44 仲間の旅立ち
ミーティングが終了したのち、俺は夏波と共に小岩井家の団欒に参加していた。自分だけ圧倒的に場違いである。
「ガッハッハ…っ!楽しそうにサッカーしおって…!わしゃ見ていて最高じゃったぞ!」
大きな口を開けて笑う夏波のお爺さん。中々にワイルドな人だと聞いていたが、確かにその雰囲気がある。
「お父さん、あんまり無理しちゃいけませんよ?」
夏波の母がそんなお爺さんに声をかける。一応車椅子に乗っているし、かなり重篤な状態だと聞いていたのだが、有り余るエネルギーを感じてやまない。
「大丈夫じゃよ!あんなプレーを見せられちゃあ、わしも嫌でも元気か湧いてくるわい…!」
ずっと笑っているお爺さん。隣に立つ夏波もとても嬉しそうだ。ずっと自分の試合を見てもらいたいと言っていたからな。
「夏波も良かったが、坊主…名前はなんと言ったかの?」
「仁界です。」
俺は名前を尋ねられて素早く答えた。
「…仁界。ふむ、小学生であれほどまでに深くフィールドを見ているとはな。監督なんかも向いているんじゃないか?だが…」
夏波のお爺さんは俺のバックを見てつぶやいた。
「あのボロボロのスパイクはいただけないのう…。」
見られていたのか。確かに、審判にも注意された。でもあまり自分のことに両親からお金をかけてもらうのは気がひけるんだよな。
「フィールドは一種の聖域のようなものじゃ。相手にも味方にも…審判にもボールにも、あらゆるものに尊敬して臨まなければならない。本来であればの話じゃがな。」
間違いない。俺は常にそれを意識していたのだが、先の試合でも一瞬怒りに任せてボールを蹴ってしまった。あんまり良くなかったな。
「はい。今日を最後の1試合にして、新しいスパイクを購入しようと思います。」
慣れるのにも時間がかかるが仕方がない。しばらく登校や練習で履いて慣れておこう。
「うむ。それなんじゃが、良かったらこれをやろう。」
「これは…?」
突然袋からピカピカの新品のスパイクが取り出された。使用感は一切ないが、かなり昔のデザインに見える。
「知り合いにかなり昔にもらってな。夏波もサイズが合わんし、ちょうど靴がボロボロの少年がいると聞いていてな。」
「いただいていいんですか…?」
願ってもない申し出だ。それにサイズをみたところ、俺の靴のサイズにもぴったりあっている。
「カンガルー革を使用していてな。かなり足に馴染みやすいデザインになっているそうじゃ。ま、雨には濡らさんよう気をつけるんじゃな。」
「ありがとう…ございます…。」
俺はお爺さんから差し出されたそのスパイクをありがたく受け取った。正直スパイクはかなり値がはる代物なので、本当に助かった。
「良かったな巡。」
「あぁ…。なんて言うか…言葉が出ないね。」
俺はお爺さんからもらったスパイクを袋にしまい、丁寧にカバンの中に入れ込んだ。
「…好晴の野郎が呼んどるわ。わしゃちょっと話をしてくるのう。」
どうやら監督が挨拶をしたがっていたようで、何やら傍で待っていた。確か小学生時代の恩師だとかなんだとか。
「はい…本当にありがとうございます…!」
俺の言葉に後ろを向いて軽く右腕を上げるお爺さん。ワイルドでかっこいい人だ。
「すみません。このようなものをもらってしまって。」
僕は改めて、その場に残った夏波の母に頭を下げた。
「気にしないで。きっとそのスパイクも履いてもらった方が嬉しいと思うから。」
夏波のお母さんもそういうと、監督とお爺さんが話している方へ体の向きを変えた。
「私も少し監督さんに挨拶してくるわね。夏波ももう少し待っててもらえるかしら?」
「うん。分かった!」
夏波は元気にそう言うと、いつもと違う様子で辺りをキョロキョロと見回し始めた。
「どうした?」
「…えっ!?な、なんでも!」
明らかに何かありそうな様子だったが…?
「今日の試合、すごく楽しかった。」
一瞬間を置いて、夏波が小さく話し始めた。
「うん。俺もだよ。やっぱりサッカーはあれくらい自由にやらないとね。」
「最後は僕が決めたから、勝負は僕の勝ちだけどね。」
鼻を伸ばしてそんなことを口走る夏波。スポーツマンはとてつもなく負けず嫌いなのだ。もちろんそれは俺も。
「いやいや…あそこは俺も決めれたからな?でも、あの状況であんな絶妙に弱いパスを出してきた夏波の技術とメンタルに敬意を表してだなぁ…」
面倒なサッカーオタクのように、ペラペラと言い訳を並べる俺。本当に、サッカーについて話すのは楽しくてやめられない。
「…これからも、最高のライバル…なんて思ってだんだけどさ。」
改まって口を開いた夏波。不穏な話口調が俺の心を揺さぶった。
「僕…いや、『私』…女子トレセンに行くことにしたんだ。」
「え…?」
俺は、夏波のあまりに突然な決断に…そして敢えて改めた一人称に、正直驚いた。でもあまり取り乱さずまずは話を聞くことにする。
「自分でも、男子トレセンで十分やっていけると思うし、自由にサッカーができると思う。」
そうだ。夏波は今日自分で立ち上がった。これからもっと俺と…俺たちと一緒に…
「いろんなこと抱えて、いろんな思いを背負って…なんとかフィールドにフラフラ立っていた私を、今日巡が救ってくれた。」
「いや…何度もいうが、あれは夏波が自分で…」
俺の言葉に夏波が頭を振った。
「それで吹っ切れて、自由に楽しくサッカーができるようになった。そのきっかけをくれたのは巡だから。」
「じゃあ…なんで…。」
楽しくサッカーができるようになって、これから俺のライバルとして、仲間としてどんどん上へ登っていくはずだろう…?
「だから…これ以上巡に頼っちゃいけないと思った。」
ふと目があった時、夏波はとてつもなく真剣な瞳をしていた。
「私は私で、1人で立ち上がれる強い選手になりたいんだ。巡がいるから自由に…じゃなくて、私だけでも自由にサッカーができるようにならないと、きっと何も意味がないんだと思う…。」
「そんなことはないぞ。だってサッカーは11人で行うスポーツで…」
必死に止めようとする俺に対し、夏波はいつものいたずらっぽい笑顔ではなく、可愛らしい…女の子らしい微笑みを見せた。
「…理由はそれだけじゃないんだけど、もう決めたんだ。もちろん、今年の最後のリーグまでは一緒にプレーするよ?」
「…俺が余計なことしちゃったのか?」
ダメだ。自分の進路を自分で決めて、旅立とうとしている仲間を止める権利は俺にはない。でも、得もいえない悔しさが俺に口を開かせる。それは夏波に対しての足枷にしかならないと、監督の頃からわかっていたのに…。
「違う。絶対に違うよ。」
夏波は強い瞳でそう言った。
「巡がいてもいなくても、私は元々6年生から女子トレセンに行く予定だった。迷ってたけどね。」
夏波は少し苦笑いをしてそう言った。
「でも、こんなにスッキリ決断できたのは巡のおかげ。巡に出会って、一緒にサッカーをして…いろんな場所で助けてもらって…」
あぁ…やっぱわかんないな。
「…最後はおじいちゃんの前で、最高の試合をさせてくれた!巡がいなきゃ…もしかしたらサッカーすらやめてたかもしれないんだよ?」
こんだけ長い時間一緒にプレーしてきて、夏波がどんな人間か、どんな選手なのか、分かってるつもりだったんだけど…
「だから絶対巡のせいじゃない。むしろ…巡のおかげなんだよ!」
こんなに優しくて仲間思いで…最高の選手なんだって…理解してるつもりだったんだけどな。
「…だから本当にありがとう…!来年からは違うチームになっちゃうから、今年は絶対リーグ戦優勝しようね!」
「…あぁ。いや、本当に…こっちこそありがとう。」
ずっと一緒にプレーできると思ってたのに。急にいなくなっちゃうって分かった途端…なんでこんなに途方もなく悲しくなってくるんだろうな…。
「頑張ろうなリーグ戦。絶対優勝しよう。」
本当に今まで感情なんて隠してきたけどこの人生で初めて泣きそうになった。でもギリギリでそんな涙を抑え込み、僕は夏波と握手を交わした。
ーー
帰りのバスはみんなすっかり疲れ切っていて、私以外みんな眠っていた。珍しく巡も眠っていて、やっぱりちゃんと人間なんだなぁ…なんて当たり前のことを思う。
「…分かってのか巡。」
隣に座って可愛らしい寝顔を見せる巡。私はその頬をツンツンと触ってつぶやいた。
「私が女子トレセンに行くのをすんなりと決められた本当の理由…。」
ずっと心の中で迷っていた。サッカーが好きな自分。そしてもう1人…巡のことが好きな自分。どっちも私で、どっちも捨てたくなかったから。だから私は女子トレセンに行くことにした。
「初めの頃は、女扱いするなーなんて言ってたけど…もう、女の子なんだからな?」
僕は小さい声でそう口にする。起きでもしたら大変だからな。恥ずかしさで死んでしまう。
「…でもどうかなぁ…巡だからなぁ…きっと私のことなんて、全然女の子として見てないんだろうなこのサッカーバカは。」
そんな独り言を呟きながら苦笑いを浮かべる。
「でも、絶対いつか振り向かせて見せるからね。サッカーと同じくらい…もしかしたら、それよりも好きにさせて見せるから。」
自分で言ってて恥ずかしくなってきた。でも、これくらい面と向かって言えないときっと巡のことだから他の女の子が放っておかないと思うんだ。例えば…今日も見にきていたあの子…。
「…なんで巡は…」
それに、この前の練習に来ていて、今日もちょっと怖いおじさんと一緒に来てた、あの人形みたいに可愛い子。
「いつもいろんな女の子と一緒にいるのかなぁ…?」
私みたいに男っぽい女の子じゃ敵わない子ばかり。だから…これから変わるんだ。ちゃんと女の子に…。
「だからそれまで…絶対浮気するなよ…?」
そう言って巡の頬を少しつねる。少しだけ違和感を感じたのか、「むにゃら〜…」とかなんとか言って顔を動かす巡。
「…あ、すまん小岩井…」
ニコニコで巡の頬をツンツンしていたところ、前の席に座ってた田畑が突然身を乗り出してきた。
「た…ぇ…な…な…え…!?」
声を失い、めちゃくちゃに顔が熱くなる。気が動転し、何が何だかわからなくなった。
「い…いつから…?」
なんとか落ち着きを取り戻したものの、私は顔を真っ赤にして田畑に尋ねた。
「い、いやぁ…んー…『分かってんのか巡。』…くらいから…」
「最初からじゃねぇかぁ…っ!!」
「ぐぼらぁぁ…っ!!?」
私の渾身の右ストレートが田畑の頬を襲った。悪いのは私なんだが、どういうわけか田畑にはこういうハードルを感じない。ごめんな…キャプテン。
「な…んで…ガクっ…。」
皆が寝静まったバスの中、私は1人自分の名誉を守るための防衛戦に静かに勝利を収めたのだった。
はぁ…こんな調子でリーグ戦、優勝できるのかな。




