30--死の命令
森の中にある休憩できそうなスペースでは、俺たちの焚き火がパチパチと燃えていた。焚き火を囲んだそっち側には、赤い彼女が膝を抱えて座っていた。そのマントは見るも無惨にボロボロになっていたが、それでもどうにかうまく肌を隠せるように身にまとっていた。
彼女は顎を膝にくっつけ、燃える火をただ見つめていた。履いているレギンスは随分丈夫なのだろう、膝の部分が透けることもない。真っ赤な色をしたスタイリッシュな戦闘用ブーツにしっかりとフィットし、この上ないくらいにマッチしている。彼女は幸運の持ち主なのだろう。こうやって火に当たることができ、俺たちと一緒にヴィタイも得ることができたのだから。だからなんだろうか、俺は持っていたわずかな食料を彼女にもあげようという気分にはなれずにいた。
焚き火のこっち側には俺とアンサイ、俺の頭に乗ったゴブラが火に当たっていた。
「あの男たちのことだけど、死の命令っていうのは何なんだ、アンサイ?」
「印縛処のメンバーに対して発動する最終命令だと考えれば良い。メンバーの長にあたる印縛権者が意図せずに死んでしまった場合、印縛処が所有しているものは他のメンバー全員に分け与えられぬよう設定されていたのじゃろう。お前さんが犯罪野郎と呼んでいた有望者、そいつの精霊たちは印縛処のメンバーに当たるから、その長が死んだことで一緒にあの世へと連れて行かれたことになる」
「ひどすぎやしないか? 俺には理解できないよ」
「これっぽっちも慈悲の心を持たぬか、はたまたケチなのか、何か理由があるからなのかもしれん。この者は人間のコロコロ変わる部分こそわからん。最も理性的な仮説を立てるとすれば、印縛権者は敵をこれ以上強くしたくなかった、ということじゃろうな。恐らく、やつは他の印縛処の長や影響力を持つ者と手を組んでいたのかもしれん」
「これが死の命令で設定できることなのか? もしも俺が死んだら、誰にも死んで欲しくはないな……」
「そうじゃ、これが死の命令じゃ」
アンサイの返事が俺の気持ちにズシンと響く。
「お前さんが死んだら、精霊たちや従属している有望者たちを解放するように設定することもできる。もしくは、従属している有望者ひとりに印縛権者の役割を継承することもできるぞ。印縛処のメンバー全員をお前さんが死んだところへ移動させる、なんてこともできる」
「最後のはなんかオーバーだね、でもよくわかったよ。俺のとこにいる誰もが死ぬ必要はない、ってことで……アンサイ、君の希望はある? 死の命令での希望だよ?」
「なんじゃ、突然……この者は我々のミスでメンバーが殺されることに利点を感じない。この者はお前さんと運命を共にしておるから、しょうがないがな。しかしメンバーがここから解放される代償として死を与えられるというのは、いらぬことじゃろう。つまりな、もし我々が戦いで命を落とす場合に備えて、後継者を設定しておくのが一番望ましい。戦いの真っ最中に印縛処から解放されたとて、命を落とす可能性が高いじゃろう。パーソナルゾーンに関与した者にとってはとりわけな。こういうことのためにも、後継者には我々を殺した敵から身を守る術が必要じゃ。どうじゃ?」
「よし、そうだな、メモ取っとこう……っと」
俺は焚き火の向こう側をちらりと見た。
「てことは、俺が死んでもあの子は死なないな」
「お前さんがそう設定しない限りはな」
「設定しないから大丈夫……あと他に俺が聞きたいのは──」
「あの娘がお前さんの近くにおらんでも、別にペナルティはないぞ。お前さんに反旗をひるがえすこともできんから、お前さんの思いとは裏腹に攻撃とか、まして殺すなんてことはできん。そういう制約はさておき、今は何でもできる」
「そっか、ありがとな、アンサイ」
「こんなの朝飯前じゃ。こちらこそ役に立てて嬉しいぞ」
俺は赤い彼女を呼んだ。
「あのさ」
彼女の目だけが動き、俺の視線と合わさった。
「聞いて欲しいんだけど、君が何をしようと俺は気にしないよ。極端な話、穴にいきなり飛び込んだりしちゃってもさ」
彼女はピクリと体を動かしたが、何も言わなかった。
「俺は明日の朝には移動する。俺が起きる前か後でもいいけど、好きなとこに行きなよ。とりあえず、俺はここからいなくなるってことは伝えとく」
ボソリと何か言ったようだったので、やれやれと思いながら彼女の顔を見た。すると少し大きな声で話し始めた──多分俺は彼女を怖がらせてしまったのだろう。
「私が邪魔だって言うの?」
「いや、そんなこと思ってないよ。真面目な話、君の行きたいとこに行っていいんだぜ」
俺はアンサイの方を見た。
「おい、彼女に何かあったら俺に不利なことが起こるのか?」
「もし印縛処のメンバーを失ってしまったら、印縛処の力は弱まり、ヴィタイも失ってしまう。しかし、大ダメージというわけでもない、レベル1か2くらいのダメージじゃ。彼女は有望者としてヴィタイを集めることはできるが、もしお前さんが望むのなら、彼女の集めたヴィタイはお前さんのものとできる」
「彼女の積んだ経験を俺が盗む、みたいなこと?」
「ヴィタイを集めるのを阻止することもできるぞ」
「まっさか、そんなことしないよ。ひどい目に合わせるなんて」
「お前さんがそうするとはこの者は思っとらん」
「はいはい。今の話聞いてたよね?」
俺は彼女に尋ねた。
彼女は何も言わずうなずいた。
「何もペナルティはないね。どうやったら彼女がチャレンジしたり、パーソナルゾーンを使えるようになる?」
「精霊を捕まえるのにゾーンを開くことはできるぞ。捕まえたり仲間にした精霊はどんなやつでも彼女に従うが、お前さんを攻撃することはできん。あと、彼女の印縛処に有望者を招くこともできん」
「おお、問題なんかないじゃん。何もできないってことじゃないんだな」
「それと、彼女はもう印縛権者ではないからな、挑戦のゾーンを開くことはできん」
「いいじゃん。もうあんなバカみたいな挑戦する必要ないってことだろ……あとは何かあるのか、アンサイ?」
「ありがたいことにもう挑戦する権利がなくなってしまったからな、有望者は彼女に主権争いの挑戦を宣告できんし、挑戦のゾーンに彼女を閉じ込めることもできん」
「マジで? それって最高じゃん! これで戦わずに逃げることができるってことか」
「そうじゃが、喜ぶにはまだ早い。お前さんが何かのパーソナルゾーンに捕まってしまった時、彼女が近くにいたら、一緒に囚われてしまうんじゃ。彼女の運命は印縛処の主に依っているから、最悪の場合、彼女は降参もできん。もしもゾーンが非常に大きく、二人が離れ離れになってしまうことがあれば、彼女は命を落としてもおかしくない」
「うわ、それは痛いな」
「そうじゃ、だからあえて伝えておくぞ。彼女はすでに一度死を免れておる──二度目はない。こういう仕組みがあるからこそ、敵にヴィタイを盗まれたり、印縛権者のやってきたことを無駄にするようなことは起きんようになっとる。彼女のような人間は、印縛権者に世話をかけることなく息絶える運命にあるのじゃ」
「何だよ、厳しすぎだろ……まぁいい、とりあえずはわかったよ」
俺は再び彼女の方を見た。
「さっき言ったように、俺は君が何をしようと知ったこっちゃない。だけど、何がしたいのかってよく考えてみて欲しい」
そう言い、俺は焚き火を背にしてゴロリとなった。煮え切らない思いに苛立ちを感じてもいた。
「前例なき者」
俺の鼻先に顔を寄せたアンサイがささやいた。
「お前さんの心は乱れとる。お前さんが望むなら、お前さんが眠っている間にあの娘に何かアドバイスをしてやることもできるぞ」
「君がやるってのか? 君が?」
「喜んでやるとも。お前さんにように、この者だって今さっき従属することになった者に何が起ころうと気にもしないが、それでもあの娘は我々の印縛処の仲間じゃからな。たったそれだけのことじゃが、あの娘が生き延びる確率を高める手助けは施してやるつもりじゃ」
「てことは、ルールに従って……」
「あの娘が死ぬのは避けたい。第一のレベルの壁を破る前に、レベルが失われてしまうかもしれんからな」
「え、そこ? 冷たくないか、アンサイ……」
「冷酷ではない。この者は現実的で理性的なだけじゃ」
「そうだね……ともかくありがとう。彼女と話してやって……」
「よかろう。お前さんもこの先どうしたらいいのかわからなくなったら、この者はいつだって指導する準備はできておる。なぜそのようにするのが正しいのか、レクチャーもつけてやろう」
俺は自然と少し笑った。
「ああ、もし俺のヘマを超冷徹に理性分析して欲しい時には、絶対に頼むよ」
「もちろんじゃ」
アンサイはスルスルと彼女の方へ消えていった。俺の心の中にはわだかまりが消えずに残っていた。男の顔が思い出される──ケダモノ野郎の顔だ。
(やってしまったんだ……俺は腹をくくったつもりだったけど、事が済んだ今、事実だけが消えずに残っている……そこから逃げ出すことなんかはできやしない)
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