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リ・ボール  作者: よもや
2章 海外遠征編
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68 極限の集中

『監督、ドリブルってのは…』


その男は日本人で初めて欧州超ビッグクラブで得点王になった男。彼の持ち味はドリブルであり、ペナルティエリア付近で彼を止められるディフェンスは世界のどこを探してもいなかった。


『重要なのは、晒しと…隠し…。この2つを使い分けるのが大事なんですよ。』


晒しと隠し…。それはプレスをかけている選手に対してボールを取られる位置に置くか、もしくはボールを絶対に取られない位置に置くか…その違いである。


『ボールを晒す場合、相手の食いつきに合わせて体を入れ替えカウンターを狙います。』


そう言ってその男は、足を伸ばしてきたディフェンスが完全にボールを取れると確信したタイミングで足の裏を使ってボールを引き、自分の足元へと戻した。当然ディフェンスは100の力を出して奪いに行っているため逆への切り返しにはついていけない。


『次に隠しですけど、これは相手から絶対にボールを取られたくない時に使います。』


男は、ボールを奪いに来たディフェンスに対して腕を伸ばし、体と体の間にスペースを作った。同時に、そのプレスとは真逆の方向の足の先でボールを扱い、どう足掻いてもディフェンスがボールを奪えないようポジションとボールの位置を調整する。


『理論的には、これをされるとディフェンスはファウル以外でボールを取れません。なぜなら後ろに下がれば一生この体勢を続けられるからです。もちろん一対一であればね。』


俺は男の言葉をメモする。とはいえ、これくらいの基礎知識であればすでに知っている。俺が知りたいのは…俺がお前から盗みたい技術は…


『基本的にはこの二つを使い分けるんです。前に進む必要があるなら、初めに言った晒すドリブルは不可欠になります。当然取られるリスクはあるということですね。』


そう言ってその男は3人のディフェンスを抜き切り、ペナルティエリアの少し外側まで辿り着いた。


『でもたとえばこの位置…すでにシュートレンジに入っているんです。ここでわざわざボールを晒す必要はない。どちらかといえば、隠すドリブルで打てるタイミングを探すんです。』


男はボールを後方にずらし、ディフェンスから届かない位置で扱った。そして、一瞬の隙から右足を振り抜き、シュートを放った。


『ポイントは抜き切ろうとしないことです。目的はドリブルじゃなくてゴールですから。』


シュートはゴール右隅に決まった。ここまで流れるような動作だったが、簡単に見えて簡単にできるものではないはずだ。これが世界トップクラスのFWのプレイか。


『とはいえ、これは世界各国にいるトッププレイヤー達の多くが得意とする形で、代表レベルであれば誰もが意識していることです。僕だけのスキルじゃない。』


男はそう言って笑った。


『残念ですが監督、僕がお教えできるのはここまでです。これ以上は練習じゃあ見せられない。』


ボールを持って俺の元へ歩いてくる。


『いやいや、見せたいのは山々なんですけど…試合中に無意識的にやってることなんで…言語化もできなければ、意識的に行うこともできないんですよ。』


困ったような顔で男は呟いた。


『サッカー未経験でありながら代表監督まで上り詰めた敏腕監督の仁界さんなら…この理論がわかるんじゃないかなって思ったんですけど…』


そんな前世の記憶が蘇る。あの時…奴は一体何をしていた?ドリブルで相手を抜き去るために…試合と練習では何が違う?プレイヤーとなった今…俺の頭の中でその答えにかかるモヤがゆっくりと晴れていく。


ーー


俺はできるだけ前進方向のベクトルを保ったまま、右斜め前へと大きく蹴り出した。


「おっ?スピード勝負か?」


シルヴァンがつぶやいてついてくる。

確かに、この状況を打開する1つの方法はスピードで抜き去ることだ。対面するディフェンスの重心を左右どちらかに移して、その真逆に一気に加速する。後ろを向くこと、そして重心を反転させることが必要なディフェンス側は反応が遅れるため、ドリブラーの足の速さによってはディフェンス側は追いつけない。


「一対一ならまだしも、こっちにはディフェンスが5人、今俺をカバーできるやつが2人もいるんだぜ?それは無理だろ?」


その通り。全くもってその通り。加えて俺はシルヴァンより少し足が遅い。つまり、下手にボールから離れる…つまりボールを晒しすぎた場合、体を入れられて簡単に奪われてしまうわけだ。


「クソ!仁界の野郎!」


成宮の声が聞こえる。でも安心して欲しい。簡単にボールを奪わせるようなマネはしない。俺が無理矢理にでも後方のディフェンスラインに近づいたのには意味がある。


「あぁ…確かに、これを再現するのは難しいな。」


感覚の領域…言葉にするのは難しい。

味方プレイヤーの位置、敵ディフェンスの位置、その全てを寸分違わぬ精度で把握していることが必須になる。


「でも見えると…怖いくらいだ。」


さらには、敵ディフェンスの足がどこまで伸びるのか、触れてくるギリギリの位置に常にボールを置き続け、かつスピードも失ってはならない。体を入れられるほどボールを足元から離してもいけない。


「何をごちゃごちゃ…なっ!?」


でもそれら全てを理解し、ベースより少しだけ高い精度で常時頭を回転させられるようになった時…見えるんだ。あぁわかったぞ。俺はあの時、あいつが、あの男が言っていた言葉をそのまま受け取った。


『なんかこう…見えるんですよ。』


男は不思議そうにつぶやいた。


『道が。』


俺は右足のアウトサイドでボールを80センチほど足元から離れさせる。その晒しに食いついたサイドバックの選手が足を伸ばしてボールを取りに来た。俺はその瞬間を見計らってボールを引いて、自分の足元へと戻す。


「まずい…。お前ら離れろっ!」


さすがはシルヴァン、反応が早い。でも、もう遅い。俺はそのまま、足を伸ばしていたサイドバックの選手の股を通し、右サイド側のスペースへとボールを蹴り出した。


「マルタン、ジェスタ…っ!すぐ後方に下がれ!もうパスは来ない!オフサイドも気にするな!早く下がれ…っ!」


シルヴァンの指示に従って、センターバックの2人が一気にラインを下げた。対する俺は、サイドのスペースに一気に抜け出した。この時、シルヴァンは、足を出してきたサイドバックの選手がつっかえになっており、俺を追うことができなかった。


「ディフェンスが複数人いる場合でのみ…使える技もあるわけだな。」


俺は1人呟いて、左足のアウトサイドで中に切り込んだ。ディフェンスはセンターバックの2枚。ここまでラインを下げてくることも想定済み。俺にはすでに道が見えていた。


「ここからは隠しのドリブルってわけだ。」


俺は瞬間ボールを隠し、センターバックの2人の動きを止める。抜き切る必要はない。すでにペナルティエリアから少し離れた位置。もうシュートレンジだ。そしておそらく…


「ヘイ!仁界!」


案の定、センターバック2人の間から顔を出して抜け出した成宮。オフサイドギリギリでパスを要求。その動きに合わせて俺は静止状態から、50センチほど右にボールをずらした。この状況の張り詰めたディフェンスは、この小さな動きだけで反応してしまうものだ。


「ナイス成宮さん。」


成宮へのパスを警戒し、わずかにゴール側へとズレたセンターバックの1人。俺はその間に見えたわずかな隙間へと左アウトサイドでタッチ。


「違う…!逆だ!」


…すると見せかけ、ゴールへとさらに前進。隠すドリブルから晒すドリブル。センターバックの選手はその違いに非常に敏感だ。だからこそ、確実に今のフェイントに引っ掛かると踏んでいた。


「あと1人。」


あとはゴールキーパーとセンターバック1人を残すのみ。今打てばおそらくセンターバックの選手の足に当たるだろう。だからと言って、右側にかわせばおそらくコースが潰されて行き場を失う。だからなんとしてでも内側…左側へと抜け出す必要があった。


「ジェスタ!遅らせろ!」


シルヴァンの指示が飛ぶ。だが、俺は待たない。すぐにシュートフォームに入る。この状況…ゴールを後方に構えたディフェンスに対して、シュートを打つということは、頭に拳銃を突きつけてトリガー引くという行為に違わない。だから確実に引っ掛かる。


「フェイントだ。」


シュートを打つと踏んで、思いっきりスライディングを仕掛けてきたセンターバック。俺はその上を軽々通り過ぎた。


「…させるかよ…っ!」


完全にキーパーと一対一…選手達全員が息を呑む。シルヴァンが後方から迫り来る。今スライディングで詰められると、おそらくこのボールに届いてしまう。だから着地する暇なんてない。


俺は着地するより早く飛び越えた状態から、空中でボールを足に当てる。


「マジか…。」


成宮が言葉を飲み込んだ。


「クソっ!」


シルヴァンが悔しさに塗れた言葉を放つ。


「あぁ…これが…」


そして俺は…監督時代、俺にこの景色について話してくれた選手のことを思い出していた。極限まで集中して、試合と全く同じ状態でもできるかわからない。針の穴に糸を通すようなドリブル…。それを可能にする観察眼と運動神経…。


「やった。」


ここまで毎日欠かさず努力してきた。

生まれてからずっと…ずっとボールに触れてきた。だから何も怖くなかった。失敗なんてありえない。緊張もしない。息も落ち着いているし、心拍もいつも通り。でも今は…今だけは…


劇的なシュートがゴールネットを揺らした。


同時に、俺の鼓動が少しだけ速くなった。

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