつき、二人は一緒にスマホの画面を見ている。でもそんなことより──
(心が暖かい……)
彼女は幸せそうだった。口には少し笑みを浮かべ、懸命に文字を追っている。何を読んでいる? 一人で読めるのか? 読んでいるのは俺も好きなやつだろうか? これまで表情一つ変えやしなかったあのアンサイだって、見るからに楽しそうだった。そんなに嬉しくなるような知識を手に入れたのか? しかも彼女は、俺のジャケットの半分を自分の膝に、残りの半分は俺にかけるようにしていた……俺が寒くならないように……
(優しいじゃん……)
俺がもう一度悟られないようにチラと見ると、アンサイがしゃべり出した──思わずギクッとし、心臓発作に襲われるかと思った。
「もう一時間になるな」
うわ、まさに生きる時計だ。時間も感覚でわかるらしい。
「もうそんなに……この章はもうすぐ終わるから、そこで終わりにしない?」
赤い彼女がアンサイに聞いた。
「もちろんじゃ。数分余計に読書に費やすなんてことは問題でもない。だが気をつけねばならん、前例なき者はこの機械の持ちを気にしているようだったからな。太陽の光なしでは、この機械の体力は戻らんらしい」
「死の領域で太陽? そんな無茶な……」
「難しいのはわかっておる。太陽の属性を持つ精霊を見つけた方が良いじゃろう」
(おい、アンサイ、そんなこと聞いてないぞ。そのうちゾーンが見つかるって言ってたじゃないか。その場しのぎしただけだったんだな)
「はい、おしまい」
彼女はその章を読み終えると笑顔を見せた。
「ねぇ、とってもおもしろかったわね」
「まごうことなき。この者は人間の筆使いがここまで上達しとったとは知らなかったぞ」
「正直言うと私もよ……」
「ほれ、ここじゃ」
アンサイはボタンのあるところを頭で指した。
「この機械を止めるためには、このボタンを画面が黒くなるまで押し続けねばならん」
「こんなふうに?」
二人が電源ボタンのことでああだこうだ言っている。俺は寝直そうと決めた。
(あんなに幸せそうな彼女の顔、見たことなかったな……そっとしておこう……言葉の壁がなくて良かった……地球上の他の言語もここでは使われているのかな……どれだけの確率で出会うんだろう?)
この時ばかりは、目を閉じても恐ろしい情景が思い出されることはなかった。そんなことよりも良い夢を見ていたような気すらしていた……
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