71 完全領域
静寂に包まれたフィールドに、甲高い笛の音が鳴り響いた。試合終了の合図である。同時に俺の元に、日本代表の選手達が駆け寄ってきた。
「おいおいマジかよお前…っ!?」
「…あのバックパス…わざと?」
成宮に宵越、他の選手達も俺のゴールを讃えると同時に驚愕の声を漏らしていた。それはもちろん日本代表の選手だけではなく、フランスの選手達も同様。何が起きたのか状況の理解が追いついていない様子だった。
「…すいません。自分でも整理がついてなくて…」
いつも澄ました表情で答える俺の珍しい反応に、チームメイトが皆首を傾げた。
「ま、なんにせよ…ナイスシュートには変わりない。」
金沢が拍手をしながら歩み寄ってきた。
「俺へのスピードの遅いパスに関しては、少し問い詰めたいところだがな。」
笑いながらそんなことを呟く金沢。流石にバレていたようだ。
「俺へのパスもなんか…雑だった。結果ゴールに繋がったけど。」
その違和感はやはり宵越も感じていたようだ。しかしながら、その違和感の正体がなんなのか…正直俺も今はまだわからない。
「すいません。もう少し自己分析を…」
俺の言葉を遮って金沢が手を鳴らす。どうやらコートの中心にはすでにフランスの選手達が集まっているようだった。
「まぁ今は挨拶が先だな。ほら、行くぞお前達。」
「「はい!」」
そして両チームコートの中心に並び、挨拶を交わした。すれ違う一瞬で、フランス代表の選手達の顔色を伺う。引き分けでありながら、喜びは感じられなかった。リーグではダントツのトップなのに。結局、黒星がゼロの記録は途絶えていない。
「ナイスプレー…巡。」
エネミはすれ違いざまにそう言葉を投げかけ、俺の肩を叩いた。
「ありがとうございました。」
「次は絶対勝つ。もっと上手くなって待ってやがれ。」
頭を下げる俺をみて、満面の笑みでそう呟いてチームのベンチへと戻っていった。そして最後に、エースのシルヴァンが俺の手を握った。
「次は絶対勝つ…。」
「それ、エネミも言ってましたよ。」
やはり同じ思考を持つ仲間のようだ。その闘争心と向上心があれば、この2人はいくらでも上手くなることができるだろう。互いに高め合っていけることだろう。
「…だろうな。」
エネミと同じように笑って去っていく。その後ろ姿は1ヶ月前に見たどこか寂しいものとは打って変わって、活力に溢れていた。
「…楽しみだな。」
俺は自然にそう呟いていた。
ーー
帰国は明後日。今日はスタジアムにおいて行われる、名門クラブ同士の試合を観戦しにきていた。この遠征の最後のカリキュラムである。
「すごい人だな…。」
俺はあまりの観客の数に驚き、声を漏らした。
「フランスの中で最も多い観客動員数を誇っているのがこのスタジアム…『スタッド・ドゥ・フランス』だからな。」
試合観戦においてはやはりこの人…水沢さんだ。実際プレイしているところあまり見たことないけど、解説は的確で非常にわかりやすい。
「それに、俺たちは中々に運がいい。よりによってこの2チームの試合をこのスタジアムで観戦できるなんて。」
ナイターで行われる試合。対戦する2チームは現在リーグ1位を独走する『パリ・セイン・メルマン』と、その背中を追いかける2位の『モナコ』。1位、2位の対戦とあって、その注目は凄まじいものだった。
「あんまり『リーグ・アン』に詳しくないですけど、1位のチームはそれほどまでに独走なんですか?」
リーグ・アンというのはフランスリーグのことである。あまりの独走状態の場合、リーグ途中で優勝が決まってしまうこともあり、サポーター的にはあまり面白くない。
「あぁ。1位のパリ・セイン・メルマンは圧倒的なタレント集団でな。特に、10番…17歳の若き神童…『ディミトリ』は異次元の天才…。」
10番の選手。おそらく俺やシルヴァンと同様の中盤のプレイヤーだろう。ディミトリは他の選手達がポジションについて準備運動等で体を慣らす中、静かにスタジアムの電光掲示板を眺めていた。
「あんまりにイケメンすぎて、女性には大人気だそうだ。」
確かに、風に漂う髪と見え隠れする美しい瞳が目立つ。日本人にはいないタイプの美男子であろう。
「その情報必要なんですか…?」
「あぁ。なんか悔しいだろ?」
意外と自我を持ってるんだな…水沢さん。
そんな水沢さんを置いていくように、長い長い試合開始のホイッスルが鳴り響いた。キックオフはモナコから。
「『モナコ』にはベテラン選手が何人もいる。もちろん優秀な若手もな。」
素早いパス回しから、一気にパリ陣内へと侵入するモナコ。チームとして綺麗に連動しており、安定して勝利できるチームだという感想だ。
「それにモナコには日本人の選手だっている。代表でも有名な『小森』選手だな。」
水沢の言葉と同時に、フォワードに位置するその小森選手へとボールが渡った。非常に美しいトラップから、すぐにシュートを打てる位置へボールを動かす。
「彼の持ち味は代表でも重宝する『シュート』だな。コントロールは最低限ありつつ、見てる側が気持ち良くなるほどに豪快なシュートを放ってくれる。」
そして小森選手が素早い足の振りから、水沢の言うような豪快なシュートを放った。しかし、惜しくもポストに直撃。しかしながらその威力の高さからボールは大きく跳ねてパリ陣内の中盤…ちょうどディミトリが立っている位置まで跳ねた。
「…惜しい…と同時にピンチだな。」
確かにエースのディミトリにボールが渡ってしまったが、この位置からではまだピンチ…というほどではないように思う。しかし、俺の想像は一瞬にして覆った。
「あの位置はすでに…」
水沢のメガネが光る。
「奴の領域だ。」
ディミトリがボールを持った瞬間、ものすごい力で地面を蹴った。そしてそのスピードで簡単にモナコディフェンスの1人を抜き去ってしまう。
「はや…。」
俺はその技術と速さに感嘆した。そしてすぐさまもう一枚のディフェンスを剥がす。
観客席から見ている俺でもわかる。ディミトリは間違いなくドリブラーだろう。
「奴の持ち味はドリブルだけでない。」
後方、前方…4人に囲まれたディミトリは、細かいタッチで相手を揺さぶると、一瞬生まれた隙にディフェンスの股を通して味方フォワードへとスルーパスを繰り出した。
「奴のパスは常軌を逸している。」
まるでパスの天才、イニエスタやトニ・クロースをも彷彿とさせるスルーパスが通る。囲まれていて完全に前方が見えていなかったはずだ。なのにどうして通せたのか。…ドリブラーではないのか?
「そして恐ろしいのはまだまだこれから。」
水沢のメガネは光を放ち続ける。
コートの中では、ディミトリからパスを受けたフォワードの選手がキーパーとほぼ一対一の状態だった。そしてディフェンスのプレスに合い、倒れ込みながらシュートを打った。
「外れる…。」
俺の予想通り、ポストに当たったボールは跳ね返り、偶然か必然か…またもディミトリのいる位置へと飛んでいく。
「神にでも愛されてるのか…?」
俺はたまらずそう言葉にした。まるで測ったかのようにその位置にいつもいるディミトリ。セカンドボールの悪魔とでも称するべきだろうか。もちろん、ディフェンスの選手は先ほどのフォワードの選手達に気を取られており、誰もマークについていない。
「あぁ。間違いないだろうな。」
ディミトリは明らかにシュートフォームを作っていた。ディフェンスが周囲にいないため、トラップする余裕があるはずだが…。そんなことする必要もないほど奴の頭の中にはゴールの選択肢が溢れているのだろうか。
「奴のシュートは…異次元の威力を持つ。」
明らかにトラップを挟んだ方が確実にコントロールできるセカンドボールをまさかのノートラップでダイレクトボレー。簡単ではないシュートだ。だが、水沢が言ったように、そのシュートは無回転でゴールへと向かっていき、瞬く間にゴールネットを揺らしてしまった。
「シュートも上手いんですね…。」
FW並みの決定力も兼ね備える。他のチームのエースストライカーと同等の決定力も持ち合わせ、非常に強力なフィニッシャーにもなり得る…。
「あぁ。奴には常識が通じない。」
そこまで喜ぶそぶりもなく、簡単に観客に手を振るディミトリ。まるで決めて当たり前かのような仕草。
「本来、選手は何か一つ…すごいと言われる要素を持っている。シュートの上手い選手、ドリブルの上手い選手、パスの上手い選手…。もちろんその一つ以外の二つも一流以上に上手いのは当たり前。だが、奴は違う。」
静かにポジションに戻ると、また落ち着いて電光掲示板を眺めるディミトリ。何を考えているのかわからない。
「奴にはどのプレイが上手いという特徴が一切ない。もちろんそれは下手というわけではない。」
試合再開のホイッスルがなる。
「ディミトリはあらゆるプレイにおいて、一流を超え、超一流。だから突出して取り上げるべきプレイが存在しない。」
そんな中、なぜかコート上のディミトリと目が合った気がした。ディミトリは少しだけ微笑んですぐにボールへと視線を戻す。
「それがディミトリ・ベルナール…通称…『完全領域』。」
17歳にして、全てのプレイでゾーンという極地への扉を切り開いた天才。俺はその異次元のプレイを90分間目に焼き付けることとなった。




