76 放火魔
俺が向かったのは1年生教室群へ繋がる通路。玄関にあった消化器を使ってなんとか前に進んだ。
「…こういう2択…ほんと外すなぁ。」
結果、どの教室を探しても春風の姿は見つけられなかった。さらに追い打ちをかけるように、1年生の教室群は特に煙がひどく低姿勢で歩くにも限界があった。完全なる無駄足。これでは先生にさらなる迷惑をかけてしまうことになる。
「あーもう。」
俺は仰向けになり大の字になる。天井は若干の赤みを帯びており、今にも落ちてきそうだ。
「せっかく12年間…全力で生きてきたのにな。」
今まであったことが走馬灯のように頭によぎる。そもそも何で今日火事になるんだよ。俺の記憶ではそんなのないぞ。学校は今でもピンピンしていたはずだ。
「神様が与えてくれた束の間のチャンス…。ここまでサッカーさせてもらえたことだけでも感謝しないとな。」
俺は生きるのを諦めた。
「冷静さを欠いたな。」
消化器で消した炎も再熱し、俺も玄関に戻れなくなった。炎によって完全に四面楚歌。さらに煙にも覆われている。加えて俺にはもう動く気力もほとんど残っていなかった。
「考えてみれば、俺が出しゃばる場面でもなかったな。」
消防車だってきっとすぐに駆けつけるだろう。大人しく救助を待っていればよかったんだ。
「どうして…助けに向かっちゃったんだろうな。」
気づいた時には体が動き出していた。
前世では齢60…。何人か周りの人間が亡くなっていく瞬間を目の当たりにもしていた。だからこそ…人を失う悲しさ、虚しさ、悔しさには…子供以上に敏感だった。純粋に、死んでほしくないと思った。
「はぁ…。」
考えれば考えるほど、悔しさが込み上げてくる。俺はまだこの人生で何もできていない。中学で活躍することも…高校サッカーで優勝することも…ワールドカップの舞台に選手として帰ることも…何もできていない。
「悔しいなぁ…。」
俺はこの時…この人生で初めて泣いた。
心の底からくる恐怖でもなく、たった1人この四面楚歌の状況に置かれた寂しさでもない。自分に対して…何もできなかったことに対して…怒りと悔しさが沸々と込み上げてくるのだ。
「まだ…やれるかな。」
俺は疲労でほとんど力が入らない手足に、なんとか力を入れる。
「どうせ死ぬんなら…足掻いてやる。」
俺は四つん這いの姿勢になり、ゆっくりと元来た道を戻る。何度も頭から地面に崩れそうになりながら、なんとか炎を避けて進む。
「時間はない。きっともう…ここは焼け落ちてしまう。」
それでもいい。俺は信長みたいに、追い詰められて自殺するような真似はしない。1人でも…四面楚歌でも、必死に、格好悪く、雑草魂見せつけて…
「運命困らせて死んでやる。」
相変わらず、切羽詰まった時はよく動く口だ。誰もいないからって、誰も見てないからって…カッコつけやがって。
「はぁ…はぁ…。」
玄関が見える十字路…その手前まで戻ってきた。この再熱した壁をなんとか消化しないといけない。
「もう…なんでこんな硬いんだよ…!」
全身に力が入らない状態で、消化器の栓を捻るのは本当に辛かった。嫌でも大きな声が出てしまうほどに。
「あぁぁぁ…っ!」
なんとか全体重をかけることで、消化器から白い煙が噴射される。そしてしばらくして、道の一部の炎が消えた。しかし、それと同時に消化器の中身が空っぽになってしまったようだ。
「マジかよ…。」
本気の絶望。最後の命綱が無くなった気分だ。ここからは本当に…命綱なしのぶっつけ本番。
「武道館…!」
なんとか十字路まで戻ってきた俺は、外した2択目…武道館へ続く道へと向かった。
「だから…なんで助けに行こうとするんだよ。」
口はそう言いながらも、やはり体は春風を助けようと自然と動く。リスクなんて承知の上だ。俺だけ今更助かっても意味がないんだ。俺はわがままで、貪欲で…何もかもを成し遂げたい。荒唐無稽のドリーマーらしいからな。
「…いた。」
しばらく進んだところで、ぐったりとドアにもたれかかる春風の姿を見つけた。
「息は…してるよな?」
どうやら煙の吸い過ぎで気絶してしまっているようだ。この量の煙が漂う空間にいるため、仕方がないだろう。命があっただけ奇跡だ。
「…問題は、俺が春風を抱えて元来た道を戻れるかってところだ。」
なんとか春風を抱え、運命の十字路へ向かおうと立ち上がった瞬間…天井が轟音を立てて崩れ落ちた。
「…な…っ。」
俺は言葉を失い、声を失った。絶望…とはこのことである。完全に退路を断たれてしまった。それだけではない。崩れ落ちる天井はゆっくりとこちら側に向かってきており、俺と春風は完全に追い詰められてしまったのだ。
「…それは…無理だ…。」
立っていることさえやっとだった俺は、春風を背中に抱えたまんまその場に崩れ落ちる。
「クソ…っ!」
武道館への通路には、外につながる扉がある。しかしながら、鉄製でかなり頑丈であり、金属チェーンでガッチリとロックがかかっている。俺はその扉に目をつけた。というより、ここしか退路はないと考えた。
「こんなことなら…消化器持ってこればよかった!」
鉄製の扉には窓がついていた。これを破ることさえできれば、おそらく子供一人分外に出る隙間ができる。
そう考えた俺はガラス窓に全力で殴りかかった。しかし、一筋縄で壊れるほど脆くはない。
「…かってぇな。」
赤くなりジンジンと痛む拳。しかし俺は何度もその拳を扉に叩きつけた。
「クソ…!」
迫り来る炎。拳じゃ割れないと悟った俺は、少し高い位置の窓に、空手で学んだ蹴りを突き込んだ。サッカーで鍛えた脚力と、洗練された武道の技が功を奏し、窓が大きな音を立てて割れた。
「早く…!」
喜ぶ暇もなく、俺はすぐさまその隙間から春風を外に出した。そしてその後、俺自身も外に出る。それとほぼ同時に、俺たちが元いた場所の天井が完全に崩れ落ち、割れた窓からは大量の炎が吹き出した。
「…よかった…春風が軽くって。」
俺たちは武道館の窓を破って外に出たため、正面玄関とは真逆…後者の裏側へと出たわけだが…外に出て仕舞えばあとは校舎から離れるのみ。先生たちも心配しているだろうし、早く戻って無事を報告したい。
「…フヒ…フヒヒヒ…フヒヒヒヒヒヒ…ッ!!」
一刻も争う状況…どこからともなく聞こえてきた声の主は、燃え盛る校舎に向かって両手を掲げていた。
「…なんだ…?」
切羽詰まっている状況で、奇妙な存在を見かけて仕舞えば自ずと警戒心が増す。
「…燃えろ燃えろ燃えろ…っ!こんな学校…燃えて消えちまえば良いんだぁ…っ!」
全身黒ずくめの男は、燃え盛る校舎に向かって両手を掲げており、まるでこの大災害を喜んでいるようにすら見えた。
「あの人…まさか…。」
ふと、体育館から教室へ戻る途中に聞こえた、クラスメイトの会話を思い出した。何やら黒い人が校舎裏へ向かっていった…そんな風な会話が耳に新しい。
「…放火魔。」
俺がそう小さく呟いたところで、男の動きがピタリと止まった。そして顔だけゆっくりとこちらを向く。その顔は笑っておらず、目も充血しており、どこか様子がおかしかった。
「…あれぇ?君たち、誰?」
ゆっくり近づいてくる男。俺は相手を煽らないように慎重に会話を進めた。
「…いや、学校が燃えちゃいまして。今なんとか避難しているところなんです。お兄さんも早く逃げたほうがいいですよ。」
俺はそう言って、春風を抱えてすぐにその場をさろうとした。しかし、その男はゆっくりと語り始めた。
「逃げる?なぜ?俺が…?」
男はその場で突然笑い出し、天を仰いで言葉を紡ぐ。
「俺はこの学校と一緒に燃えるんだっ…!誰にも邪魔させねぇ…供養してやる…っ!」
供養…?
何言ってるんだこの人は?
「…ていうか、お前さぁ…俺の姿見ておいて、簡単に逃げられると思ってんの?」
逃げようとする俺の腕を掴んだ男。その力は尋常じゃなく強く、加減を一切知らないようだった。
「俺の姿を見たんだから…死刑だ。」
男がそう言った瞬間、右手からなんの前触れもなく鋭いナイフが振るわれた。男は無表情でこちらを見ている。
「っぶねぇ…。」
ギリギリで交わした俺は、この場を何事もなく乗り越えることは不可能だと考えて、一度春風を近くに下ろした。
「へぇ…君さぁ…ここの生徒でしょ?もしかして卒業生?」
男は笑いながら尋ねてくる。
「何人かついでに燃やせればラッキーって思ってたけど…お前みたいな目をして簡単に逃げ出す奴を1番殺したかったんだ…っ!」
素早く振るわれるナイフ。俺が武道をやっていなかったらすでに死んでいるだろう。
「…あなたが放火を?」
「何を今更…!そう言ってるじゃねぇか!」
男は錯乱しているようでありながら、受け答えはハッキリしており、状態がよくわからない。
「このクソみてぇな学校と…幸せそうな顔で卒業するクソガキどもが…燃えつきりゃ俺はそれが良いんだよぉ…っ!」
男はメチャクチャにナイフを振り回しながら俺の方へと走り寄ってきた。
「俺はこの学校と一緒に死んでやるんだよぉ!こんなことしておいて捕まりでもしたら…どんな地獄が待ってるか…。」
そこで男はまたも動きを止めて、こちらをギロリと見た。
「あ、うん…いいんじゃない!?」
独り言で何かを呟き始める。
「お前を…この事件の犯人にすれば良い!」
メチャクチャなことを…。
「そうだ!お前はこの学校に恨みを持っていた!だから卒業式に幸せなガキどもを全員燃やし尽くしてやろうと考えた!」
急にそんなシナリオを作る男。
まさしくそれはこの男の現在の姿ではなかろうか。
「さぁ…大人しくしなよ。僕のゆうこと聞かないなら…殺すよ?」
そう言ってナイフを前に突き出す男。どうやらその短いナイフ如きで俺を脅そうとしている。だが、勘違いしているようだが、そんな果物ナイフ程度では鍛え上げられた筋肉は削ぎ落とせない。
「なんだ?ビビったのか?」
奇妙な笑い声をあげる男。もちろん、俺は一切の恐怖を感じていない。果物ナイフ程度、拳とそこまで変わらない。うちのじいちゃんの拳は早すぎて物が切れるから、むしろじいちゃんの方が怖い。
「ほらほら…どうしたっ!?」
自分の立場が優位だと感じたのか、男の態度はさらに大きくなり、俺を挑発する。きっと恐れているのだと勘違いしているのだろう。
「…こっちは疲れてんだぞ。」
俺は小さく呟いて、空手の基本の型…正拳突きを男の鳩尾にぶち込んだ。




