33 ボールへの執念
「切り替え…!一本目大事に行こう!」
田畑の声が響く。俺達はその声に後押しされ、ゆっくりとキックオフを行った。
「荻原…!」
攻撃の起点はやはり荻原だ。先ほどの作戦同様、サイドを駆け上がり、質の良いセンタリングをあげてもらうこと。それが唯一の突破口になるだろう。
「…荻原さん、頼みますよ。」
俺は小さく呟いて足を前に進めた。
荻原のドリブルは面白いほどに敵に取られることがなく、相手のサイドを素早く駆け上がっていく。
「中、人数増やして…!」
田畑の声がかかり、俺、長嶺、そして森下が相手チームのペナルティエリア内に入る。ここまでは先ほどと同じ状況。問題は…
「同じ作戦が通じるかっての…!」
ペナルティエリア内で守りを固める軒下兄弟だ。口は悪いが、他のチームにはない圧倒的連携でディフェンスを行ってくる。もちろん俺にも軒下右サイドバックがついた。
「…バカだなお前ら。その作戦じゃあ、またカウンターで俺たちが一点取れるだけだろ。」
まさしくその通り。先ほどと全く同じではいけない。どこかで変化を加えたいところだが、変に練習と違うことをしても、メンバーが対応できるか怪しいところだ。
「荻原…っ!」
手を上げる長嶺を目掛けて荻原がセンタリングをあげた。綺麗な弧を描いて長嶺へと真っ直ぐにボールが飛んでいく。
「さっきと同じじゃんか…!」
ジャンプしてボールに合わせようとする長嶺。しかし、それを止めるのは2人の軒下。前後からガッチリと長嶺のジャンプコースを塞いだ。
「お前ら…!ファウルだろ…!」
長嶺の言う通り、選手達からすれば軒下達の行為はファウルだ。しかし、それを連携でうまいこと隠している。いやらしいチームワークだ。
「主審には見えてないだろうな。」
そう言ってニヤける軒下と長嶺。その頭上を綺麗に超えていく荻原のセンタリング。そのままタッチラインを破る…そう思った瞬間…
「…仁界…!」
後方から大きな声がかかり、俺はそれだけで理解して動き出した。軒下の雑なマークを剥がして、ボールがそれた逆サイドに寄っていく。
「ナイスです城島さん。」
逸れたと思われていたセンタリングを、サイドバックからひっそりと上がってきていた城島が拾い、俺にダイレクトでボールを預けてくれた。
「…この位置。」
そして俺がボールを受けたのは、いわゆるフリーキックにおいての最高の位置。右利きの俺が1番好むゴールから45度ほど傾いた、ペナルティエリアから少し離れた場所。
相手ディフェンスは今対応するために動き出している。味方のFW陣も驚いた表情をしているが、お構いなしだ。フリーでこの位置からシュートをして…俺は外せる自信がない。
「…やらせると思うか?」
呟いて足のホットスポットがボールにミートした瞬間。俺の後方から眠れる獅子が近づいていた。完全に忘れていた。相手チームのディフェンスだけに気を取られすぎていた。
「…クソ…。」
獅子塚のその嗅覚は、ディフェンスにも応用できるわけか…。
「やはり…ただのモブではなかったな。」
俺が蹴ったボールは獅子塚の足に直撃し、そのまま弾けてタッチラインを割ってしまった。コロコロとタッチラインの外を転がっていくボールを眺めながら、俺は一つだけ尋ねた。
「どうしてボールがここに来ると?」
どうして俺にボールがくるとわかったのか。獅子塚のあの位置からここまではかなり距離がある。それこそ城島がボールを取った瞬間…いや、城島の動きだしとほぼ同じタイミングで動き出していないと間に合わなかったはずだ。
「重要なNPCには、エクスクラメーションマークが付いている。」
よくわからないことを言う獅子塚。俺はユニフォームで額の汗を拭った。
「お前は俺の中で、すでに重要人物に指定されているということだ。」
ギロリと瞳だけを動かし俺の方へと視線をやつす獅子塚。そのまま後ろを向いて自分のポジションへと戻っていった。
「嗅覚…ってのが、本当に存在するのか…。」
にわかには信じられないその感性に、俺は未だ順応することができず首を傾げていた。
ーー
「今日も天気がいいですね!お父様、早く行きましょう!」
「まぁ待て秋音。」
2人の娘に手を引かれ、デレデレとしながら試合会場に姿を現した宝院忠仁。あいも変わらず白いワンピースの秋音は、快晴の元そこら辺の人々の視線を集めてしまうほどに美しかった。
「あぁ。わかった。その点は了解だ。」
何やら仕事の電話をしていたようで、忠仁は小さく頷いていた。
「よし、行こうか。」
「はい!」
宝院一家が会場に着いた頃、すでに試合は始まっておりちょうど獅子塚に一点を取られたあたりだった。
「もう少し前に行きましょう!お父様!」
「わかったわかった。引っ張らないでくれ秋音。」
おとなしい美々とは裏腹に、活発な秋音は試合に出ている1人の少年を探すようにぐるりとコートを見回した。
「あ、巡さん!」
ちょうど一点取られ、キックオフから試合を再開する瞬間。秋音は巡を見つけたようだった。
「お父様!巡さんがいました!試合は勝ってますか!?負けてますか!?」
「残念ながら…ちょうど今一点取られたところのようだな。関東トレセンか…あまり調べてはいないが、確か…」
忠仁は敵陣のFW、世界で注目されている獅子塚に視線をやつした。まるで立髪のように靡く髪が印象的な荒々しい姿。
「っしゃぁぁ!もう一点いけるぞぉ…!」
そんな宝院一家の後方から、とてつもなく大きな声が聞こえてきた。忠仁が振り向くと、顔は整っているがどことなく性格の悪そうな少年がそこに座っていた。
「…ふ…ふふふ…賭けは俺がもらうぜ仁界…!待ってろよ!あはははは…っ!」
何やら聞き覚えのある名前が聞こえた気がしたが、忠仁は何事もなかったかのように試合に注目し直した。
北信越トレセンのオフェンスから試合が再開。やはり注目は仁界とサイドハーフの荻原である。
「…ある程度作戦を固定しているのか。」
試合の流れを見ていると、北信越トレセンの攻撃の起点は必ず右サイドの荻原だ。逆に左サイドは攻撃にあまり参加することなくカウンター対策に徹しているよう。
「しかし、関東トレセンのディフェンスは思った以上に連携が取れているな。」
右サイドの選手のセンタリングに対して、北信越トレセンの選手はジャンプすらさせてもらえていなかった。側から見れば確実にファウルだが、審判からは綺麗に死角になっているようだ。正々堂々…ではないが、それも一つのテクニックだ。
「ナイスお前ら!さすがだぜ…っ!」
先ほどから関東トレセンを応援しているであろう後ろの少年が、どうにもうるさくてたまらない。どうやらトレセンのメンバーの知り合いのようだが…
「…仁界君。君には秋音を任せないといけない。こんなところで負けてくれるなよ。」
忠仁はそう小さく呟いた。
ーー
「…獅子塚には常に1人つけ…!サイド利用させるな…!」
田畑の指示が飛び交うディフェンス。獅子塚以外の選手には負けていない。しかし、獅子塚1人があまりにも強大であり、ディフェンス全員の力を合わせてもまるで敵わない。
「…桜井!そっち行ったぞ…!」
相手の中盤から、桜井の裏に抜け出した獅子塚の前方にかなり大きなスルーパスが出た。これだけ距離があれば、間違いなくタッチラインを破る…そう踏んで足を緩めていた桜井の裏に抜け出す獅子塚。
「ダメだ桜井…!そいつは…」
俺も側から見ていて確実にタッチラインを破ると思っていた。しかし、獅子塚の足の回転は人智を超えており、タッチラインギリギリでボールにわずかに触れて残した。
「…くそっ!」
すぐにカバーに向かう田畑。しかし、ボールを持っても全然スピードが落ちない獅子塚の背中を捉えきれない。
「…2点目をもらうぞ。」
またも獅子塚とキーパーの一対一。先ほどのテクニックありきのプレーを見ていたせいで身構えているキーパーは、少し飛び出すタイミングを誤った。
「…キーパー遅いっ!」
田畑の声が響く頃にはもう手遅れで、飛び込んだキーパーの頭上をゆっくりとボールが飛び越える。
「造作もない。」
決まったと確信し、後ろを向いた獅子塚の隣を俺は最高速度で通り抜ける。獅子塚は何かを感じ取ったのか閉じていた瞳を開いて振り返った。
「…まだ…っ。」
俺は跳ねるボールにギリギリで追いつくと、足を伸ばしてゴールラインを切る前にボールを掻き出した。
「何…?」
獅子塚は少し驚いた様子だったが、すぐに俺がクリアしたボールに向かって走り出した。それを狙っていたのは中盤で前に張っていた森下も同じ。
「まさか、追いつかれるとはな…!」
「くそ…届かん…!すまんみんな…っ!」
動き出しが少し早かった獅子塚がボールを奪取し、再びゴールに向かって動き出した。ゴールまでは俺、田畑、それに桜井や下がってきた荻原もいる。さすがの獅子塚でも、このディフェンス陣を超えられるわけがない。
「…ふ…っ」
獅子塚は不敵に笑って一歩目を踏み出した。
「これがプレイヤーに与えられた試練か。」
楽しそうに、それでも周りには恐怖を与えるような恐ろしい足取りで、その獅子はまた北信越ゴールを狩にくる。
「ならば越えようじゃないか。」
ドリブルに関しては獅子塚より上。そんな荻原だが、ディフェンスに関してはそこまで上手いわけじゃない。獅子塚はまず荻原を抜き去った。
「ごめん社長!」
次に獅子塚のディフェンスに向かったのは田畑と桜井。この2人で獅子塚の行動を遅らせる。それだけでいい。そうすれば荻原も森下も戻ってくる。だが…
「俺から行動を起こすまでの話…っ!」
獅子塚はその圧倒的な体のバネと身体能力を駆使して、2人が追いつけないようなスピードでボールを蹴り出した。遅らせる…などという行為ができないほどにそれは一瞬であり刹那だった。
「…くそぉ…っ!」
「…すまん仁界…っ!」
ギリギリで追いつけそうだった田畑の右足は、あと一歩のところで獅子塚の前方のボールに逃げられる。
「任せるぞ…巡…!」
あとはキーパーと俺を残すのみ。前方から迫り来る獅子は獲物を目の前にして涎を垂らしているようだった。
「…あとは貴様だけだ。」
ゴールに迫り来る獅子塚に対し、俺は対面するように腰を低くして構えた。少しでも距離を空ければシュートを打たれる。だからと言って近づきすぎても簡単に抜かれてしまう。時間をかけてディフェンスをしようにも、すでにペナルティエリアの目の前まで迫っている。
「…くそ…。」
冷静に状況を分析して、冷静ではいられないということに気づく。すでにハンターは獲物の首に牙を当てているところなのだから。
「さぁ…楽しませろ…っ!」
意気揚々と近づいてくる獅子塚。俺はその動きに合わせて、半身で下がりながら対応する。ゴールが近いので、5歩以内に決めなければいけない。
「…今…。」
一瞬、獅子塚からボールが離れた瞬間に、ボールと獅子塚の間に自分の体を捩じ込む。
「…くっ…!?」
圧倒的な重量感が背中に迫るも、なんとか獅子塚とボールを引き離すことに成功した。あとは…
「キーパー!」
田畑が後方から放った声に反応し、キーパーがすかさず前に飛び出す。前方に転がったボールをキャッチしようと手を伸ばす。
「…チェックメイトだ。」
しかし、ハンターはそれすらも餌にしてしまう。俺の後ろで不敵に笑う獅子塚は、俺の股の間から足を伸ばし、そのまま前方にスライディングするように倒れ込んで爪先でボールに触った。
「あっ…!?」
目の前でボールの軌道が変わり、キーパーの隣を一瞬で転がりすぎていく。そしてそのままゴールへと吸い込まれていった。
「…まじか。」
驚きで声も出ない。なんて身体能力に、判断能力…そして何よりボールへの執着だ…。
後方で倒れ込む獅子塚に視線を向けると、先ほどより何十倍も楽しそうに不敵な笑みを浮かべていた。
「隙を見せたお前達の負けだ。」
立ち上がり俺の耳元でそうつぶやく獅子塚。
4人ものディフェンスと1人のキーパーを完全に攻略し、たった1人でボールをゴールまで運んだ獅子塚。その能力は小学生のそれを超えており、俺たちのチームは皆絶望に打ちひしがれていた。




