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リ・ボール  作者: よもや
1章 人生のリスタート
18/110

18 非日常

巡無しで始まった北信越トレセンの練習は県トレセンと同じ内容で、序盤に軽いアップを行ったのちすぐに複数のチームを作ってゲームを繰り返すという内容だった。


「赤チームは1人遅刻するって連絡もらってるので、他チームから助っ人を出してください。」


北信越も担当するメイン監督は渡辺コーチだ。皆その指示に従ってアップを始めた。


「なぁあれ。」


「あぁ…。女だろ?」


1人でキョロキョロとアップの相手を探す夏波。いつも相手をしている巡がいないため、どうにも一緒にできる相手がいなかった。しかも富山県トレセンから来てるメンバーは5人。必然的に夏波が1人炙れてしまうのだ。


「ど、どうしよう…。」


ボールを両手で持って、路頭に迷う夏波。渡辺コーチ、そして葛西や田畑が少し心配そうに夏波のことを見ていた。あんなことがあった後だ。これほど重要な時にどうして巡はいないのか…と、皆が心の中で思っていた。


「…あの…。」


「え…!?ぼ、僕?な、何かな…?」


そんな中、もう1人炙れた選手が夏波に話しかける。メガネをかけた気弱そうな男子だった。


「余っちゃったので、自分とアップしてくれませんか…?」


「あ、うん…!」


下手下手にそう頭を下げるメガネの男子。夏波は願ってもいないアップの相手を見つけ、少しホッとしているようだった。しかし、そうなるとおかしい。トレセンメンバーは全員で24人選ばれているはずで、巡が1人になってしまう。


「おい『チビメガネ』…!どうして俺とアップをしないんだ…?」


夏波のアップ相手のことを『チビメガネ』という蔑称で呼ぶ、ガタイの大きな男子。その声が少し大きかったため、周りでアップしていた選手達の視線が一瞬集まった。


「おいおい…また『鬼塚』が『世湧』に突っかかってるぞ…。」


「ってかいつもより声デカくね?」


鬼塚と世湧を知っている選手達はヒソヒソと話し始めた。


「お、『鬼塚』君…。えっと…それは…。」


「言い訳はいらねぇ。お前なんかじゃ小岩井の相手は務まらねぇだろうから、代われ!」


バッと世湧の首元を掴んで引っ張る鬼塚。世湧はゲホッゲホッとむせている。


「早速始めるか。」


隣で座り込んでいる世湧を尻目に、ボールを蹴ろうとする鬼塚。しかし、正義感の強い夏波がその行為を許すはずがなかった。


「待って。僕、世湧と組んでるんだ。君は悪いけど他の人と3人でやってくれないかな?」


真剣な眼差しで諭すようにそう呟く夏波。


「あぁ?なんだと?」


格好をつけたかったのもあるが、無理矢理世湧をどかし自分からパスをしようとしたところで、その相手に止められる。それが鬼塚のプライドに小さくない傷をつける。


「女だからって調子乗ってねぇか?なぁおい!」


ほぼ本気。ものすごい蹴りで放たれたシュート性の球が夏波めがけて飛んでいく。性格に難あれど、北信越まできた選手の球だ。当たればひとたまりもない。


「はぁ…。」


しかし、夏波は柔らかい右足の関節を利用し、インサイドを使ってそれを軽々トラップしてみせた。トンッと静かに、わずかに跳ねるボール。非常に美しく柔らかいトラップに、周りの選手達の視線が集まった。


「な…。マジかよ…。」


鬼塚は膝から崩れ落ちる。


「悪くないけど、僕いつももっと強いシュートを見てるから。」


そう言って、鬼塚に倒された世湧に手を差し伸べて立ち上がらせる夏波。そのまま何事もなかったかのようにパス練習を始める。


「…コーチに、頼むか…。」


鬼塚は静かに立ち上がり、何事もなかったかのようにその場を去ったのだった。


「鬼塚にはいつもああやっていじめられてるの?」


パス練習をしながら、夏波は世湧に尋ねた。北信越まできているのだから、世湧も決してサッカーが下手なわけではない。しかし、どうも迫力がない。


「いつもじゃないけど…よくああやって嫌がらせされるんだ…。」


「されるんだって…なんでやめさせないの?コーチに言ったりしてさ!」


夏波のパスが少し強くなる。しかし、世湧はそんな変化を感じさせないほどに柔らかいトラップでそのパスを止める。


「鬼塚君はすごくうまいからさ。もし僕がそれをコーチに言って、気まずくなってやめちゃったりしたら嫌なんだ。」


自分に対する嫌がらせより勝利を優先する執念が世湧からは感じられた。


「僕が我慢すればいいだけ。」


「なんだよそれ…。」


それから2人は一切会話をすることなくゲーム前のアップを終了した。


「ありがとう小岩井さん。」


「あぁ、うん。」


頭を下げてお礼を言い、世湧は走ってコーチの元へと戻っていった。夏波も自分のボールを持ってコーチの元へ向かった。


夏波は自分が手に持っているボールを見つめ、いつも共にアップをしている友人の顔を思い浮かべる。


「…早く来いよ。巡…。」


無意識に頬を膨らませている自分に気づいていない夏波であった。


ーー


「で…?どうしてこんなマネしたんですか?」


爺やが運転するリムジンは俺が本来向かっていたスタジアムへ寄り道することなく向かっていた。そんなリムジンの中、俺の質問に対して頬を赤らめクネクネと奇妙な動きをする秋音。


「どうしてって…言わせないでください…!」


「秋音はお礼をした。」


秋音の隣でそう呟く美々。まだ短い足が椅子の上でぷらぷらと揺れている。


「お礼?」


俺には一体どこのどんな点がお礼だったのか一切わからなかった。しかし、どうにも秋音が申し訳なさそうな顔をしているのであえて言葉にはしない。


「あの…その…一応、非日常を味わってもらおう的な感じです…!」


的な感じで人差し指を立てる秋音。俺はそんな秋音に寒々しい視線を送る。


「やめてください…!そんな目で見ないで…!まだあれは序盤のシナリオだったんですから!」  


「ほっほ。まさかあれほどまでに早く気付かれるとは思いもしませんでしたからね。お許しください。」


秋音を庇うように運転席から爺やの声が聞こえてくる。


「まぁ早く気づけたおかげで練習には途中参加できそうですからまだ良かったですけどね。」


先ほどから段々と小さくなっていく秋音がどうも可哀想に思えてきて、厳しいコメントを控えた。


「俺いまだにわかってないんですけど、どこまでが本当で、どこまでが演技だったんですか?まさか美々が迷子になってところから…?」


俺はあの時の情景を考える。いささか迷子とは思えぬ堂々たる姿勢で壁にもたれかかっていた美々に手招きされ、「迷子だから助けろ」と唐突に手を掴まれた。よく考えなくてもあそこから演技だろ。


「いいえ。この子、アイスクリームに目がなくて…。あの時は本当に迷子だったんです。」


いや本気の迷子だったんかい。


「いつも宝院家の自覚を持てとあれほど言っているのに…仕方のない子です。」


「うちの秋音がすまん。」


「美々!どうして私が悪いことしたみたいになってるの!?謝るのは美々でしょ!」


必死に訴えかける秋音に対し、ぬぼ〜っと興味のなさそうな視線を返す美々。なかなかに面白い幼女である。


「それで…その…」


なぜか突然改まってこちらに向き直る秋音。同時に、恥ずかしそうに人差し指を合わせたり離したりを繰り返しながらチラチラと俺の顔に視線を向けてくる。


「私のボーイフレンドの件なんですけど…」


「ボーイフレンド?」


俺は、先ほどもチラリと耳にした怪しげな横文字に反応し復唱した。


「あ…、あんなに早くシナリオが頓挫してしまうなんて…!本当は最後の最後…ビルの屋上まで追い詰められた2人はその場で愛を誓い合う…!そんなシナリオだったのに!」


1人頭を抱え、何やら悩み込む秋音。


「な、なんでもないです…。」


諦めたように俺から視線を外す秋音。どうやらそれほど重要な話ではないようだ。しかし、一度切り捨てられそうになったこの会話を美々が拾い上げた。


「秋音は巡と結婚したいと言ってる。」


「ちょぉぉ…っ!!?美々ちゃん…っ!!?」


先ほどまでの清楚なお嬢様キャラを捨て去り、必死になって妹の口を塞ごうとする秋音。


「無理だから!あの場面で終わった2人に愛なんて芽生えないよ!」


顔を真っ赤にして体裁を取り繕う秋音。どうやらシナリオの最後までいくと何か俺達に変化があったらしい。それも今となっては全てなかったことになっている。


「す、すみません巡さん!こっちの話なんでお気になさらず…っ!」


笑顔で手を振る秋音。美々は塞がれた口を必死に外そうとポコポコ秋音の手を叩いているが、まるで引き剥がせる気配はない。


「もう…美々ったら本当に困った子ですね。」


ドッと疲れが現れたのか、秋音は背もたれにもたれかかった。


「あ、そうだ巡さん!今日の練習、見に行ってもよろしいですか!?」


謎の既視感を感じる。そして同じ様な光景を頭の中で思い浮かべる。秋音と夏波…喧嘩しそう。なんなら春風もいて三つ巴になりそう。


「いや、ちょっとやめた方が…」


俺はやんわりと断りを入れるが、その言葉は秋音の声の勢いに飲まれる。


「是非!是非拝見させてください!とても気になります!大好きなサッカーをする巡さんが!」


「大好きな巡さん。」


勢いよく放たれた秋音の言葉に続いて、ボソッと美々が一言付け加えることで、リムジンの中が一瞬フリーズした。


「み、美々ちゃん違うよ!?サッカーが大好きなんだよ…っ!?そこんとこちゃんとしないといけないよっ!?はい!訂正!」


相変わらず美々の口を塞ごうとする秋音。先ほどから何度も目にしている光景だが、とても楽しそうで微笑ましい。俺も妹や弟と遊んでやりたいなとふと思う。サッカー漬けの毎日もいいが、こういう日常も悪くない。


「ち、違いますよ巡さんっ!大好きなのは『サッカー』ですからね…!?決して巡さんが大好きというわけではありません…!」


そこまで言って、また秋音は自分の頬を真っ赤に染めてそっぽを向いてしまう。


「ほっほ。青春ですな。」


俺たちに聞こえないくらい小さな声で、爺やの口から放たれた言葉は、実際当事者が見ている状況からすれば全く的を射ていなかった。


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