7 ライバル
それから2試合をこなし、トレセンの1日目が終了した。俺たちが所属する青チームの戦績は3戦3勝。俺は計4点を決めた。
「じゃあ今日のトレセンは終了。また明日よろしくね。それじゃあ挨拶。」
渡辺コーチが適当に選手を選んで終了の挨拶をさせる。
「「ありがとうございました…!」」
皆で頭を下げると、ゆるゆる集団が解散していった。俺もその流れに乗ってバックを置いていた階段の方へ向かって歩く。
「巡!」
「うぉ…。」
完全に気を抜いていた俺の背中にバチンッと強い衝撃が走る。振り向くと、そこには初めの試合で拳をかわした戦友『小岩井 夏波』が笑っていた。
「なんだ夏波か。びっくりさせないでよ。」
「なんだとはなんだ!せっかく僕の方から別れの挨拶しにきてやったのに!」
夏波はそう言ってプンプンと頬を膨らませる。こういう反応を見ていると、さっきまであんなに熱い試合をしていた相手とは思えないな。
「別れって、あと2日あるだろ?」
「あー僕、残りの2日は来られないんだ。家の事情でね。」
夏波はそう言って少し寂しそうに、誰もいなくなった練習終わりのグラウンドを見つめる。先ほどまであのコートでは燃えてしまうくらいの熱い戦いが繰り広げられていた。しかし今はそのグラウンドには誰もおらず、ただ寒々しい夜の風が軽い砂を吹き上げるのみ…。
「ま、僕レベルになると1日だけで地区トレくらいなら受かっちゃうんだよね。名前も知られてるし。」
「有名人みたいだよね夏波は。」
俺と夏波は同じ場所でソックスを脱ぎ、靴を履き替える。帰りの準備と言っても軽く着替えるだけなのでほんの10分ほどで終わる。
「僕は逆に、巡みたいなのが今までどこで何をしていたのか気になるけどね。」
言いながら夏波は汗で濡れた服を脱ごうとする。
「俺は、実際チームに入るのが遅かったからな。それに、うちのチームは弱小だ。夏波はいつから…」
俺はグラウンドの方に視線を向けてそう語る。ふと疑問に思ったことを聞こうと夏波の方を向こうとすると、夏波の手が俺の頬を抑える。
「ちょ…っ!馬鹿お前!今着替えてるからこっち向くな!」
一瞬目に映った夏波は恥ずかしそうに俺の顔を左手で抑え、右手に持ったタオルで前を隠していた。
「悪い…。」
ふと周りに他の選手達がいないか気になって見回すが、どうやらこの階段近くで着替えているのは俺と夏波だけのようだ。同じチームの奴らがいないからある意味孤立してしまうのは仕方がない。
「そういえば夏波、女の子だったな。」
「そういえばってなんだよ!?ほら、終わったぞ。」
夏波の方を向くと、先ほどまで来ていた白い練習着から青色のジャージに着替え終わっていた。ちなみに俺はまだソックスを脱いだ段階である。やはり夏波は男子達ばかりの状況で着替えるのは慣れているのだろうか…やけに早く感じた。
「いや、あんまりに楽しそうにサッカーしてたし、俺も正直あの時は熱くなってたからさ。」
俺は上に着ていた服を脱ぎ、帰宅用のジャージに着替える。汗をかいて濡れている身体に吹き付ける風はいくら春だとしても冷たく感じる。さっと服を着て続きを話す。
「それで完全に男だと思い込んでた。夏波が女子だって情報は切り捨ててたわ。」
夏波は1人、「それっていいのか…?いや、まぁ本気で相手してくれてるって意味だし…。」と呟きながら、顎に手を当てて俺の言葉の意味を考えているようだった。
「っし。帰るか。」
「お、終わったか?」
「おう。夏波は車?」
俺と夏波は立ち上がって駐車場へ向かう。ちなみに俺は家が近いのでトレーニングがてら走ってきている。
「うん。母さんが迎えに来てくれてる。巡は?」
「俺はすぐ近くなんだよ家。だから歩き。」
そういうと夏波は何かを思い付いたかのように、駐車場に停車している一台の車の方へと走っていく。どうやら夏波の家の車のようだ。窓を開けて何かを話しているようだ。
「おーい!巡!」
しばらくして夏波の元気な声が聞こえてくる。手を振ってるし、車の位置から動かないことからおそらくこっちにこいってことだろう。俺は大人しく従ってその方向へ歩いて向かう。
「よかったら乗ってけよ!すぐそこなんだろ?」
「いいのか?」
俺が遠慮がちに聞き返すと、運転席のドアが開いて1人の女性が出てきた。ショートカットで艶のある綺麗な髪が夜風に揺れる。女優と言われても信じるほど美しい女性がそこには立っていた。
「あ、お母さん。」
「お母さん…?お姉さんじゃなくて…?」
あまりに若く見えたもので、俺は自然とそんな言葉が口から出てきた。
「やだもう…お世辞がうまいお友達ね。」
クールな印象とは裏腹に、ハリのある声で冗談ぽく笑う夏波の母。俺はすかさず、頭を下げた。
「はじめまして。仁界巡です。」
俺からすれば、今日会ったばかりである夏波の母が急に現れたという状況。いやがおうににも肩肘が張ってしまう。
「丁寧にどうも。夏波の母です。すぐ近くなんでしょ?送ってくよ?」
そう言って後部座席の方を指差す夏波の母。流石に親まで出てきて誘われてしまったら断ることなんてできるはずもない。
「…すみません。よろしくお願いします。」
俺はもう一度深々と頭を下げてお礼を言った。
「んじゃあ、僕と巡は後ろ乗るから!ほら、乗って!」
「お、おう。お願いします!」
俺はもう一度そう挨拶をして、後部座席に乗り込む。助手席が空いていたが、どうやら夏波も俺の隣の後部座席に座るようだ。
「それじゃあ、ここからの帰り道教えてもらえる?」
「あ、はい。まずそこを右に出ていただいて…」
こうして俺は夏波に家まで送ってもらえることになった。近い…と言っても徒歩で15分はかかるため、実際はとても助かる。
「巡はさ、このトレセンどこ目指してんだ?地区…県代表…もしかして地域トレセン!?」
少し遠慮がちにそんなことを聞いてくる夏波。遠慮しなくとも、夏波は去年地域トレセン…俺たちの地域で言うと『北信越トレセン』に選出されているだろう。
だがしかし、俺が目指しているのはその一つ先。日本全土から選ばれた選手達を集めて育成トレーニングを行う…
「ナショナルトレセンだよ。」
俺は自分の目標を恥ずかしげもなく語った。だってあの試合でマッチアップした時にわかった。
『あぁきっとこいつは…世界で活躍できるな』
だからきっと、目指しているところは同じ。
「ナショナル…か。やっぱすごいな巡は。僕なんかが考えられないところまで見据えてて。」
少し寂しそうに窓の外の暗闇を眺める夏波。
「夏波も目指す場所は同じだろ?」
その質問をした時、少しだけ沈黙の間があって夏波は答えた。こちらを向いて無邪気に笑う。
「ま、そうだよな。」
笑顔を返すように俺も口角を上げて「あぁ。」と呟いた。どこか2人の会話の間に温度差を感じた気がするが、きっと気のせいだ。汗をかいた状態で風に当たりすぎたのかもな。
「あ、そこ左です。」
「はーい。」
そして夏波との車内での時間はほんの10分ほどで終了。俺の家が見えてきた。住宅街の一角に建つ木造住宅。それが目印だ。
「ここです。」
「あら、立派な木の家。」
巡の母はそう言いながら家の前に停車する。俺は荷物をまとめ、扉を開けた。
「すみません。ありがとうございました。」
深々ともう一度頭を下げてお礼を言う。
「じゃあな夏波。次会う時は県トレか。」
「おうよ!またな巡!」
俺たちはもう一度拳をコツンとぶつけて別れの挨拶をした。そして俺をここまで運んできてくれた黒い軽自動車が家の前から走り去っていく。
「じゃあな〜!」
「おう。」
窓から手を振る夏波に、俺も手を振りかえす。そして車が見えなくなるところまで手を振り続けた。
◆
「今回はなかなか粒揃いですね。」
選手達がいなくなった後、僕こと『渡辺』を含めたコーチ陣は先ほどの選抜試合を見て県トレに選出する選手を選んでいた。
「はい。キーパーであれば矢野川。ディフェンスには長身の大山に、足の速い『小坂』。中盤は『厚川』、『瘤木』。」
僕と話し合っていた『木崎』コーチが淡々とメンバーの名前を上げていく。
「FWに関しては、やはり光ってるのは『小岩井』ですね。」
「うん。あの反射神経と瞬発力。そして足元からボールが離れないようにギリギリのタッチでドリブルをする技術。キーパーの逆をつくシュートまで…どれをとっても地区トレレベルは超えていますね。」
やはりコーチ陣は皆、地域トレセンに選出されていた小岩井に目をつけていた。
「女子トレセンもありながら、それでもあえてレベルの違う男子トレセンを選ぶ行動力…そしてメンタル。全てが揃っている。」
「ただ…中学へ上がれば彼女は『女子トレセン』に引き抜かれる。実力はあっても今後の育成面を考慮すると、やはりナショナルまでは行けない人材かもしれない。」
それに、と木崎コーチは続ける。
「いくら上手いと言っても、小岩井は女子だ。男子達の輪を見出しかねない。」
「性別だけで…選ばれないのは非常に残念だけど、仕方がないだろう。女子トレセンに行けば確実にナショナルだ。きっとそっちで活躍してくれるさ。」
「そうですね。」
残念だけど、勝負の世界はそこまで甘くない。僕は少し悲しい気持ちで心境を曇らせながらも、気持ちを切り替えて顔を上げた。
「みなさんは見ていたかわかりませんが…僕もう1人、面白い選手を見つけたんですよ。」
僕のその言葉をまるで待っていたかのように残り4人のコーチ達が顔を上げた。
「『仁界巡』。青チームの7番です。」
「その選手、俺も見てました。」
「僕もです。」
その後、残りの2人も注目していたらしく5人ともがその選手の名前を暗記していた。
「驚いたのは…いや、特筆するべきところがいい意味で存在しないというか…。」
僕はあの子のあのプレースタイルをうまく言葉にする事ができなかった。キーパーの矢野川のように声を上げてチーム全体を動かしていくタイプでもない。小岩井のようにサッカーと殴り合うようにがむしゃらに熱くプレイしているわけでもない。
「わかります。全てのプレイにおいて、隙がない。特筆すべき長所が見つけられない代わりに、特筆すべき短所も見つけられない。」
木崎コーチが湧き上がる興奮を抑えながら言った。
「短所がない選手なんて、今までに見た事がない。ただ淡々とパスを繋ぎ、冷静にディフェンスを行う。そして自分でボールを呼びこみ、ゴールをこじ開けて狙い澄ましたように隅に蹴り込む…。言葉にすれば簡単ですけど、これはサッカーという競技においての理論値ですよ。」
僕もその意見には同意だった。名前も知らない。ましてや『九頭小学校』にサッカークラブが存在していたことすら知らなかった。だから初めて見た時に目を疑ったんだ。
「残りの2日…確実に彼から目を離さないよう観察したいと思います。もしかしたら光る原石かもしれない。」
僕の言葉にコーチ陣は頷いて同意を示した。
「それじゃあ僕らも帰りましょうか。お疲れ様でした。明日もよろしくお願いします。」
「「「「ありがとうございました。」」」」
僕は軽く挨拶をして、10年以上乗っている愛車に乗り込む。軽自動車だが燃費はいい。エンジンにガタがきているけどね。
「さてさて…楽しくなってきたね。これだからコーチは辞められないんだ。」
暗い夜、街灯のない道を軽自動車で走りながら僕は自分でもわかるくらい怪しく笑っていた。
トゥルルル…トゥルルル…。
運転中、突然携帯電話が鳴り響いた。僕は出てはいけないとわかっていながら、肩と頭でケータイを押さえて運転をしながらその相手と会話をする。
『好兄!昨日の夜うちに来る予定だったてって本当…!?何できてないの!?』
電話元は姉さん…ではなく、その子供である女の子…つまり姪からだった。たしかに昨日実家に戻ると母さんには伝えていた気がする。でも今日のトレセンの準備で忙しくて、結局のところ気づいた時には夜9時だった。
「ごめんごめん『はるちゃん』。おじさん今サッカーのコーチやってるから忙しいんだよね。」
赤信号で停められた車。その間にずり落ちそうだった携帯電話をさっと右手で直してもう一度会話に戻る。
『サッカー?そっか、好兄選手引退してコーチになったんだったね。やっぱり忙しいんだ?』
「うん。忙しいよ。でもすごく楽しい。」
青信号を確認した僕は勢いよくアクセルを踏んだ。
『ふーん。私は興味ないなサッカーなんて野蛮なスポーツ。』
「野蛮…ってどこでそんな言葉覚えてくるんだよ。」
僕は呆れながらそうツッコミを入れる。
『でも、好兄の声聞いてたらわかるよ。今すごく楽しそうだって伝わった。』
はるちゃんは笑いながら率直な言葉を聞かせてくれた。こういうところは素直でとてもいい子だと思う。
『でも、たまには帰ってきてね。私の数少ない相談相手なんだから!』
相談相手って…普通姉さんがその役だよね?
「あはははは…まぁ気が向いたらね。」
『そう言ってまた帰ってこない気でしょ?知ってるよ。私大人だから。』
だってはるちゃんの相談長いし、妙に面倒臭いんだもん。きっとはるちゃんの学校の担任は苦労してるだろうなって手に取るようにわかる。
『待ってお母さん!もう少し〜!』
電話口の後ろの方から姉さんの声が聞こえてきた。それにもう少し待つように応えるはるちゃん。
『じゃあ好兄…!また電話するから!絶対帰ってきてね!』
「うん。近いうちに一回は帰るよ。」
僕はそれでも、一回を…という縛りをつけて返事をする。
『うーん…もうそれでいいや!じゃあね!』
少し悩んでいたが、姉さんに呼ばれていたこともあり、納得してくれたようだ。そして電話は僕が切る間も無くブチっと一方的に切られる。
「全く…姉さんに似てませてるんだから。」
僕はそう呟きながらため息をこぼす。ひたすらに帰りたくない僕は、頭の中で母さんの顔を思い浮かべる。
「早く結婚しろって…母さんうるさいんだもんなぁ…。」
僕は実家に帰りたくない理由をため息混じりに愚痴るのだった。僕が一人暮らしをするアパートまではもう少し。トレセンの熱を失わないまま…明日も彼らのプレイを見届けたいものだ。